空蝉の愛染
ハピエンなのかバドエンなのか、それともメリバなのか分からないお話。
主人公は男の子でも女の子でも、どちらでも大丈夫です。
この時、私は初めて絶望というものを体験したのである。
3年前の夏、ちょうど今みたいな時雨時で夏特有の暑さ、と言うよりかはじんわりと汗が滲み出てきそうなしっとりとした暑さであった。
当時私は高等学校の学生であり、青春と呼ばれる程ではないかもしれないが充実した毎日を送っていた。
そんなある日、私は今までに見た事がないほどに体調を崩し所謂、総合病院と呼ばれる所にかかったのだ。時雨時にも関わらず、蝉がうるさく聞こえた日であった。
「残念ですが、余命3ヶ月と言った所でしょう」
「エ、さん...?」
「えぇ、3ヶ月...」
人間は突飛な事を言われると突然脳が理解出来なくなる、と聞いていたがまさかそれが正しいとは思ってもいなかった、いや、今この時、私はそれを体験した。医者の言葉が右から左へと流れていくので詳しい病名までは分からなかったものの、私が罹っている病気は所謂不治の病であり、自然治癒は無く、ドナーが見つかれば助かるかもしれないとの事だった、と思う。
だが、その臓器は人間に必要な臓器であり、その臓器を無くせばドナーをしてくれた人間は間違いなくこの世を去ってしまうとの事だった。
今この時、私に降りかかった不幸は死を待つのみ、という事であった。
この事を学校の友人に話したのだが、やはり皆どうすることも出来ず、それまでの間は絶対楽しもう、という優しい言葉を掛けてもらった。その話は、学校で少し浮いた女子(よく話す仲、まぁ親友でもいいかもしれない)に伝わっていたらしく、放課後に呼び出されたのだ。
「あんた、3ヶ月後に死ぬの?」
「アァ…そうだよ」
「ふーん...ならさ、私とこの後遊ぼーよ」
「今日?今から?」
「良いでしょ!ほら行くよ!」
それからというもの、毎日彼女に誘われ毎日遊びに付き合った。至福のひとときのようなものが続くと、私の思考は、もっと生きたい、よりもアァ、もういつ死んでも構わないなと変わっていったのであった。
余命1日前、医者がもしかしたら生きられるかもしれないと言い始め、早急に手術の準備が始まった。嬉しかったのだ、その時は。自分のために全力を尽くしてくれようとしてくれているのが分かったから。例えそれがうまくいこうがいくまいが本気さというものが伝わるとこんなにも嬉しく思うのだと、そう感じた。
その事を彼女に報告したのだ。笑って喜んでくれると私は思っていたのだが、その予想を裏切るように俯き彼女は言葉を零したのだ。
「明日になってしまったら 君はこの世界から消えてしまうんだよなぁ」
まるで私が助かることがないような言葉に私は唖然とした。どうしてそんなことを言うんだと怒鳴る気力もないままに、私達は別れを告げたのだ。
手術を終えた、目が覚める。良かった、成功した、生きていた。周りの先生や両親が安堵の息をこぼす中、私は感無量、という風に泣き始めてしまったのだ。否、私は嬉しくて泣いていた訳では無い。
どこかでこんな言葉を聞いたことがある。臓器移植とかそういう類のものをすると一時的に貰った臓器の持ち主の記憶が流れることがあるらしい。私にもその現象が起きたのだ。不安定な記憶は鏡に映る彼女の姿だった。私は悟ったのだ。もう彼女はこの世界にはいない。鏡の中の彼女はきっとこの記憶転移の話を知っていたのだろう。
「君は明日にはこの世からいなくなっちゃうね、いや、居なくなるのは、私か...楽しかったよ、ありがとう、元気でね」
私は初めてこの時、彼女がいない絶望と私の体の中にある彼女の記憶に安堵したのだ。
私だけの空蝉の愛染
残ったものは記憶のみ。それでも私は幸せだった。
このお題を選んだ時、あ、こういう物語だったら面白いな、と思ったんです。女の子側は好きだから生きていて欲しい、と思うわけで、主人公も気づいてない恋愛感情がやっぱりあるからこの死ぬまでの期間楽しかったなって思ってる。メリバなのか、ハピエンなのか...それともバドエンなのか...読む人によって違う小説です。




