痛みを与える言葉
「なんだよ、あいつ」
駆けていくヨーコの後ろ姿を見つめながら、男子高校生の一人が呟いた。
「礼くらい言えっつの」
「まあまあ、拓人」
もう一人がなだめる。
「解ってないんだよ、あのコは。ブルーシャークもレッドイーグルも知らないんだから」
「…そうだな」
拓人と呼ばれた高校生は、ガムを噛みながらヨーコを目で追っている。
「あいつ、本当に無知なんだな。そのうち痛い目にあうぜ」
「俺たちには関係ねぇよ」別の一人が、肩をすくめた。
*
「あれは…」
隼人は、おじいさんが指し示した人物から目を離せなくなった。
死んでいる、その男。
確かに、見覚えがあった。腕の龍の刺青も、金髪も、ジャラジャラのピアスも。隼人の記憶の中にあるのと同じ姿だ。
「坂上…竜也…」
無意識に、その男の名を呟く。
ブルーシャークのリーダーだった筈だ。
何の時だったかは忘れたが、会って話したことだってある。
凶暴な男で、話し始めて数分もしないうちに殴りかかってきた。
もっとも、ずっと昔の話だが…。
「知り合いかい?」
おじいさんが訊ねてきて、ハッと隼人は現実に引き戻された。
「…イエ」
隼人は、硬直してしまった口元をなんとか上げた。
「気のせい、でした」
訝しげな表情を浮かべたままのおじいさんに頭を下げた。
…嫌な予感がした。
*
「岩波さん、どうしましょう」
派手な口紅。
高いヒール靴。
こんな格好が許されているのは、彼女が「筑摩麗奈」だからだ。
マドンナが現れた瞬間から、現場の警察官たちの目は釘づけになっている。
ある意味、公務執行妨害である。
「どうしましょう、って言われてもょぉ…」
岩波はため息をついた。
「俺だって途方に暮れてんだよ」
「あらぁ、情けない」
マドンナが白い指で岩波をつつく。
「岩波さんなら、何か解決策があるんじゃないかしらって期待してたのに」
「俺に期待するのが悪い」岩波は、あくまでも冷静を装った。
ただし、頬の筋肉がピクッとしたのを、マドンナは見逃さない。
「そんなことないわ。
あなたは、他の誰よりも信頼できる刑事だもの」
周りの警察官たちが、一斉に岩波をジトッと睨んだ。彼らは、こう思っているのだった。
“…こんなセリフをマドンナに言ってもらえたら、この世は薔薇色だ!”
が、岩波は薔薇色どころではなかった。
マドンナがこんな風に言うのは、必ず岩波を責めている時なのだ。
「一番最初に通報を受けた刑事は、あなたよね。
一番最初に現場についた刑事もあなた。
当然、犯人を捕まえているかと思ったわ」
微笑むマドンナ。
しかし、言葉は辛辣だ。
「あなたほどもあろう人が、犯人が逃げるのを阻止出来なかったなんて。
犯人は、よほど知能派ね」
「おいおい、俺は出来る限り急いで来たんだぞ。
着いた時には、もう犯人はいなかった。
俺が取り逃がした訳じゃねぇからな」
岩波は、イライラと説明した。
マドンナは微笑みを崩さぬまま、続けた。
「私は、あなたより遅く来たにも関わらず、もう犯人の目星はついたわ」
「なに!?」
岩波はギョッとした。
「ビックリしたかしら」
マドンナは楽しむように言った。
「教えてあげましょうか。私の推理」
岩波はブスッとして頷いた。癪だが、聞いてみなければならない。
マドンナはニッコリし、喋りだした。
「犯人を取り押さえようとして殺された男は、坂上竜也。ブルーシャークのリーダーよ」
「ブルーシャーク?」
その名は、岩波もよく知っていた。
レッドイーグルと並んで、街の裏で力を振るう少年たちの集団だ。
確か、レッドイーグルとブルーシャークは敵対していた筈だ。
「ブルーシャークのリーダーなんて、不良の中の不良よね」
マドンナが言う。
「彼が、通り魔を止めるなんて道徳的な行動に出たなんて、普通なら信じがたい話よ。でも、もし通り魔がレッドイーグルだったら?」
岩波は、目を見開いた。
…そうか!!
「もし、通り魔がレッドイーグルのメンバーだったなら…坂上は、犯人を捕まえて警察に引き渡そうとするだろうな…」
「そのとおりよ」
マドンナが不敵に笑う。
「警察が乗り出せば、レッドイーグルは大胆な行動は出来なくなる。
代わりに、ブルーシャークが街を占拠できるわ。
坂上はそれを見込んで通り魔を止めようとし、逆に刺されたのよ」
「…なるほど…」
岩波は舌を巻いた。
マドンナの言っていることは、理路整然としている。おそらく、犯人はレッドイーグルのメンバーなのだろう。
完全に岩波の負けだ。
「本庁に応援を要請して、はやくレッドイーグルを洗い出さなきゃ」
マドンナの目が、怪しく光った。
「楽しみだわ。今まで手をこまねいてきた不良達を、一網打尽にできると思ったら…ね」
舌なめずりするヒョウのような表情だった。
*
「隼人ー!!」
ヨーコは、広場の隅にたたずむ彼の姿を見つけた途端、笑顔になった。
仕事を邪魔してはいけないけれど、早く情報を伝えてあげたい。
彼女は、その一心だった。血の跡が生々しく残るフロアを駆け、隼人の元にたどり着く。
しかし、隼人はヨーコに気付いていない様子だった。綺麗な横顔は少し俯きがちになり、眼は宙を見つめている。
「はやと?」
ヨーコは、きょとんとして彼に歩み寄った。
「はーやーとっ」
目の前でブンブン手を振ってみせる。
それで、ようやく隼人は我にかえった。
「よっ、ヨーコ?」
隼人はビクッと震えた。
「何でこんなところに?」
「たまたま、よ」
ヨーコは微笑んだ。
白のシンプルなトップがよく似合っている。彼女の飾り気の無い、無邪気な表情に、隼人の胸がトクンと鳴る。
「何か考えてたの?」
ヨーコが聞く。
「あ、いや…そういう訳じゃないよ。ちょっとボーッとしてただけだ」
隼人は、少し笑ってごまかした。
本当は、深く思い悩んでいた。
けれど、そんなことをヨーコに言う訳にはいかない。ヨーコには心配をかけたくないし、何より、自分の過去を知らせたくない…。
隼人の気持ちを察したのか、ヨーコもそれ以上は聞かなかった。
代わりに、背伸びして隼人の耳元で囁いた。
「実はね、大事なこと聞いたの…」
「?」隼人は瞬きした。
「大事なこと?」
「うん。ちょっとでも隼人の役に立ちたいから、教えに来たの」
ヨーコは、真剣な表情だ。
「あのね。通り魔を止めようとして殺されちゃった人、坂上竜也っていうんだ」
「!」
隼人はビクンとした。
…なぜ。
なぜ、ヨーコがあいつの名前を知ってるんだ?
「ブルーシャークっていう団体のリーダーなの」
ヨーコが続ける。
「その団体、ミニチュア暴力団みたいなものらしくってさ。おっかないよね」
「あ…あぁ。そうだな…」ヨーコの言葉の一つ一つが、ガンガンと隼人に突き刺さる。
…どうして知ってるんだ、ヨーコ…??
「それでね…」
ヨーコが、一段と声を落とした。
「そのブルーシャークが、敵対してるグループがあるの。一応教えるね」
嫌だ、と隼人は思った。
イヤだ。
聞きたくない。
頼む、ヨーコ。
やめてくれ。
お前の口からは、その名前を聞きたくないんだ…。
しかし、ヨーコは隼人が何の反応も出来ずにいるのに気付いていなかった。
「“レッドイーグル”っていうんだ」
ヨーコが告げた。
「相当怖い集団みたい。
教えてくれた人達も、名前を言うのすら怯えてたから…。」
「…」
「ミニチュア暴力団なんて言われる程、酷いことばっかりしてたみたい…そんな人達、私きらい」
ヨーコは言い放った。
その言葉が、どんなに強く隼人に痛みを与えたかなど、知りもせずに。
「…はやと?」
彼女は、何も反応しない隼人を見上げた。
そして、首を傾げた。
隼人は、唇を噛み締め、うつむいていた。
言い知れぬ痛みが、心臓から血管を巡って、全身に広がっていく。
指先までが、ピリピリと痺れている。
痛い。
いたい。
今まで感じた、どんな痛みよりも…。
「隼人、大丈夫…?」
ヨーコが心配そうに隼人の顔を覗き込んでいる。
「具合悪いんじゃない?顔、真っ青だよ。休んだほうがいいよ…?」
「…ごめんな…心配させちまった」
隼人は、強ばった表情を、何とか笑みに変えた。
「俺は、大丈夫。教えてくれてサンキューな」
本当は、ちっとも大丈夫ではなかった。
痛くて痛くて、たまらなかった。
「ほんとに…?」
なおも、ヨーコは気遣うように見つめてくる。
彼女は背伸びして、隼人の額に手をあてた。
「はやく、隼人が元気になりますように……」