五
ストムは帰り迷わないように、海岸線に沿って歩いていく事を思いついた。途中、小腹が空いたから通りがかったうどん屋に入ることにした。一人で外食をするのも、初めてである。初心者の冒険はこれにより、一層充実した。
彼はふと気がつくと、港町に戻ってきている。やはり、境目などは無かった。
ストムは海沿いを行き着く心算であり、その終点とは、あの『腕』の付け根であった。彼は今日二度目にこの心細い渡りを行く。夕日はそろそろ水平線に触れて、溶け出そうとしている。赤色の光線は、半分痕に遮られながら、ストムの前面を照らし出す。どこまで自身の影が伸びるのか、振り向いて見る。この影ほどの巨人であれば、ロロロボットにも復讐できるだろうに。
強い陽光に、ストムは顔を顰める。一歩行くと、半歩押し返されるかのような幻惑を感応しながら、大船の地へと向かう。この茜色を相手にしていると、どうしてもあの崩落の瞬間が想起される。あの時より、赤い。ロロ・グラフィーバーが弾けたのは、あの瞬間である。指弾の鉄槌により奪われ去った、あの時に皆は、ロロやグラの事を忘れた——無論、本当に記憶から消えたのではない、決別したのだ。決別を許されぬのは、今のところストムただ一人である。
決別を許されぬ故、痕地に踏み入ったストムは、仄かな赤がとりとめなく覆っている土地に、ひょうたん形の輪郭を見つける。それは、一向に影である。精一杯に日よけしても、やはり影である。それは、生きている。息を吸っている。ストムは魅入られて、一足を遣るのにふと、石を蹴飛ばす。……ひょうたんに当たる。ひょうたんが、ぐるりと回転する。光の加減で、視界が点滅する。
「あっ」と声を詰まらせた。——ロロだ。
ストムはその瞬間、背筋を伸ばす。目まで隠れたおかっぱ頭と、対峙する。……そのままでは進展が無い。ストムはもうちょっと近づいてみる。まだ足りない。もう一歩、もう一歩……と、気がつくと、既にロロのずんぐり胴の影が、ストムの全身を撫でて有り余るほど近づいている。ロロは、ストムよりもずっと背が低い。短い首をもたげ、ぽかんと仰いでいる。一方のストムも、負けじと見つめ返す。ロロの前髪の隙間から覗いた瞳が、斜陽のせいできらきらと光っていた。両者の息遣いは、確かである。
気味の悪い時間が、刻々と流れる。ロロが重たい口を開いた。その口調は、ストムの予測に反して滑らかで、声変わりを知らぬ子どもの声である。
「あなたは、誰ですか?」
ストムは口を一文字に結んでいる。
「あなたは、ここの学校の生徒ですか?」
ストムはうん、と言いながら頷く。頷きながら、敵意を沸かせる。
「何をしに、ここへ来たのですか?」
何を、と言うことも無い。自然と足がこちらへ向いたのだ——ストムはそう、心中に呟く。ストムは夕日に釘差されたが如く、微動だにしない。ただ息ばかりする。こう、だんまりではロロの方も埒があかないと考える。無視を決め込むストムは放って、また茜色の水平線に向き直る。そう言えば、ロロはストムがやってくるずっと前からこうしているらしい。自らが廃墟に変えたこの地点から海原を眺めて、どんな感傷に浸っているのかは分からない。一つ疑問が浮かんできたところで、ストムはその背に声かける。
「君の名前は、ロロ?」
ロロは太い首を回して振り返る。
「そうです。整備士のロロです」
「君がここに在った船を壊した?」
「はい」
返事を聞くやいなや、殴りかかりたくなった。けれども、ロロの飄々としたペースに呑まれて、その機会を失ったまま、冷静になる。
「なぜ?」
「なぜかと言うと……」
「僕らが君を面白がって、からかったから?」
ロロはここで絶句する。ストムはその沈黙に、何もかも悟った気になる。ああ、やはり自分のひょんな思いつきのせいで、大船は壊れてしまったのだ。探偵は、これで終わり。今日という日も、あの夕日が溶け切ってしまえばめでたく終わり。——船には、どれだけの意義があったろう。夢があったろう、思いが乗っていたろう、過去も未来もそこにはあった。その重みはとても、過渡期の一人には背負いきれない。
いよいよ辺りは暮れそうだ。目前のロロの全貌が、判然と明らかとなる。ロボットの装飾と同じだ。青のオーバーオールに、内には縞模様のシャツを着込んでいる。……ストムは、もう帰ろうと思う。これ以上、ここに留まっている理由はあるまい。
ストムが踵を返しても、ロロは黙したまま、一点の灯に向かっている。その灯が、消え入る瞬時を目にする為に。
港町には星屑の夜が続く。ロロは見届けると、暫く向かい風を感じ、同時に黒い波の音を聞いている。