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番外編〜事件後夜-5



 ちょうど、その時。


 聴取室の扉が、コンコンッとノックされた。

「岩波さん。お客様よ」

 マドンナの声だ。


「今、取り調べ中だ」

 岩波は大きく息をつき、自分を落ち着かせる。サッと目配せすると、拓人が慌てて立ち上がり、パイプ椅子に腰掛けた。流石に、取っ組み合いをしていたとマドンナにバレるのは都合が悪い。


「是非、今会いたいそうよ」

 扉の向こうから、マドンナが言った。

「庄司保さん。拓人くんにも、会いたいのですって」


  ビクン!


 保の名を聞いた途端、拓人が震えた。


 逮捕された時、保がどんなにショックを受けていたか、拓人は知っている。自分には会わす顔がないことも、よく解っている。


 しかし、岩波が問い掛けるように拓人を見つめると、彼は力なく頷いた。逃げ続ける訳にはいかないということも、少年は知っていた。




 聴取室に入ってきた保は、拓人が逮捕されてからの三日間で更にやつれ、みすぼらしくなっていた。岩波に案内され、くたびれた黒いコートをパイプ椅子の背にかけると、彼は甥の前に腰掛けた。


「茶でも、用意しよう」

 岩波が呟き、立ち上がる。しかし、保は刑事の顔を見て、首を横にふった。

「いえ。結構です」


「…そうか」

 軽く頷き、岩波は席に戻る。大人二人が、少年に向き合って座る形になった。

「拓人。お前の日記を読んだよ」

 保が、話し始めた。

「悪いが、勝手にお前の机の引き出しを開けてしまってね…そしたら、これが入っていた」

 保は、机の上に一冊の大学ノートを置いた。随分とボロボロになってしまっているノートだ。表紙は折れ曲がり、所々破けている。


 少年は、嫌なものでも見たように、ノートから目を逸らす。代わりに岩波がノートを手に取った。

「ほぅ…拓人は、日記をつけていたのか」

 パラパラとページをめくると、シャープペンシルで書き殴られた言葉の端々が、目に飛び込んでくる。




『父さんが憎い』

『母さんが怖い』

『本当に、祐太の代わりに俺が死ねばよかった…』



 日記は、二年前の祐太が殺された日に始まり、通り魔事件の前日まで続いていた。最後のページには、こうあった。


『もう、何もかもどうでもいい。』



「拓人。お前がこんなに苦しんでいることを、私は全く知らなかった…」

 保が、ゆっくりと言った。

「私は、お前の心の叫びに気付いてやることが出来なかった。…私が拓人を支えてやれていたら。拓人は、こんな事件を起こさずに済んだかも知れない…私にも、事件の責任はある」



「そんなことねぇよ…」

 拓人が呟いた。

「何でそんなこと言うんだよ。おじさんは何も悪くねぇよ…」



 保は、疲れた顔で、しかし優しく微笑んでいた。

「拓人。罪を償ったら、私のところに養子にきなさい」



 病院の廊下では、いつも沢山の人が行き交っていた。点滴を刺したままの人、車椅子に乗っている人、松葉杖の人。医者や看護師、患者の家族、見舞客。たまに、注射から逃げ出した小さな子供が駆けていく。


 そんな雑踏を、ヨーコは俯きがちに歩いてきた。


 結局、岩波に会うことは出来なかった。事情聴取が長引いていたからだ。マドンナは聴取が終わるまで待っているよう言ってくれたし、待ちくたびれないよう、お菓子まで出してくれようとた。しかし、ヨーコはそれを断った…。早く、隼人の顔が見たくなったから。


「ただいまー」

 明るい声を出すように気を付けながら、ヨーコは病室のドアを開けた。ベッドに近づくと、まるで光の世界に迷い込んだような穏やかな眩しさが、ヨーコの視界を覆い尽くす。


 病室には、正面に大きく開いた窓があり、それに沿うようにベッドが置かれている。だから、窓から差し込む光は、朝日であろうと夕日であろうと、必ずベッドを包み込むのだ。


 

 光の中で、隼人は眠り続けていた。ヨーコは、バッグを椅子に置き、すぐさま隼人の手を握りしめる。そして、その手の温かさを確かめると、ようやく安心して息をついた。


 彼女の頭の中では、優也の暴言が何度もリピートされていた。



 ───『早く死んじまえばいいのに』───



「いや…」

 ヨーコは唇を噛みしめ、激しく首を横に振った。

「いや。絶対に、隼人を死なせたりしない…!」


 ───絶対に。


 あたしは、ずっとずっと、隼人の傍にいるから…。



「ヨーコ?」

 遠慮がちな声がして、すぐ後ろに人が立つ気配がした。

「大丈夫?何かあったの?」


 ヨーコが振り返ってみると、そこにいたのはエレナだった。怪訝そうな表情をして、ヨーコを見つめている。夕日に照らされ、ミルクティー色の髪が、黄金色に輝いていた。


「…何でもないよ…」


 ヨーコは、強ばっていた口元を何とか上げた。本町署で優也に言われたことを、エレナに話す気にはとてもなれない。

「エレナは?どこか行ってきたの?」


「うん、まあね」

 エレナは、風に乱れた髪を指で梳いた。一日中隼人を見守っていた彼女は、少し足を伸ばそうと駅前まで行ってきたのだ。右手に重そうな書店のビニール袋を提げている。中に入っている本のタイトルが、うっすらと透けて見えた。



《介護士になろう〜資格取得は、この一冊におまかせ!〜》



「えっ!」

 ヨーコは思わず、大きな声を上げる。

「エレナ、介護士を目指すの!?意外だなー」


 パッ、とエレナが真っ赤になった。

「意外とは何よっ。あたしだって、ちゃんと考えて決めたんだからねっ」


「ご、ごめん…」

 エレナの鋭い目付きに驚いたのか、ヨーコの声のトーンが、しゅん、と落ちる。流石はレッドイーグルのメンバーだけあって、エレナの醸し出すオーラは威圧的なのだ。


 しかし、当のエレナは、ヨーコの反応を面白がるようにクスクス笑っている。そして、本の袋をヨーコのバッグの隣に置いた。

「…あたし、今まで目標とか持ってなかったからさ。この機会に、何か目指してみようかな、って思って。介護士の資格を取れば、隼人のお世話もどんどん出来るし、一石二鳥でしょ?」


 ヨーコが、感心してため息をついた。

「すごい…よく決心したじゃん。今まで、学校にも行ってなかったのに…」


「すごいでしょーっ」

 エレナが胸を張る。

「ま、色々ヨーコにも教えて貰うけどねっ。だって、あたし本読むの5年ぶりなんだから」


 これには、ヨーコも唖然とした。






「私の養子になりなさい。拓人」



 保がにこやかに言った。

「お前は、もう親の元に戻る気は無いだろう?」


「そうだけど…でも」

 拓人は、ひたすら当惑している。

「なんで…急にそんなこと言われたって…」


「私は、お前ときちんと向き合ってみたいんだよ」

 保が答えた。

「理由は、それだけだ。…嫌か?」


「嫌じゃないけど…」

 拓人は、チラッと岩波を横目で見た。どうしたらいいか、迷っているようだった。


「自分のことは、自分で考えろ」

 岩波はプイッと横を向いてしまう。

「俺に聞いてどうする」


 拓人は、今度は猫背気味になり、恐々と保を見上げた。

「おじさん…俺のこと、怒ってんだろ?」


「勿論。怒っているよ。お前は人を殺した。それは、決して許されることでは無い」

 保が答える。


 すると、少年は「やっぱり」と言わんばかりに身をすくめた。彼は、ただ怖がっていたのだ。自分の存在を、拒絶されてしまうことを…。


「…だがな、拓人」

 保は、真っ直ぐに少年を見つめ、その両肩に手を置き、前を向かせた。

「勘違いしないでくれ。私は、お前を信じている」


「…」

 拓人が、叔父を見つめ返す。


 保が続けた。

「信じているから、怒るんだよ。…お前を信じていなければ、わざわざこんな所に足を運んだりはしない。養子の話を出したのも…お前が変われると、確信しているからだ」


「…」


「だから、お前も信じてほしい。私は、いつでもお前を待っているんだよ」


 


 拓人の唇が、小さく震えた。


 こんな風に言ってくれる人が、こんなにも近くにいたなんて。彼は、今まで気付いていなかった。



「養子に…なってくれるか?」

 保が、再び尋ねた。


 少年は、無言で頷いた…。


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