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 ストムが隣町の学校に通い出して、おおよそ二ヶ月が経つ頃になる。ストムにとって、そこは退屈であった。例えば、ストムは数学ができて、これを学ぶことを楽しみにしていたが、転校してからの授業は今ひとつ物足りない。

 突然大多数転入してきた航海士学校の生徒らは、教師には迷惑の他、何ものでも無い。故に、扱いもぞんざいである。

 ストムは頻りに、この町を嫌がった。航海士への道は、当人のやり方次第ではまだ閉ざされていない。が、ストムにはこの学校で辛抱するのが酷く苦痛であった。学校は、興味のあることを学び、夢に取り組み、冒険へ飛翔する手段であったはずだ。だからこそ、彼にとっての大船は、眩ゆいばかりであり、懐古を受ける価値がある。彼にとって、この『普通』学校は、どうしても経なくてはならない、障害である。母親に訴えても、「専門学校じゃなくたって、航海士にはなれるのよ」との一点張りだ。ストムは、彼女が自身の理解者で無いことを、決定的に知らされる。

 彼の馴染めない環境に、気の置けない友人ができるはずも無い。そもそも、『普通』学校の生徒とは、価値観が違う。心底共感できなくては、会話は苦しい。

『一人ぼっちが最も辛い』と、ロロは言った。ストムは一人ぼっちになったことが無いから分からない。でも、一人ぼっちになりたくない。だから、敢えて苦しい会話でも甘んじる。要は、義務である。

 義務をして、気怠い学業の課程を消化し、すっかり歩き慣れた町と町とを往来する。どこにも胸躍るような、心弾むような出来事など、見つけられるはずも無い。そのせいで、ストムはどんどん濁る。このままでは充分磨かれぬまま、熟してしまう。——これではいけない。何かとっておきの打開策を試さなくては。

 ストムが初めに思いついたのは、結局ロロとグラのことである。彼らは不思議だ——何も無いところですってんとこけてみたり、突如人助けと言ってストムらの日常を滅茶苦茶にしてみたり、そうかと思えば罪悪感から夕日を眺め尽くしたり、雨中に呆然としたり……。これらは、逐一本質を突きつめてしまえば、何てこと無いのである。ロロは盲目だった。人助けは正義である。罪悪の念は彼らの、弱さである。ストムは、二人を恨まなくてはならない。が、どうもあの一場面にそのような気概は削がれてしまった。雨の為す業か、はたまた彼らの真率か。

 ともかく、ストムが乗り越えるべき障害は、この学園である。彼は、一人でもやれると意を決する。この証明が、彼らへの復讐にもなり得よう。

 ストムは今一度、ロロ・グラフィーバーをこの学校にも興そうという思いつきを得る。突飛だが、彼は一途に始める。

 ストムは何の変哲も無いある日にわざわざ朝早くから登校すると、無人の教室にありつく。それから入室してきた順に、今や錆び付いたあの体験をありったけ吹聴してやることにする。

 初めの標的は、全く口をきいたことのない女子であった。ストムのクラスは半分が元航海士学校の生徒であるが、彼女は初めからこの学校に所属する者である。クラスの雰囲気が今度の大規模転入でがらりと変化したわけだから、彼女は航海士学校の生徒のことを良くは思っていないようだ。ストムの唐突な話と、こける真似は、当然彼女の不興をかった。

 出だし不発に終わったストムは、焦った。程なくして、次の生徒が来た。この子も駄目だった。ストムは、より慌てた。慌てたから、何を血迷ったか、同じ航海士学校出身の者にまで、ロロ・グラコントをやってみせた。——これが、まずかった。同志は、憤慨した。

「君のそのくだらぬ遊びのせいで、転校することになった」と非難した。ストムはしゅんとして、コントを続ける勇気を失った。すると、同志は収まらぬ憤りをクラス中に振りまくものだから、ストムは針のむしろに置かれる。——この時、ストムは晴れていじめの対象となる。

 元来いじめとは優劣を公に示す便宜であり、あくなき優越感の獲得欲求のもと動くものである。人は、常に誰かを見下ろしていなくては気が済まない。見下ろして、そこに人が居る限り、彼は存在していいのである。——『存在』とは何か。二人の人がいる。この時、二人は妥協して『存在』を分け合う。が、三人、四人と増えていくにつれて、『存在』を得るのは競争となる。少しでも多く『存在』を獲得せねばならない。万が一『存在』を失った者は、その時点で生きていないのと同じことである。

 さて、転校生の流入によって薄められたクラスの中における『存在』は、熾烈な競りにかけられた。飛びつく者は狙われる。一人ずつ蹴落として、安全に買い占めるのが得策である。その為に、いじめは有効な方策である。全員が、この生存競争を無意識にやるから恐ろしい。ストムは、虐げられるべき人間である故、大義名分の下に『存在』を剥奪される。

 ほとんど存在しなくなったストムは、以前にも増して学校へ来るのが苦痛になった。どうして行きたくもない場所に、歩数を費やし往復で身体を疲弊する義理があるだろうか。ストムは、学校では、航海士学校を破滅に追いやった罪人である。罪人は、存在してはなるまい。それでもどうしても存在しようとすると、懲りない奴めと迫害される。悔しいが、苦しいのには敵わない。もう、登校はやめようと決意する。

 が、更なる転校はできないと、母が言う。

「他に行けるところは無いのだし、もうちょっと頑張ってみない?」と諭す。母はまるで分かっていない。ストムは、もうあのクラスに居てはいけないのだ。

 航海士の夢はどうなる? 日に日に増える彼の心身の痛みは? 本当に堪えきれるかしら。——ストムは、学校なんて無くなればいいのに、と望む。学校さえ崩れ去ってしまえば、またストムは他の場所に移ることができるはずだ。

 すると、現れたのだ。

久しぶりに見た。夕暮れ時、ずっと頭頂を維持して、鮮やかに水面を切ってくる。同志の連中が、悪魔を見つけたように口々に叫ぶ。ストムだけは、赤焼けに目を輝かせながら、それが岸に到着するのを心待ちにしていた。

 皆が校舎の屋上に群がって、指差し、顔を見合わせ、忙しなく話し合うのを、ストムはせせら笑っていた。じきにロボットは、すぐそこにまでやってくる。そして、忌まわしきこの校舎をあの時のように跡形も無く片付けてくれる。

 誰かが、今度はあの遊びをしていないから平気さ、などと嘯くが、ストムはそれをも嘲笑する。ロロロボットは、一人の不幸を助けるべく働く、正義の味方である。

 ロボットは家々の合間を縫って、着実に、そして一直線にこちらへ近づいてくる。一歩が踏み出される度、そうだ、早く、とストムは心中で煽る。凡俗な生徒共は、次々離散していった。ストムは、ただ待ち望むばかりである。

 屋上には、ストムを除いて、誰一人としていなくなった。ロロロボットは、柵にもたれかかった彼の目前に止まる。おかっぱの頭頂にあぐらを掻くグラは、相変わらず無愛想に睨み付けている。ストムは声を張り上げて言う。

「僕は今から逃げるから、あと五分くらいしたらこの校舎を壊して」

 ストムは言い置くと、振り返って駆け出そうとした。が、その夕景の中に、初めて聞くかすれ声——

「ほ、本当に、い、いいのかい」

 つむじから見下ろすグラは、真剣な顔つきである。

「ほ、 本当に、こ、このこ、校舎、こ、こ、ここ壊していいか」

 グラは辛そうに喋る。

「こ、 校舎こ、壊すこと、これ、ひひ一つの日常を奪うこと。つ、罪ぶ深いこと。それでもするか」

 これだけのことをようやく言う。

 ストムは、グラのことが憎たらしくなる。何故問う。有無も言わさず、壊してしまえば良い。一切の責任は、彼らが負えば良い。どうして最後の一押しを、たった一人の不幸者に委ねる。……大船は、崩れたじゃないか。今、この校舎も崩そう。自分が「ああ」と言えば、それで終わる。……ロボットがぐるりと旋回する。そりゃあ、無いよ。待って、という言葉は宙に浮かんだのみである。ストムは夕刻に取り残された。海原へ呑まれていく、その背をただ見つめるばかり。

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