三
探偵には助手が必要だ。港町に訪れたいつもの朝、ストムはグレイグ家へと歩みを進める。お爺さんの家を通りがかる時には唾を吐きかけてやろうかとも考えたが、やめておいた。朝方は情緒が冷えているから、熱さ任せの愚行は何とか控えることができた。いや、吐く勇気が無かったと、素直に告白するべきか。
とにかく、一日の始めから憂鬱な思索はいけない。今日こそは、探偵ごっこを実りのあるものにしなくてはならない。
グレイグの家も、朝には静まりかえっていた。陽光が舞う埃をうっすら浮かび上がらせる閑寂なリビングには、黄みがかったソファが一番に存在を知らせている。直角をつくって置かれたそこに、二人の少年が微妙な距離を保って座っている。台所から、紅茶の香りが漂ってくる。ストムは、今度は天井を見上げてみるが、青白くのっぺりしていて、薄ら寒くなる。
グレイグのしゃくれた顎が俯き加減だ。ここだ、とストムは口火を切る。
「グレイグ、ロロロボットのことだけど……」
「ロロロボット? またそれかい」
「うん」と相槌を合わせて答える。
「そのことなんだけどね——あれがどこに消えたかって、やっぱり気になりはしない?」
「特に」
早速窮地である。慌てて次の文句を探すが、浮かばない。こんなに良く考えてものを話すなんて、少年にとっては初めての経験かも知れなかった。——紅茶と菓子が運ばれてくる。取り敢えずの間はもった。グレイグの母がストムを怪訝そうに見やったのは、彼が鼻頭に霜のような汗を滲ませていたからだろう。
それにしても、昨日あれだけ語り合ったのが嘘のように、二人の間の空気は重い。無邪気、無垢な少年二人の間柄では妙である。人情の機微は、こういうところで敏感に働く。人と人とが交わろうとする時、想像を絶する多感さに支配される。たとえ、親しき仲にあっても、この繊細さは、他人である限り取り払われないのである。これは少年世代にとっても同じらしい。ストムは朝日のせいだと思って、早くお日様が雲に隠れてしまえば良いのに、と思った。会話はこれ以上途切れさせてはなるまい。
「いいや、気になるはずだよ。何しろ、ロロ・グラフィーバーを学校中に巻き起こしたのは、僕らなんだから」
「何? 何が言いたい?」
グレイグの反応は無味乾燥である。ストムはあっと言わせるような名答を試みる。
「つまりはこうさ。僕らにあの一連の責任があるかも知れない。そう、つまりロロは僕らがあんな噂をして面白おかしく遊びにして流行らせたことに怒って……」
「何だ、そんなことか。それなら君が一番悪いな。そもそも君が持ち出した話だろう?」
グレイグが朝に似つかわしく冷静沈着に言うから、ストムははにかむ。適当な笑顔で繕う自分が腹立たしいやら悔しいやら。そして、寒々しいのは一番しようがない。
「協力してくれないかい」とストムはとうとう手を合わせている。
「頼むよ。謎を突き止めないと」
「面倒だなあ」
グレイグの口調は、考慮する余地がこれ以上無いことを暗に知らせている。あんまりしつこいとこうだぜ、と告げんばかりの調子である。『こう』とは何を指すか、曖昧だ。それは端的に言えば絶交か知れない。そうでなくとも、もっと不機嫌になるぞと言う脅迫かも分からない。何にしてもよそよそしいのだけは確かだ。
「もういいよ」とふてくされてみる。けれども、すぐに彼の機嫌を損ねたのではと心配になって、とりとめのないことを言う。すると、グレイグはそれには喜んで応じてくる。ストムは安堵しながら、昏迷する。友情など上辺に過ぎない、何くそ、と言う気怠い話になってくる。グレイグとの付き合いは、ちょっと長過ぎたのかもしれない。もう二人は、これ以上互いに介入してはならない、限界値に達しているのだ。グレイグは無意識にもう新たな友を求めているらしい。
ストムはまだ、探偵は孤独でよいと認めたわけではない。掌に読み、活字上に見知った探偵たちには、大概助手なる者がいた。ストムはどうしても、自分とあともう一人を欲する。そして、グレイグの件に学んだように、相手は知己より新人の方が勝手が良い。ちょうどグレイグが求めるように、こちらも新たな出会いを訪ねる旅に向かおうと考えるのである。鮮やかでかつ、どこかぎこちない関係を理想とする。このぎこちないのは、決して白々しいのではなく、血と血が頻繁に通い、通わせようとする故の甲斐無さである。ストムは浮ついた足取りを、学校へと向かわせる。
周知の通り、大船は既に瓦礫と化した。この場所を、好き好んで訪れる者は無かろう。それでも酔狂な者が呆然と立ちすくんでいるとも知れない。そんな人間が助手としては最適である。
島まで伸びる、『腕』の目前にまでやって来る。ここに立って見る風景がこれほど寂しげであるとは、思いもしなかった。昼近くになって、太陽が真上から差すようになる頃に、瓦礫の山へと続いていくコンクリート道は、酷く静かであった。この一本道は、ただ一本道であるのに過ぎない。けれども、ストムを執拗に心細くさせる。一人ぼっちを知らせる風は、脇から吹き抜ける。——もう誰もが、これを渡る向こうに、堂々の大船学舎が存したことなど、忘れてしまったのだろうか。確かに眼前を占めるのは、荒れ果てた『痕』である。——ストムはようやく、無防備な道を行き着く。
『痕』は、穏やかなものだ。人の気配などよもやない。ストムは、もう少し奥まで行ってみることにする。
額に入れられた、校長の肖像が見つかる。勇敢の証である帽子を誇らしげにかぶり、白ひげを整然と生やしている。ストムはその、塵やら埃やらを払ってやる。すると、頬に傷を負っていることが分かる。可哀想にと呟いて、瓦礫の内に放り投げる。掌を擦って汚れを払い、後はセーラーのネクタイになすりつける。
ストムは、顔を振り上げたそこに、肩幅の広い人物を発見した。それは恐らく男である。大きな背中を丸めながら、石の山をどかしたり探ったりして、きっと何か求めているのだと、ストムは短時間の観察で了解する。
声をかけようかと迷った。彼との距離は少年の歩幅で五、六歩くらい。このまま立ち去るか、好奇心に任せて声をかけるか、天秤にかけていると、ストムはここに来た所期の目的を思い出す。彼は、助手には不適合な外見である。が、既に秤は片方に落ちた。
「あの、」
返事は無く、作業を継続している。
「あの!」
叫ぶくらいにしても、余程耳が遠いのか、聞こえていないらしい。いよいよストムは一歩を踏み出す。彼の方は拳大の石を山から引き抜いた。ストムの踏み込んだ先は緩く、軽く滑るようにして、三、四歩で彼の背を見下ろすところまで来た。それでも気付かない。鈍感もここまで甚だしいと一芸だ。
後頭部は胡麻塩の毛髪に覆われている。首に覗く皮膚は厚い、鱗状である。ストムは次に、彼が老人であると悟る。
「あの、」
今度は普通に呼んだ。これだけ近づけば不良の耳にも声は届くだろう。すると、彼は怒鳴り出す。
「さっきから聞こえとるわ! 騒がしいのお。静かにしてくれんか」
ストムは波立つ心を落ち着ける。ここで取り乱すわけにはいかない。
「何を探してるんです?」と穏やかを心がけて聞く。が、無視される。依然、石を抜いている。
ストムは、どうにかこの男の応答を得ようと思う。
「あの……学校、良いところでしたよね」
大船の葬儀にでも参列している気になる。老いた彼は、骨拾いをしていると言ったところか。
彼はやっと、ストム少年に鋭い目を向ける。
「ああ。……この町の宝じゃった。それがこうやって形を失うと、途端に誰も気にかけなくなる。見ろ、ワシら以外には誰も居らん。誰も名残を惜しもうとはせん」
町の人々は大船を失って、今どんな気持ちでいるのだろう。ストムの家族も、グレイグでさえも、皆軽率に踏ん切りをつけたように見える。ストムも、ロロ・グラフィーバーさえ無ければ同じだったかもしれない。跡形も無くなったものには、どうしても固執できない。人の心中に、何らかの心残りがなくては。きっと、老いた彼にも心残りがあるのだと、少年は考える。
「君は、ここの学校の生徒か」
「はい」
「愚問じゃったな。どう見ても生徒だ」
彼は声を上げて、笑う。
「お前たちのほとんどは隣町の、『普通の』学校に通うことになるだろう。……良い機会だ。船はやめておけ。船は、怖い」
老いた彼はとうとう、ストムの方へ完全に向かい合う。尻を半端に浮かして、手首をぶら下げている。改めて、彼の肩幅の広さが思い知られる。
「船が怖いって……」
彼は俯く。ストムはちょっと話題を転換してみる。
「何か探しているんですか?」
彼は答えない。
にっちもさっちもいかないから、ストムも一緒になってしゃがみ込むことにする。仰ぐと、鮮やかな青色が、世界の表面を塗りこめている。その内側に、点点と雲が浮いている。またその内側の地上に、老いた彼と少年とが瓦礫の渦中にうずくまっている。そんな昼時である。この奇妙さに、ストムは抗議をしてやりたい。だが、わだかまりをぶつけるべき相手は見えない。
老いた彼は、瓦礫の山に向かっている。ストムは空から目を背ける。間隙を縫った風は、弱々しく、それ故に鳥肌を起こす。
「僕も一緒に探しましょうか?」
ストムは膝行して老いた彼の隣に着く。その時初めて、彼の引っ張って来る拳大の石が、その足元に堆く積まれているのを知った。もう既にその丘の頂きは、彼の膝の高さにまで達している。ストムは変に気を利かせて、「分かります」と呟いた。そして、自身も礫の合間に腕を侵入させて行く。白の袖が埃にまみれるのにも構わず、手応えの得られた石を掴み獲ってくる。目に見えない奥から探り出す所に、意味があるみたいだ。日の目を見たそれは、一通りぽろぽろと砂を落とす。これで拳大の石が手に入れられる。
何だか変な作業だ。まさか宝石がどこかしらに埋もれている訳でもあるまい。ストムは、理性ではそう考えるが、一連の動作をやめようとはしない。病みつきになって、次々抜いてくる。ストムは獲った石を、地に並べた。彼のように山をつくらないのは、その彼の作品が、もうほとんど危なっかしく動揺しているからである。
夢中の時間は、淡々と過ぎる。ストムは瓦礫に体を押しつけて探っている。——平穏な時間は、ここに崩れ去る。腕を引き取りざま、ストムは老いた彼の山を振り返る。彼は、じっとその惨状を見つめている。少年の視線に気がつくと、その下に整列した石の群れを見つけた——破顔。
「面白い! 君は賢いなあ、少年! なるほど、そう並べておけば危険は無い」
ストムは、困惑した顔を見せた。
「私は……どうしても積み上げたかった。積み上げたその頂きに、きっと、どこかに隠されたはずのものが見つかると……浅はかだったよ。掴み取って形にしようとした感情は——見ろ! 結局、この校舎と同じように、不意に吹き飛んだ。私が掴んだのはやはり、ただの石ころに過ぎなかったのだ」
老いた彼は、雲を掴むような所業をやっていたらしい。彼は、自分が老いていることさえ忘れているようだった。肩口が大きく動く。
ストムが目をまん丸にしていると、彼はやがて落ち着いて、「まあ、仕方ないのかも知れんな」と悟ったようなことを言う。そうして、南に見える灯台を見やった。その先っぽには、綿の雲がかかっている。二人とも、黒ずんだ腕をしている。顎や頬にも砂が付いている。汗でキラリと光る。
老いた彼は、また一気に相応の年をとったようだ。
「少年よ、もう帰れ。ここには何も無い。何も残されてやいないんじゃ」
老いた彼が立ち上がるから、思わずストムもそれにしたがった。
彼は無言で、『腕』とは逆の方へ去っていく。何だ、まだ何も無いなんて割り切れてやいないんじゃないか、とストムは咎めたいが、口にしない。ストム自身も、彼の忠告を一向に信用しなかった。弱風が老いた彼の足取りを伝えても、ストムは思考を萎えさせない。この痕にどれほどの意味、そして思いがあるか、徹底的に突きとめなくてはならない。