通り魔の被害者
「はやと!!」
ヨーコは叫んだ。
花火の広場に駆け付けてきた、警察官。
間違いない。
隼人だ。
しかし、周りの騒動に掻き消される彼女の声に、隼人は気付かない。
上司らしき、いかつい顔の男と共に、ヨーコとは反対の方向へと走っていく。
ほぼ同時に、他の警察官もバラバラと走り込んできた。
「皆さん、おちついて!」「落ち着いて下さい!」
「怪我人はどこですか?」
外からは、救急車のサイレンが聞こえてきた。
「一体、何が…」
ぼんやりとヨーコは呟く。近くで怯えていた小太りのおばさんが、答えてくれた。
「あら、何も知らないの?通り魔よ」
「通り魔…?」
「15分ほど前だったかしらねぇ。
黒ずくめの男が、いきなり叫びながら走ってきて…次々に人を刺したのよ」
おばさんは恐ろしそうに身を震わせた。
「怖かったわ。わたしの隣を歩いていた人も刺されたの」
「…!」
ヨーコも、ゾッとした。
通り魔は、無差別に人を襲う。
いつ自分が被害者になっても、おかしくはないのだ。
「その通り魔、捕まったんですか?」
ヨーコは、おばさんに訊ねてみた。
「今は、もういないみたいですけど…」
「逃げたのよ」
おばさんが顔をしかめた。「取り押さえようとした人もいたんだけどね。
…ほら、あの男の人」
おばさんが指し示したのは、血の海の中に倒れている若い男だった。
金髪に、ピアスだらけの耳たぶ。
腕には龍の刺青まである。ヤンキーにしか見えないな、というのがヨーコの第一印象だった。
しかし、その若者は、もうぴくりとも動かなかった。自分の血に浸かって、仰向けに倒れている。
眼は開いたままだったが、もう死んでいるのは誰の目にも明らかだった。
「あの人はねぇ、勇敢だったよ」
おばさんがポツリと言った。
「犯人が恐ろしくて、誰も取り押さえられなかったのに、あの人だけは立ち向かったのよ」
「でも、刺されてしまったんですね…」
ヨーコは、若者の死体から目を逸らしながら呟いた。見ているのが、つらい。
こんなショッキングな光景に出くわしたことは、今まで無かった。
辺りに漂う血の匂いに、吐き気すら覚えた。
広場は、黄色いテープで塞がれていき、外からの通行はシャットダウンされた。
次々に救急車が到着し、担架が運ばれてくる。
傷ついた人たちは、周りの人々に抱きかかえられて担架に乗せられた。
警察官たちは、そこかしこで事情聴取を行っている。ヨーコは、ハンカチで口と鼻をふさいだまま背伸びして、隼人を探した。
こんな時、ちょっとでもいいから声をかけてもらえたら。
そうしたら、この吐き気も、きっと安心に変わる。
隼人の仕事の邪魔をしてはいけないと解ってはいるものの、ヨーコは心から彼を求めていた。
*
「通り魔は、逃げたんですよ」
おじいさんが、ゼイゼイと言った。
「…逃げた?」
隼人が、表情を暗くする。誰も取り押さえることは出来なかったのだろう。
それにしても、逃げられたとなると危険だ。
第二、第三の事件が起こるかもしれない。
「どちらの方向に逃げましたか?駅ビルの外?中?」隼人は早口で聞いた。
「あっちの方です」
おじいさんは、駅ビルの奥を指さした。
その方向には、スーパーマーケットや惣菜売場が並んでいるはずだ。
今は朝早いのでオープンしていないだろうが、もう少しすれば人が増えてくる。そんな場所に犯人が潜んでいたら、大変だ。
「ご協力ありがとうございました!」
そそくさとお礼を言うと、隼人は走りだそうとした。しかし、おじいさんがパッと隼人の腕をつかんだ。
「やめなさい!」
おじいさんは、真剣な顔で隼人を見据えていた。
「えっ…でも、早く捕まえないと」
隼人は困惑して、おじいさんを見つめる。
おじいさんは、隼人をつかむ手に力をこめながら、一生懸命にひきとめた。
「行ってはならん!!
殺されてしまう!あの人のように…」
「あの人?」
隼人は訝しげに、おじいさんの視線を追った。
そこには、血だまりの中に倒れる男の姿があった。
*
「おい…あの死んでる男は…もしかして」
ヨーコの近くで、男子高校生の一団がヒソヒソ話し始めた。
「なあ、あいつだよな?」「ぁぁ…間違いねぇよ」
ヨーコは気になって、耳をそばだてた。
もし重要な情報が得られたら、隼人に教えてあげなくてはならない。
しかし、高校生達は更に声をひそめて喋っている。
子音ばかりが聞こえ、何を話しているかはわからなかった。
「あの…」
ヨーコは遠慮がちに話し掛けた。
「ちょっといいですか?」
男子高校生たちは、一斉に飛び上がり、パッと振り返る。
どうやら、相当驚いたようだ。
しかし、声の主が女子大生だとわかると、ホッとしたように肩を下ろした。
「あの殺された人、誰なんですか?
今、話してたみたいですけど」
ヨーコは小さな声で聞いた。
ヒソヒソ話していた高校生達の様子から考えても、堂々と聞くのはやめたほうが良さそうだった。
「知らねぇのかよ、お前。あいつ有名人だぞ」
高校生の一人が眉をひそめる。
もう一人が、しげしげとヨーコを見つめてきた。
「あんた、遊んでなさそうな女子だしな。
知らなくても不思議じゃねえかもな」
ヨーコは首を傾げ、高校生達を見つめ返した。
何の話をしているのやら、さっぱりわからない。
すると、とりわけチャラい男子高校生が、ヨーコに手招きした。
「耳貸せよ」
言われるがまま、ヨーコは彼に近づく。
もし耳に息を吹き込むような悪戯をされたら、ぶん殴ってやろう…とヨーコは思った。
しかし、高校生は悪戯することも無く、ヨーコの耳元で囁いた。
かすかな、消え入りそうな声で。
「…あいつは、坂上竜也。“ブルーシャーク”のリーダーだよ」
「ぶるーしゃーく?」
思わずヨーコは聞き返す。すると、男子高校生たちは飛び上がってヨーコの口をふさいだ。
「バカ!大声だすなっ」
「でも…」
ヨーコは仕方なくヒソヒソ声になった。
「ブルーシャークって?」
「有名なグループさ」
高校生が答えた。
「ミニチュア暴力団みたいなものだ。レッドイーグルと対峙してる」
何が何だか、ヨーコにはわからない。
けれど、有力な情報を得ることはできた。
…早く隼人に伝えなきゃ。
ヨーコは、男子高校生たちにお礼も言わず、駆け出した。