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番外編〜事件後夜-6


「岩波さん。これから、この子のことを頼みますよ」

 コートを着ながら、保が深々と頭を下げた。


「ああ。大した力にはなれんと思うが…任せておけ」

 岩波が小さく頷く。


 拓人は、岩波の隣に立ったまま、ぼうっと保を見ていた。まだ、この人の息子になるということに実感が湧いていないのだ。しかし、拓人と保の心は、深い所でしっかりと繋がっていた。


「それと…岩波さん」

 部屋から出ていきかけていた保が、ふと足を止めて振り返る。

「隼人くんのことは…本当に、残念でした」



「…!」


 岩波は、急に押し黙った。動けなくなった、と言ったほうが正しいかもしれない。


 彼は、まだ隼人の話をすることが出来ない。三日前の出来事を思い出す度、胸が締め付けられて苦しくなる。



 そんな刑事の様子を見て、保は再び口を開いた。

「…岩波さん。辛いときは、私に、何でも言ってくださいね」


「…」


「息子を傷つけられた哀しみは、私が一番解ってますから」


 保は、知っていた。たびたび小さな喧嘩をしながらも、ぶつかりながらも、岩波と隼人の間には、親子に似た絆があったことを。


「…」

 岩波は、何も答えないまま、保を見つめていた。


「希望を忘れないで下さい。まだ、隼人くんは生きているんですから」

 保が微笑む。

「傍に、居てあげてください…私が、祐太の傍に居てやれなかった分まで」



 そして、訪問者は拓人に小さく頷きかけてみせると、静かに出ていってしまった。



 あとに、現実を信じられないでいる拓人と、動けないでいる岩波を残して。





 病室は、再び静かな夜を迎えようとしていた。窓からさんさんと差し込んでいた光の筋はいつの間にか消え、黄昏時の青い闇がベッドを包んでいる。


 椅子に腰掛け、意気込んで本を読んでいたエレナが、眠そうに目を擦った。

「ヨーコぉ〜。そろそろ銭湯行かない?あたし疲れちゃった」


「まだ三ページしか読んでないじゃない」

 ベッドの端に座っていたヨーコがニヤッとして、夏休みの宿題から顔を上げる。英文法の、長ったらしいワークブックだ。

「エレナ、五年も本に触れてなかったもんねぇ。読むのが遅いのも、当たり前かー」


 すると、エレナは膨れて、ヨーコの手から素早くワークブックを取り上げた。

「またそう言ってバカにするぅ。ヨーコだって、さっきから全然進んでないじゃないっ」


「だって、難しいんだもんっ!」


「そうかなぁ。ヨーコが授業中に隼人の妄想してて、何にも聞いてなかったんじゃないの?」

 

 それを言われて、ヨーコは押し黙った。何故なら、それは事実だったから…。

「とにかくさ。銭湯行こうよっ」

 エレナが元気よく言った。


 この三日間、二人の少女は病院近くの銭湯を利用している。ヨーコにとっては、初めての体験だ。珈琲牛乳を売っていることや、湯船に浸かった時、目の前に広大な富士山の絵が広がることに驚いた。


「ねっ。行こっ」

 エレナがピョン、と椅子からベッドに飛び移る。スプリングが大きく軋み、ヨーコは隼人の上にデーンと投げ出された。


 勿論、それで隼人が目覚めることは無い。しかし、ヨーコは一瞬「起こしちゃうじゃない!」とエレナに怒鳴りそうになった。本当は、「起きてほしい」と心から願っているのに…。



「わかった。行こうか」

 少し名残惜しさを感じながら、ヨーコは隼人の身体から上半身を起こす。早く離れなければ、彼の温もりを感じて、泣きそうになるから…。



 ちょうどその時。



「邪魔するぞ」

 男の声がして、病室の扉がゆっくりと開いた。


「岩波刑事!」

 弾かれたように、二人の少女が立ち上がる。


 現れたのは、岩波だった。ざっくりとしたコートを脱ぎながら、表情一つ変えずに入ってくる。彼が病室にやってくるのは、事件当日以来、三日ぶりだ。

「桐原。お前、俺に用があって署まで来たそうだな。麗奈から聞いた」

 

「あ…はい」

 ヨーコは緊張しながら頷いた。岩波がいると、空気がピィンと張り詰める。それをものともせず彼と付き合えるのは、マドンナと隼人位なものだろう。


 刑事は、隅のクローゼットにコートを掛けた。

「用とは…隼人のことか?」



「…はい…」

 ヨーコは、床に目を落とした。

「どうしても、隼人を撃ったのが誰か、知りたかったんです。でも、もう会いました…さっき」


 その言葉に、エレナがサッとヨーコに視線を走らせる。

「会ったの?…坂上優也に?」


「会った…」

 ヨーコは、床を見つめたまま、ふわりと隼人の横に腰を下ろした。

「会わなきゃよかった…」




 会わなければ、あんな残酷な言葉を聞かずに済んだのに。




「…」

 岩波は、無言で灰色のネクタイを緩めた。その厳しい顔つきに、二人の少女は本能的に息を潜める。刑事は、チラリとも二人を見ようとせず、何かに腹を立てているような雰囲気を醸し出していた。


「立川。悪いが、少しの間だけ席を外して貰いたい」

 それが、沈黙の後に岩波が低い声で告げた言葉だった。

「いいな?」


「…うん」

 エレナは、素直に頷く。彼女は、この刑事の言うことには反発できなかった。


 エレナにとって、他の大人達と岩波とは、全く違う。それが何故なのかは、よく解らない。隼人が岩波を慕っていたからかもしれないし、事件の夜、救急車の中で、岩波がエレナに全ての真相を話したからかもしれなかった。



 エレナは、ベッド脇に転がっていたスポーツバッグをひょいと肩にかけ、ヨーコに微笑み掛けた。

「あたし、銭湯行ってくるから。ゆっくり喋っててよ」


「あ…うん…ありがと」

 ヨーコは、歯切れの悪い返答をする。いざ岩波と二人きりになると思うと、身体が強ばってしまうのだ。


 すると、ヨーコの気持ちを察したのか、エレナはそっと囁いた。

「大丈夫。隼人が一緒だから」


 ヨーコの瞳が、一瞬にして輝いた。『彼』の名が、彼女の中に奇跡を起こしたかのように。



 これを見ていて面白くないのは岩波だ。刑事は、憮然として言った。

「なんだよ。俺と一対一ってのは、そんなに恐ろしいモンなのか?」



 ──まさに、その通りである──と言わんばかりに、二人の少女がこくんとした。


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