番外編〜事件後夜-4
二人が睨み合いを初めてから、四時間が経った時。
「祐太が死んだとき…さ」
拓人が、ぽつりぽつりと話し始めた。
「保おじさんは、すごく悲しんでたんだ。一晩で頭髪が真っ白になっちまって…。一人息子が殺されたんだから、当たり前だけどね」
「ああ、その時のことは、俺もよく覚えてるよ」
拓人が話しだすのを待ちくたびれた様子も無く、岩波が答えた。
「通夜の席で、保は俺に掴み掛かったもんだ。『早く、祐太を殺した犯人を捕まえてくれ』ってな…」
「保おじさんは、本当に祐太のことを、大事に思ってたから…」
拓人が呟いた。
「…祐太は、幸せだよ。死んだときに、親にあんなに泣いてもらえたらさ。──それに比べて、俺の親は…例え俺が殺されたって、俺の為に泣いたりはしないんだ…」
「…何故?」
岩波の眉が、ピクッと上がった。
「何故そう言い切れる?」
シンとした聴取室の中、拓人が切なげに笑った。
「祐太の通夜のとき。俺の親が、保おじさんに何て言ったと思う?」
「…知らん」
刑事は、拓人を真っ正面から見つめ続けた。
「『祐太の変わりに、拓人が死んでくれたら良かったのに』って、言ったんだよ」
拓人が、顔を歪め、吐き捨てるように言った。
「『祐太みたいな優しい子が殺されるなんて、可哀想だ。殺されるなら、出来の悪い拓人の方がマシだった』って…──っ」
少年の肩が、小さく震えだす。思い出したくもなかった、辛い記憶。それを口にしたことで、拓人の感情が高ぶってしまったのだ。
「俺…確かに、頭は悪いし、遊び回ってたけど…まさか、親にそんな風に言われるなんて、夢にも思ってなかった…」
両親の愛を、信じていたのに。少年の心は、裏切られ、打ち砕かれた。
「この二年間、親に認められたくて、頑張って勉強したんだ…」
拓人が声をも震わせながら、俯いた。
「成績が良いときは、親も喜んでくれたよ。だけど、テストで少しでも悪い点を取ると、すぐ不機嫌になるんだ…。そんなことを繰り返してるうちに、だんだん、親を喜ばせる為に頑張るのが、イヤになっちまって…」
「…うん。それで?」
岩波は、静かに続きを促す。
「もう、親にどう思われようが構わないって思った」
少年が呟いた。
「…それで…逆に、親を困らせてやりたくなって…」
「で。通り魔事件を起こしたって訳か」
岩波があっさりと言った。
「親を困らせる為に、か。なるほど。確かに、お前の親は今頃困っているだろうな。息子が人を殺したんだ。世間体も何も、あったもんじゃねぇ」
「…」
拓人は、顔を上げた。岩波が、自分の言い分を解ってくれたように感じたのだ。しかし───。
「ふざけてんじゃねえぞ!」
バシーン!!
雷のような怒鳴り声思いっきり横っ面を張られ、拓人は椅子ごと床に倒れこんだ。
ガッシャーン。
派手な音が、部屋中に反響する。
「いっ…てぇ…!」
拓人は、ぶたれた左頬を押さえ、床に転がった。
「…何すんだよっ…!」
彼は、痛みに目を潤ませながら、キッと刑事を睨み上げる。
「バカにはこれ位してやんねぇとな」
岩波が冷たい目で、拓人を見下ろしていた。仁王立ちになり、憤怒の形相だ。
「『親を困らせたかった』だ?ちゃんちゃらおかしいゎ。そんな理由に、俺が同情してやると思ったか?甘えるのもいい加減にしろ!」
「な…」
拓人は唖然とした。
「なんだとぉ…」
急に立ち上がると、目にも止まらぬ速さで岩波に殴りかかる。
しかし、岩波は一枚上手だった。拓人の拳が襲い掛かる一瞬前に身をかわすと、勢い余ってつんのめりかけた少年を、いとも簡単にクルリと投げる。
拓人の身体が綺麗な円を描いたかと思うと、次の瞬間、床に叩きつけられた。
「ウッ…!」
背中を打ち付けた衝撃で、少年が小さく呻く。それでも、彼は再び立ち上がろうとした。
「バーカ。もう勝負はついてんだよ」
岩波が髪を掻き上げながら言った。
「相撲ではな。地面に身体がついた途端、負けが決まるんだ」
岩波は、拓人に馬乗りになるような格好になっていた。少年は、もう動きたくても動けない。
「キレたら、すぐに手足が出る。それが、お前のガキな所だ。反抗したけりゃ、言葉と頭を使え。それでこそ大人の男だ…暴れるだけなら、そこら辺の天井猫でもできるぞ」
刑事の視線は、矢のごとく少年を串刺しにした。
「甘えるな!」
岩波が一喝した。
「親に認めてもらえないのが悔しいなら、努力して見返すしかないんだよ。それも出来ないで、通り魔なんぞして暴れやがって!」
「…」
「もし暴れるしか出来ないなら、一人でやってろ!自分の苛立ちをぶつけて、何の関係も無い人間を傷つけるなんて言語道断だ!自己中心的なのにも程がある!」
「じゃあ、どうしろってんだよ!」
拓人が大声を出した。
「俺は、暴れるしかなかったんだよっ。それに、もう逮捕されちまったしよ。刑事サンがどんなにお説教しようが、俺は変われねぇんだよ!」
「いや、変われる!」
岩波が、グッと拓人の胸ぐらを掴み上げた。
「俺は、知ってるんだ。毎日喧嘩することしか知らなかったのに、立ち直ってみせた奴をな!」
───隼人。
お前が、俺に教えてくれた。『叶わない目標は無い』ってな…。
「庄司拓人」
岩波は息を荒げたまま、少年を見つめた。
「お前は、自分勝手な人間だ。甘っちょろい人間だ」
「…」
拓人も、フーフーいいながら岩波を見上げている。
「お前は、人を傷つけた。最低の人間だ…だがな」
刑事の声と共に、二人の瞳が、重なった。
「最低の人間でも…ずっと最低のままじゃねえ。変われるんだよ」
岩波は、最後の一言に力を込めた。
「だから…これからは、俺の話をよく聞け。暴力は無しで、だ。そうしたら、俺もお前の話を聞いてやる」
「…」
拓人の瞳の中に、小さく光が差した。
「お前が、俺に全てを話してくれたら──俺は、お前のことを諦めたりはしないからな」
岩波は、そう言うと拓人の胸ぐらから手を離し、ゆっくりと立ち上がった。
拓人は、そのまま床に転がっていた。
やろうと思えば、岩波に再び殴りかかることもできる。
しかし、少年は動かなかった。
「岩波サンさぁ…」
少年の口から、小さな声が漏れた。
「俺の話…聞いてくれんの?」
その台詞に、岩波はハッとして目を見開いた。
拓人が発した言葉は。
昔、隼人が岩波に発したものだったから。
「バーカ」
刑事は、胸が締め付けられて苦しいのを何とか抑えながら、ニッと笑ってみせた。
「当たり前だろう?」
拓人の瞳は、岩波を見つめ続けている。
そこに、睨み付けるような色は、もう無かった…。