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 ストム少年がその真っ只中を目撃したのは、客船で家族旅行に出かけた夜、トイレに立った時の事だった。

 ちょっとした広間の、二階相当の壁から出っ張る廊下を小走りに渡っていると、階下に見下ろす朱色の絨毯の隅、自動販売機が二つ並んで一帯を青白く照らしている域にその一団を見つけた。頑強な体をして、白色に青線の入ったキャップを頭に乗せているのと、ずんぐりむっくりのおかっぱ髪である合わせて二人が、柄の悪い連中に囲まれているのだ。二人はいずれも白系統のセーラー服に身を包んでいる、男の青年らしき見た目である。

 ストムはその緊迫した風景に、尿意も暫時忘れ、洒落た柄をかたどった柵を手繰りながら、その場に身を屈めた。何を話しているのか、声は聞こえない。けれども、荒い息遣いや、周りの者がジリジリと詰め寄る雰囲気は、迫真を持って感じられる。いよいよ囲む一人が、自販機の明かりに前側半身を浮かべた時——あのおかっぱ頭が、前に出た! すると、信じられない光景を、ストム少年は、目の当たりにすることになる。

 ——彼は、呆気なく転倒してしまった。いや、何かつまずくものがそこにあったわけではない。ただならぬ周囲が、してやったと言うわけでもないのだ。単に、自ら踏み出して、ひとりでにすってんとこけた。

 ガハハハハと野太く嘲笑う声が聞こえる。その側で、おかっぱ君は肉付き良く、太い両腕を伸ばして、四つん這いになる。二人を取り巻く四囲の黒い影が、一斉にザザと蠢く。ストムは、目前に今にも繰り広げられそうな暴力的展開を察知して、慌てて進行方向へと駆け出した。

 広間を去り切る際、肉の弾ける音が耳に入る。ストムは咄嗟閉塞し、途端、尿意を思い出したのだった——

 ストムは翌朝、船内の壁に貼られたチラシを見かけて悟った。

『安心安全な航海の為に——船の整備は、技師のロロとグラにお任せを!』

 背景にはコミカルな絵がおまけに載せられている。その姿は、まさしく、昨夜更けた頃に目撃した、あのいじめられっ子航海士の二人組であった。頑強なのがグラ、おかっぱがロロだ。

 休暇が明けて、ストムは航海士学校に戻る。少年は、港町にて、海原へ出ることを志す子どもである。ストムは、一夜の出来事に嬉嬉として、興奮の色を隠さずに、見聞を仲間に語って聞かせた。併せて、すってんころりんと転倒する真似をやってみせるのも忘れなかった。すると、それが、大いに流行った。分からぬものである。ストムの語りは、瞬く間に学校中に広まって、大変なブームを巻き起こしたのだ。この不可解な現象は、『ロロ・グラフィーバー!』と称され、もてはやされた。

 さて、ここでストム少年の人柄に関して、大方を記述しておくことにする。彼は、物語の冒頭にて、客船で家族旅行を楽しんでいたのだが、これは一種の社会見学を兼ねていた。船乗りは、彼にとって一番の憧れであり、家族も少年の夢を励ましている。ストムが何故航海士を志すのか、その理由は一言にして説明可能なものでは無い。第一、ストム少年自身にも、具体は縹渺としていて、ただ、その決意のみが明らかである。

 ジャーニー航海士学校は、彼の通う専門学校であり、港町の象徴だ。そこに一大センセーションをもたらしたロロ・グラフィーバー! は、校内に一過性の社会現象を生じた。ストムもまさか、これほど大事になるとは思わなんだが、皆、レッドカーペットの敷かれた廊下の上、何も無いのに、こける。躓くようにして、こける。教室に入るときも、こける。椅子に座るときも、取り敢えず、こけてみる。こける度に、笑いが起こる。このブームは二週間ほど続いた。良くもった方であろう。

 流行りとは気付かぬ内に、スッと過ぎ去っていくものである。ふと見渡してみると、誰もがそんな奇異な遊びを忘れかけていた。ただ、ストムやその友・グレイグらだけは、懲りずにロロ・グラコントを闇雲にやっているのだった。

 大型船をかたどった校舎の甲板にて、彼らはやはり転倒を繰り返していたのだが——それは、夕暮れ時のことであった。面した海の方で、突如船影が、警笛を大きく鳴らした。ストムもグレイグも、思わずその方に目をやる。影はみるみるうちに巨大化し、やがて、実はそれが船でないことが悟られた。それは人の形をした——そして、その姿形は紛れもなく、あの夜、最上の見本となる盛大なずっこけざまをストムに盗み見られた、あのロロなのである。

 ロロは、ストムが目にしたのとは比べものにならぬくらいに肥大な図体である。頭のおかっぱは相変わらずであるが、その頭頂を水平に維持して、腹で水面を切り、前進してくる。

 ストムは口をぽかんと開けている。グレイグは急いで舎内に駆け込むと、何か大声で叫んでいるようだった。

 ああ、ああ、何て大きいのだろう。ロロは、船の校舎の全長に匹敵するくらいの身長を顕わにして、埋め立て地の岸に上陸した。短い足を踏み出す、その動作は、どこかぎこちないようだ——ストムは、この時やっと、このロロがメカの類いだと了解する。

 四方見回すと、いつの間にか多くの生徒やら教師が、窓や甲板から、巨大ロボットの一挙手一投足に注目している。ロロは陸に上がってからも、躊躇無く歩を進めた。ずんぐり胴に、今日は青のオーバーオールを纏っている。短足は長ズボンにぴっちりと覆われ、間近に見ると、グラが頭上に乗っかっているのが初めて分かる。彼は等身大で、目深に被った帽子から、鋭い目つきを覗かせている。

 赤い空を背景にしたロロロボットは、止まるところを知らず、学校に向かって直進を続けるから、皆やっと慌ただしく逃げ始める。本土から一本、細長い『腕』で繋ぎ止められた埋め立ての島から、ストムたちは一斉に後退する。ロロロボットの動作は、上陸してから一旦、徐となるが、ストムは腕を駆け渡っている間、崩れ去る轟音を聞いた。——振り返るとそこに、崩落していく自慢のシップである。全く、信じられない光景だ。このようなことが、果たして起こって良いものだろうか。——起こって良い、悪いなどを論じるのはナンセンスだ。が、今のストムの感想は、不信と事実とが平衡を保とうとしてやっと生まれ出た、解釈である。

 港の繁栄と華やかを象徴した陸上の大船が、喪失される、その刹那を目の当たりにするストムは、呆然と立ち尽くすことで、事の重大さを示している。指標の彼は、男の教師にさらわれて、本土へ避難する。突如現れたメカに抗う術も無く、もうこの日常は潮時だと言わんばかりに皆船を捨て去る。ただ、ストムはその壊れかけの日常を尚恋慕してやまない一人である。だから振り返るのに、見切りをつけた男の教師は、彼のつやつやな黒髪ごと頭部を引っ掴み、新たを見よと顔面を前に向ける。ストムの前半身は、陰となる。口元をきつく結ぶ。グーに握りしめた両拳を振りながら、少々俯く他にあるまい。

 航海士学校の者共が、一度に流入してくるわけだから、町も混乱する。セーラー服の一団が、こう鬼気迫って駆け込んできては、町人も無論何かあったと思わずにはいられまい。

 生徒の実家は、この町中に在ることが多い。けれども、寝泊まりは船である。これは、クルーと海上で寝食を共にすることに慣れる目的がある。だから、家族はストムが突如玄関に倒れ込んできたとき、何事かと驚いたのである。

 ストムは膝をついて、荒い息で、何度か咳き込んでから話し始める。

「あのね、お母さん、あのね」

 玄関には家族が集合している。両親に妹のジェファニーまで、二階の部屋から下りてきた。

「大きいロボットが、ロロの、大きい」

 ストムの口調はどうも明らかでない。

「ロロって?」

「ほら、前言ってた、あれ」

 家族は分からない。

「あれじゃん! 旅行に行った時の」

「何か、こけたってやつじゃない?」

 ジェファニーがやっと思い及ぶ。今度は父親が、「それがどうかしたのか」と問う。

「それの、巨大ロボットが、今そこまで」

「何馬鹿な事を言っているの? ストム。ちょっと家に帰りたくなったんなら素直に言えば良いのに。変な子」

「いいや!」

 ストムのただならぬ様は、母に浅薄な見当をつけられてしまった。人は一度理解したと言う気になると、なかなか認識を改めようとはしない。無知のままでは不安だからである。こうなると、ストムの主張はのれんに腕押しとなる。母はストムを労りながら、さっさと部屋の内へと運んでいく。

 木の廊下が続く、左に折れた所にあるリビングに連れられる。母は「熱を測りましょうね」とか言って、呑気に体温計を探している。そんな場合じゃないのに! ストムは大人しく座っていられず、立って庭に続く窓へ寄った。今のところ、あれの気配は無い。逃げ延びてくる生徒がまだまばらに一軒家の並ぶ通りを走っていく。——ストムは多少落ち着いた。

 席に着くと、母が体温計を持ってくる。「いいよ」と拒むが、強制的に挟められる。動きを縛られて、首だけ外に向ける。その時、ずうんと地面が揺れた。

 それをきっかけに、偏見は解けた。母も父もジェファニーも、皆ストムの報告の真偽を、今一度確かめようと集まる。窓からは遂に、坂を上がってくるロロのおかっぱが視認された。

「ああ! あれだ!」

 ストムは拍子に起立する。あちこち家々から人々が顔を出す。状況把握と狼狽の一連の様が、手に取るように分かる。ストム一家も同様であった。

 母は常日頃から用意していた非常時用のリュックサックを抱えてくる。父やジェファニーはなかなか家を離れようとしない。ストムはこのままでは家ごと踏みつぶされてしまうと警告する。——結局、四人で飛び出した。

 山に向かって駆けていく。麓に町の集会所がある。ストムは頻りにロロロボットの位置を確認する。あらゆる人々が、ストム一家の後ろについたり、抜かしていったりする。

 集会所に行き着くと、家族を残してストムは追跡するものの姿を認めようと出る。——無い。どこを見渡してみても、ロロロボットは、もういない。街は普段と変わらず、程良い茜に染まり……その奥に瓦礫と化した跡がある以外は、すこぶる平穏なのだ。

 集会所に戻ると、ロボットがもう追いかけてこないことを人々に触れ回る。皆、夕飯を食いに、着々家に戻り始める。あっという間に、港町の、元通りの日常が回復した。そして……ただ、学校だけが無残に崩壊した。

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