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あなたがわたしを忘れても

コミカライズのオリジナルストーリーとして、アルオニア王子が落馬して記憶障害になってしまったというのがあります。

時系列としては、大学卒業→王子の母国に住む→落馬事故→夏休みとなっています。

コミカライズを読んでいない方にもわかるよう書いてみましたが……楽しんでもらえたなら幸いです。

 落馬して頭に衝撃を受けたのが原因で、アルオニア王子が記憶障害になってしまった。

 自分のことを覚えているし、日常生活にも問題はない。

 けれど、わたしのことを忘れてしまった——。



 夏休み。わたしたちは海岸沿いにあるリゾート地に来ている。

 夕食の席でのアルオニア王子は、以前と何も変わっていないように見える。洗練された所作で料理を口に運び、トビンとジュニーのおしゃべりに楽しそうな微笑みを浮かべている。

 王族の品位と寛容さは、どんなことがあっても失われることはないらしい。


「アルオニア様がお姉ちゃんのことを忘れてしまったなんて、嘘みたいね」


 ジュニーのひそひそ話に、わたしは頷いた。


(アルオニアはジュニーやトビンのことは覚えている。わたしだけ、忘れてしまった。どうして? わたしが負担だった?)


 庶民出身のわたしが将来アルオニアと結婚することに、身分を気にする人々は露骨に嫌な顔をする。そういう人たちの態度を軟化させるために、アルオニアは日々公務をこなし、慈善活動にも積極的に参加していた。

 アルオニアは優しい。「わたしのことが負担じゃない?」そう聞いたとしても、彼はきっと、笑顔で首を横に振っただろう。


 アルオニアは、わたしが貧乏庶民であることを最初からわかっていて、それでもプロポーズしてくれた。

 だったらわたしは、彼に負担をかけているのを嘆くのではなく、彼の隣に立つにふさわしい女性になる努力をし、彼を支えていく。そのような強い考えでいるべきだ。

 それでも、つい……わたしが素晴らしい女性であったなら、アルオニアに負担をかけることがなかったのにという申し訳なさが、消えない。



 ジュニーとトビンが寝たのを確認して、わたしはリビングに降りた。

 アルオニアは書類を読んでいた。わたしに気づいて、優しい笑顔を浮かべる。


「二人は、寝た?」

「ええ。海でたくさん遊んだから疲れたみたい。ベットに入ったらすぐに寝ちゃいました」

「そうか。僕も寝ることにするよ。おやすみ」

「はい。おやすみなさい。また明日」


 アルオニアがリビングから出ていき、わたしは胸元の服を握りしめた。


(挨拶だけじゃ、足りない……)


 いつの間に欲深くなってしまったのだろう。おやすみなさいと挨拶ができるだけでも十分だし、また明日会えるという幸せにあるというのに……。


 二人の時間ができると、アルオニアは必ずといっていいほど、キスをしてくれた。額や頬や唇に。それらのキスの合間に「好きだよ」と、囁いてくれた。


 自分の唇にふれる。

 アルオニアは忘れようと思って、わたしを忘れてしまったんじゃない。落馬事故のせいなのだから、仕方がない。

 わかっている。頭ではわかっている。

 けれど、彼に触れてもらえない寂しさにとらわれる——。

 


◇◇◇



 白い月に照らされた夜の海。

 砂はさらさらと細かく、歩くたびに足が埋もれる。サンダルを脱いで、素足で歩く。心地よい波音に誘われるようにして、波打ち際に立った。

 月明かりを浴びてキラキラと光る波が押し寄せ、足を濡らし、引いていく。


「わっ!」


 足の下の砂が持っていかれて、足裏が不安定になる。くすぐったい。


 サイリス国は四方を他国に囲まれているので、海に行ったこともなければ見たこともなかった。アルオニアに海に連れてきてもらわなかったら、海のおもしろさを知らないまま、一生を終えただろう。


「海だけじゃない。アルオニアと出会わなかったら……。母の借金を返すために、惨めな生活を送っていただろうな……」


 右手の薬指にしている指輪を目の前に持ってくる。わたしの誕生日にアルオニアがプレゼントしてくれたもの。

 アルオニアはわたしの右手に指輪をはめながら、「左手の薬指にする指輪は、お揃いのものにしよう」と笑った。


 わたしは右手の指輪を胸に当て、涙を滲ませた。


「彼がわたしを忘れても、わたしはアルオニアが、好き……」

「リルエ」


 突然、背後からかけられた声。

 振り向くと、アルオニアがゆっくりと歩いてくる。


「どうしたんですか? 眠れない?」

「それはこっちのセリフ。誰かが外に行く音が聞こえたものだから、窓から覗いたら、リルエが海に歩いていくのが見えた。心配で追いかけてきたんだ」

「心配?」

「そうだよ。夜、女性が一人で出歩くなんて」

「ああ……」

「リゾート地の危険さをわかっている? 楽しい場所だけれど、女性を狙う悪い男たちもいるんだ。連れ去られたら大変だ。いい? 絶対に一人で出歩かないで」


 アルオニアの口調がきつい。怒っているのだと気づいて、わたしは慌てて謝った。


「ごめんなさい! 軽率でした。おまけに……」

「おまけに?」

「あ、いえっ! 誤解した変なことを思ってしまったので。気にしないでください!」

「なに? 気になる」

「いえいえ! すっごい変なことを思ってしまったので。絶対に呆れるので、聞かない方がいいです!!」

「そこまで言われると、聞きたくなる」


 こういう頑固なところ、アルオニアっぽい。こういうときはわたしが折れるしかない。

 そっと、上目遣いにアルオニアを見る。


「今から変なことを言いますよ?」

「うん」

「笑ったり、呆れたり、ため息をついたりしないでくださいね」

「わかった」

「わたしが一人で海に行くのを見て、心配で追いかけてきた。そう聞いて、あのことを心配してくれている、と思いました。あのこととは……」

「うん」

「海の怪物です。怪物が襲ってくるのを、心配しているのかと」

「…………」

「クラーケンとか、カリブディスとか、バクナワとか出てきたら怖いですよね」

「…………」

「トビンが海のモンスターが大好きで、図書館で借りてくるんです。読んであげているので、わたし詳しいんですよ」

「真剣な顔でなにを言うかと思ったら……。リルエ、目をつぶって」

「はい」


 おとなしく目をつぶる。すると、おでこがパチンと弾かれた。


「イタっ!」


 アルオニアはお腹を抱えて笑っている。好きな人が笑ってくれるのは嬉しいけれど、的外れなことを考えてしまった自覚はあるので、素直には喜べない。


「女王陛下が教育係をしてくれたとき。天然女子はお呼びではありません。知性ある女性を求めています、そう怒られたときがあります。はぁー……。知性ある発言をするよう、心がけます。すみません」

「ははっ! あの人ならそう言うだろうね。でも、僕は……」


 アルオニアはわたしの顔を覗き込んだ。


「リルエを好きになったわけがわかった気がする。その天然加減、僕は好きだよ」


 アルオニアの腕が伸びてきて、わたしの体を包み込んだ。


「君とのことを思い出したい。一日でも、早く。焦る気持ちはある。だが……」

 

 アルオニアは腕を緩めると、わたしの頬をそっと包んだ。アメシスト色の彼の瞳がわたしを見つめ、その瞳のあたたかさと愛情深さに、胸が波打つ。


「もし思い出せなかったとしても、それでも、リルエをもう一度好きになる自信がある」


 彼の顔が近づき、わたしは自然と目を閉じた。

 波音と心臓がドキドキと鳴る音と、互いの唇の熱が、重なる。

 アルオニアはそっと離れると、ため息混じりに言った。


「リルエの唇の感触……知っている。記憶が戻らなくても、それでも、僕たちは何度もキスをしたのだろうと、わかるよ。僕は、君とキスをするのが好きだった……」


 彼のわたしを見る目や接する態度はどこか遠慮がちで、キスにも戸惑いが含まれている。どこまでキスを求めてもいいものか迷っている、唇の動き。

 ぎこちないキスは、卒業パーティーの夜を思い出させる。初めてキスをした、あのドキドキ感。

 

 わたしたちは出会い、そして、また恋をする。

 記憶がなくても、何度でも——。

 

 

 





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