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その少年


「おい隼人!!」

岩波が怒鳴った。


不機嫌な印だ。


隼人は身を固くして、上司の前に棒立ちしている。

彼ですら、岩波のエネルギーには叶わないのだった。


早朝の交番に、刑事である岩波が現れるのは、珍しいことではない。

忙しい身でありながら、何故やってくるのだろうか?…答えは、ただ一つ。

隼人を見張るためだ。


「お前、まさかとは思うけどょ」

岩波はズイッと隼人に詰め寄った。

眉間の皺が、くっきりと見える。

「まだ、奴らと接触してんじゃないだろうな?」


「まさか」

隼人はぎこちない笑みを浮かべた。

「あいつらとは、完全に縁が切れてますって」


しかし、岩波は納得しないようだった。

チラホラと隼人を見やりながら、ゆっくりと彼のまわりを歩き始めた。


「…1週間前のことだ。

俺と仲のいいデカが、たまたまこの交番の近くに通りかかってょ。

見たんだそうだ。

お前が立川エレナと話してるのを、な」


…やっべぇ。


隼人は、顔をしかめた。

あの時は気付かなかったが、見られていたのだ。


エレナは今まで何度も補導されてきた。

この界隈では問題児として有名だ。

小学生すら、彼女を知っている。

エレナを扱ってきた刑事なら、遠くからでも彼女を識別できるだろう。


「どういうことなのか、説明してもらいてぇなぁ?

隼人」

岩波の顔が、くっつくのではないかと思うほど接近してきた。

「立川エレナ…確か、“レッドイーグル”のメンバーだったな?」


「…はい」

隼人は岩波を見つめて答えた。

顔同士がくっついてしまわないよう、注意しながら。


「いくら元カノだろうが、お前が容易く接触していい相手じゃねぇ筈だ」

岩波が低く唸った。

「お前、忘れたんじゃないだろうな?例の約束」


「忘れてません」

隼人が呟いた。

「ちゃんと覚えてます」

「じゃあ何で立川エレナと喋ってた!?」


ドンッ。


岩波がデスクを叩いた。

デスクが情けない音を立てて軋む。

しかし、隼人はぴくりともしなかった。

動じることなく上司を見ている。

「…あいつが勝手に来たんスよ」

彼は答えた。

「俺は、…迷惑してます」


岩波の不信の眼差しが、隼人の全身を舐めるように探った。

「例の約束。もう一度言ってみろ。

そのボンクラ頭に叩き込みなおせ」


隼人は、岩波から目を逸らし、瞼を閉じた。


…わかっている。

岩波と交わした約束は、この身に染みこんでいる。

彼が傍にいてくれたからこそ、隼人は今、警察官として生きているのだ。

元いた暗い世界から足を洗って…。


隼人は目を開け、その言葉を口にした。

「レッドイーグルのことは忘れる。

二度と戻らない。

二度と接触しない」


「そうだ。わかってんじゃねえか」

岩波が隼人を軽く睨み付けた。

どうやら、機嫌を直したようだ。

「今度、立川エレナと接触したら…俺はお前を突き出すぞ。元いた世界にな」


「勘弁してくださいよ」

隼人はふぅっ、と息を吐いて微笑んだ。

「俺の生きる世界は、もうここにしか無いんスよ」


「……わかってるよ」


少し間をおいて、岩波が言った。

「お前がこの世界の住人だってことは、俺が一番わかってる」


一瞬の沈黙。

そして。


「…プッ」

こらえきれず、隼人が吹き出した。

「岩波さん、今の似合わないっすよ…っ」


「何がおかしい!?」

岩波はムキになって怒鳴りつけた。

「お前がシケたこと言うから、わざわざ慰めてやったんだろうが!!」


「あ、慰めてくれてたんすか?

岩波さんに、あんなカッコいいセリフは似合いませんって」

隼人はクスクス笑った。


「おい隼人っ。どういう意味だ!?」


怒鳴りながらも、岩波も笑みをたたえている。

なぜか、隼人は憎めない。どんなに彼が減らず口を叩こうと、かわいいものに思えてしまう。


さっきまでの張り詰めた雰囲気が嘘のように、二人は笑い続けた。


久しぶりに笑った岩波は、隼人と出会った日を思い出していた。

あれは、ちょうど今日のような、涼しい夏の朝だった…。


それは、数年前のこと。

岩波は、ある殺人事件の犯人を追っていた。


カラオケボックスの裏の空地で、ポリバケツに入れられた男子高校生の遺体がみつかったのだ。

高校生は、全身アザだらけで、どう見ても暴行を受けたように思える。

警察は、早速捜査を開始した。


被疑者として捜査線上に浮上したのは、ろくに学校にも通っていない少年達のグループだった。


 “レッドイーグル”


少年達は、そう名乗っていた。

市内各地で暴れ回る彼らは、万引きやカツアゲは勿論のこと、店のショーウィンドウや車を破壊したり、暴行に及ぶこともしばしばだった。

ドラッグを使っているのではないかという情報もあった。


岩波は夜中、レッドイーグルのメンバーを探して街をうろつきまわった。

途中、数人の家出学生を補導した。

しかし、それ以外に収穫は得られない。

レッドイーグルのことを聞くと、若者達は震え上がって、何も話してくれなくなるのだ。


…クソッ。

どこにいる!?


岩波はイライラを募らせながら、街を走り続けた。

東の方から、夜の闇が晴れていく。

紫からピンクへ、ピンクから金色へと、空が色を変えていく。


一息つこうと、岩波は近所の寂しい公園に立ち寄った。

そこは、あまりに人気ひとけのない場所。

公園とは言っても、さびついたブランコしかない。

子供が遊んでいるのを見た例はなかった。


岩波は、ブランコに座れれば、それでよかった。

走り回った疲れをとりたいだけだった。


しかし、ブランコには先客が腰掛けていた…。


人目見て、岩波は戦慄した。

ブランコに座る少年の手が、血で真っ赤に染まっているのに気付いたからだ。


少年は、虚ろな眼をして、ただ座っていた。

岩波の存在にも、気付いていないようだ。


少年の長いくしゃくしゃの髪が、朝の風に揺れている。

岩波の妻が大好きなミルクティーの色に、よく似ていた。


「おい」


岩波は、気持ちを落ち着かせながら、声をかけた。


少年は、全く動かない。

眠っているかのようだ。

しかし、彼の暗い眼は、確かに開いていた。


「お前…“レッドイーグル”か?」


岩波が囁いた。


「…」


少年は、岩波を見ることもせず、かすかに頷いた。


風が吹いた。


夏の朝の、青い大気が、二人の間を通り抜けた。


「お前…その手どうした?」

岩波は、少年にゆっくり歩み寄った。

近づいたら、少年が突然暴れだすかも知れなかった。けれど、岩波は少しもそんなことを考えなかった。


感じたのは、少年の虚ろさだけ。


彼は、「空っぽ」だった。


それが、逆に痛々しかった。


「無視すんなょ」

岩波は呼び掛けた。

「手。血まみれだぞ」


「…」

少年は、石の如く動かない。

その眼は何も見つめてはいない。


「…面倒くせぇ奴だな」

ため息をつくと、岩波は少年の隣のブランコに腰掛けた。

「お前、名前は?」


「…」


「答えろよ。人が聞いてんだからょ」


「…」


「お前が答えるまで、俺はここにいるからな」

岩波は、大声で言った。

本当は早く補導すべきなのだが、できなかった。


何故?


そう聞かれても、理由などない。


ただ…


傍にいてやりたい。

この、空っぽの少年の傍に…。



パアッ。



急に世界が明るくなった。太陽が薄雲の間から昇ってきたのだ。


キラキラと、輝きながら。


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