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     八


 昼下がり、ストムは海岸へと出る。彼はそろそろ、大人になる。既に少年ではない。ようやく過渡期を終えて、大人になる。

 冒険への意欲は、日に日に増すばかりである。彼は、港町では物足りなくなった。世の中はもっと広いのだ。未だ見ぬが計り知れない。心を揺さぶられなくてはならない。懸崖から見つめるばかりも飽きた。沖に出て、底知れぬものばかりに囲繞されてみたい。

 灯台は今日も素朴に立っている。糠雨にもロボットにも、別段の感慨を示さない。ストムは、その下に歩み寄る。雑草は、以前禿げていた場所が判別つかないくらいに鬱蒼としている。埋め立て地の大船は、工事で再建されるらしい。ストムはその景色を無考えに眺めている。騒々しい音が、ここにいても微かに聞こえてくる。完成に何年かかるとも知れない。ストムは、その間には既に旅に出ているつもりである。

 ストムは灯台の白い肌に、背で張り付いた。薄着に冷たい感触を覚えながら、斜め上方に目を泳がせた。大抵、浮き雲が空に遊んでいる。それを目で追っているだけで、十分な暇つぶしになる。——ストムは、もう学校には行かないつもりだ。

 今、自分は惨めか? 自問自答して、ちっともそんなはずが無いと思う。道は、他に無いのではない。切り拓いていくものである。個性の尊重は良かろう。けれども似たり寄ったりで個性、個性と躍起になっても途方に暮れてしまう。個性は拓かなければ、生まれないのである。

 ストムは家に帰ると、母にもう学校に行かないことを告げた。彼女は、正気かと問うが、ストムは譲らない。自室に閉じこもる。すると、ジェファニーの出番である。

「何でそうやって、お母さんを苦しめるの? 自分が学校に行かなかったら、お母さんが心配するってことくらい分からない?」

「行きたくないんだから、仕方ない」

 ジェファニーはここで一歩引く。

「気持ち、分かるけど。でも、もう少し頑張ってみない? だって、お兄ちゃんは船乗りになるんでしょう?」

 ストムは閉口する。彼女は何も分かっていない。彼の望みも、苦悩も、何にも分かっていない。これは、知ろうとしなかったことの報いである。

「もうちょっと努力してみようよ。辛いかも知れないけれど、そんなの今だけなんだから」

 彼女は教師になるつもりらしい。ストムにも、学校にどうして一人の不幸が出るか、何となく知れた。

 彼女の励ましは、定型である。定型でもその内実はいちいち異なるものである。彼女の言葉は、すっからかんだ。だから、ストムの心に何も響かせない。

 彼の思いは驚くほど簡単である。行きたくないから、行かない——これに尽きる。ジェファニーはそれを分かろうとしない。さっきから見え隠れするのに、その思いの存在を認めようとしない。彼女はずっと、自分の考えた通りにならなければ気が済まない。嘘でも予測が当たらなければならないと信じる者である。

「ずっとここに塞ぎ込んでいるつもり? そんなのあり得ない、信じられないわ」

 彼女はもう忍耐が続かない。

「がっかりした」

 ストムは反発しようにも、説得のしようがないと気付く。結果、「うるせえ」とだけ吐き捨てる。

 妹が出ていくと、ベッドに仰向けで転ぶ。頭の後ろに手を組んで、足は投げ出す。眼は天井を映している。四畳半の部屋にずっと籠もるのは、おかしなことだろうかと考える。よし、ではこうしよう。ストムは出かけることにする。出かけるが、それは学校へ行くのではない。行きたいところへ、行くのである。

 久しぶりにセーラーに着替えて、階段を下りる。何だか照れくさい。家族には声をかけず、外に出る。

 不運にも、驟雨が襲う。これではまるで以前と同じだ。ストムは工事中の埋め立て地へ行こうと考えているのである。またロロとグラに出会うようなことがあれば、それはもう作り話だと思う。

 ストムは恐る恐る『腕』の入口まで来る。引き揚げてくる、工事の大人たちとすれ違う。彼らは、そこにストムが立っていることを意に介さない。ある者は肩に資材を担ぎ、ある者は空の缶ジュースを軍手に握りながら、一瞥こそすれど、その他は無い。

 泡沫が、汀で激しく起こっている。

 さて、現場にいたのは、ロロでもグラでも無く、あの老いた彼である。彼はすっかり工事現場の服装に身を包み、ヘルメットを頭に乗せている。何故ここにいるのか尋ねると、「志願したのだ」とだけ答えて、後は無口だ。が、暫くして、「何故来た?」とか細い声で聞いてくる。ストムは「来たくなった」と答える。老いた彼は納得したのか、ふうんと相槌を打つ。すると、佇む。遠い目をして、どこともつかぬ場所を見やった。

「あのロボットが、また現れたらしいの」

「はい」

「じゃが、隣町の校舎は壊さなかった。……この学校は嫌われたか」

「それは違うと思います」

 ストムは雨で濡れた体をぶるぶると震わせた。

「ロロは……一人の不幸が許せなくて、全部壊しちゃったんです」

 老いた彼は目を丸くする。

「あのロボットは、ロロと言うのか」

「はい……」

「何故君がそれを知っているのかは、聞かないことにする。ワシは君の名前すら知らないのじゃから。……するとロロは、正義の味方と言うわけか」

 彼の表情は柔らかい。

「ワシは、あれは『裁き』だと思っていたが」

「どういうことですか?」

「昔はこの港町には、海の神を鎮める祭りというものがあった。今は、もう行われない。どうしてだか分かるか? ——海を支配したと思い上がったからじゃ。人間は知りたがる生き物じゃ。そうして知ったと思うと、支配した気になる。——そうだ、君は地球儀を見たことがあるか」

「はい、もちろん」

「あれができあがった時、船乗りの冒険は終わったのじゃ。全てを知ったから。冒険とは世界中を支配しようという野心に基づいたものなのじゃ」

 老いた彼を雨が打ちつける。濡れた頬もひげも、彼が微笑むと揺れ出す。

「そう落ち込むな、若いもん。せっかくだから面白いことを教えてやろう。ワシの朋友の話だ」

 ストムは謹聴する。

「ワシはこの航海士学校の卒業生じゃった。そして、『真友』がいた。(まこと)の友と書いて真友じゃ。これが正しい。親しい友情は、それはいつしか人格が変わって離れていくもの。——さておき、そいつは、地球儀などには見向きもせん奴でな。他の生徒とも、一線を画した奴じゃった。奴は、船に利益でも名誉でも無く、感動を求めおった。地球がどんなもんか、自分のその眼に入れるまで一向に信用せんような奴じゃ。どうだ、馬鹿じゃろう? その馬鹿が高じて、奴は死んだ。無鉄砲な馬鹿じゃったんだ、あいつは」

 雨が弱まる。

「約束したんじゃ、ワシと。あいつは、一人ではどうやらこの世の全ては見切れんと、白状しおった。その代わり、この星だけは見尽くしたいと思う。君、君が僕のもう二つの目になってくれ……ああ! 奴は、世界の十分の一も見ない内に、死んだ。聞いてくれ、ワシの右目も、もう機能していない。四つの目が、一つになった。これでどうして、約束が果たせる? 無謀だったんじゃよ。ワシは、無謀が大嫌いになった」

「もう、船には乗らないんですか?」

「乗るものか。乗ってたまるものか。ああ——君は冒険をするのか」

 ストムは、雨の止まぬ内に言わなければならなかった。

「はい」

「奴と同じ過ちを犯すか」

「過ちではありません。ついでに、無謀でもないです。僕は——」

 老いた彼は、ストムを突き飛ばした。

「立ち去れ!」

 ストムは走り出す、懸命に。

「立ち去れ!」

 振り返らずに、走る。雨はとうに止んでいる。

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