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番外編〜事件後夜-2



「あの、今…岩波刑事は、お仕事中ですか?」

 しどろもどろにヨーコが聞く。何だか、フロアの雰囲気がとても重苦しいことに気付いたのだ。


「岩波さんは、通り魔事件の事情聴取をしてるわ」

 マドンナが刑事たちの頭越しに答える。

「桐原さん、遠慮しなくていいわよ。いらっしゃい」



 マドンナが事情聴取をしている場所は、ちょうどフロアの入り口と対角線上にある。ヨーコと会話するには、かなり不都合だ。



 ヨーコは、刑事たちに小さく頭を下げながらやってきた。本人は礼儀正しくしているつもりなのだが、ちょっとピョコピョコして見えて、子供が大人ぶっている時のような可愛らしいイメージになってしまう。


 今日のヨーコは、オレンジ色のワンピース姿。しかし、ヨーコの表情は、ワンピースの夏らしい明るい色とは正反対に沈んでいた。


「…岩波さんのお仕事が終わるまで、待っていてもいいですか…?」

 少女は、憔悴しきった眼でマドンナを見つめる。


「勿論よ」

 マドンナが、男性刑事の憧れの的になっている笑顔で答えた。

「どうしたの?岩波さんなんかに会ったら、もっと顔が暗くなっちゃうわよ」


 そんなマドンナの辛口な冗談も、今のヨーコには響かないようだった。彼女は、伏し目がちになりながら言った。

「隼人のことで、相談したいことがあって…」



 その名がヨーコの唇から漏れた瞬間。



 ついさっきまでマドンナと睨み合っていた優也が、いきなり笑いだした。


 猟奇的な笑い方だった。氷のように冷たくて、無機質。フロアにいた誰もが、背中を走る悪寒にゾッとした。


「“隼人”のことで相談、ねぇ…」

 優也がケラケラとヨーコを見る。

「あいつ、どうなったの?ちゃんと死んでくれた?」



「え…───」


 突然の残酷な言葉に、ヨーコの身体が一瞬にして強ばった。



 しまった、とマドンナは臍を咬んだ。ヨーコは、まだ事件のショックの最中さなかにいる。そんな時に優也の暴言を聞いてしまったら、どんなに傷つくか。マドンナですら、苦しくなるような怒りを覚えているというのに…。



「ここよりも、応接室で待っていたほうが良いと思うわ」

 マドンナは、優しい声でヨーコに言った。とにかく、早くヨーコと優也を引き離さなければ。

「誰かに案内してもらいなさい───」


 しかし、既にヨーコの意識は、笑い続ける優也にしか向けられていなかった。



「どういう意味…?」

 彼女のガサガサの唇から、今にも消えてしまいそうな声が出る。

「『ちゃんと死んでくれた?』って───」



「言葉通りだよ」

 優也がサラッと言った。

「あいつが消えてくれなきゃ、ボクが救われないね。まだ生きてるなら、早く死んじまえば良いんだ」


 ヨーコの瞳が大きく見開かれたのを、マドンナは見た。



 次の瞬間。



  バーン!!



 音と共に、ヨーコが優也に掴み掛かった。


 衝撃で、優也は壁に激突する。書類がバサバサと音を立てて雪崩れた。

 

「桐原さ…!」

 マドンナが止める間も無かった。


「あんたが…!」

 優也の胸ぐらを掴み、壁に押しつけながら、ヨーコが叫んだ。

「あんたが、隼人を撃ったのね!?」


「…そうだよ…」

 優也は、ヨーコに首を絞められているというのに、平然と笑っている。

「余りに昔と雰囲気が違うんで、最初は隼人だとは気付かなかったよ」


「…」 


「あいつがボクの兄貴を殺した男だと解った時は、憎くて憎くて、身体が泡立つみたいだった。だから、迷わず撃った。ボクは、憎い相手に仕返しができたんだ…!」

 優也の眼が、ランランと輝いた。


 彼の表情は、狂喜と呼ぶしかないだろう。


「どうして…」

 ヨーコの眼から、涙が溢れてくる。

「どうして、そんなに淡々と話せるの…!?」



 確かに、隼人は優也の兄を殺してしまった。それは、偶然起きた『事故』。

 しかし、隼人は正当防衛が認められた後も、ずっとそのことで苦しんできた…。


「隼人だって辛かったのに…どうして!!」 ヨーコは、力の限りに優也の頬を打った。パシィン、と鋭い音がフロアに響く。



「…わかるよ。大切な人を傷つけた人間は、憎いだろ…?」

 優也は叩かれた痛みをものともせずに、せせら笑ってヨーコを見た。

「殺したい位、憎いだろ…?」



「そうよ!!」

 ヨーコが叫ぶ。その声は、悲痛な切なさを持っていた。

「憎いわよ…本当に、殺してやりたいわよ!」

 彼女の手が、拳となって振り上げられる。



「桐原さん!」

 マドンナが、少女を止めようと一歩を踏み出した。

 しかし───。




 ヨーコは、力なく手を下ろした。優也の胸元を押さえ付けていた手も、スルッと下に落ちる。ぺたんと床に膝をついたかと思うと、彼女はそのまま小さな嗚咽を洩らし始めた。



「な…なんだよ」

 優也は、ゲホゲホと咳き込みながら、拍子抜けしたようにヨーコを見た。

「殴るなら殴れよ!」



「殴りたい…あんたを殺したい…」

 ヨーコが、ぐっと顔を拭う。しかし、塩辛い水は、後から後から、彼女の頬を流れて伝った。

「…でも、出来ない…」



 今や、フロアにいる人間の視線は、全てヨーコに向けられている。静まり返った中で、少女の嗚咽混じりの言葉しか聞こえない。



「あたしが、あんたを殺したら…何も変わらない──」


 兄を殺された恨みを、隼人にぶつけた優也。隼人を傷つけられたヨーコが、仕返しをしたら。また、誰かが悲しみ、憎しみを抱く…。


「こんなこと…繰り返したくない」

 ヨーコが、涙声で続ける。

「あんたも、わかるでしょ?大切な人を失ったら…どんな気持ちになるか。苦しいんだよ…」


「…」


「こんな気持ち、他の誰かがまた味わうことになるなんて。そんなの、嫌…」


「…」


「それに」

 ヨーコは、鼻を啜った。

「あたしが仕返ししても、隼人は目を覚ましてはくれない。喜ばんだりもしない…それは、あんたのお兄さんだって、同じだよ…」


 兄の話が出たとき、優也がヨーコをジッと見つめた。呆れたような、馬鹿にしたような、けれど虚ろな顔で。


 ヨーコは、涙をこらえて話し続ける。それが優也に向かっての言葉なのか、自分に語りかける言葉なのかはわからない。しかし、優也を見る彼女の瞳は、凛とした光を放っていた。


「隼人と約束したもん。人を幸せにする、刑事になるって」


「え…」

 声を洩らしたのは、マドンナだった。

「桐原さん…刑事に、なりたいの?」


 こくん、とヨーコが頷く。

「小さい頃からの夢だから」


 どんなに周囲に反対されようと、心に抱き続けてきた夢。


「隼人とも、約束したから…」


 あの日。アルコールランプの光の海で。


「だから…」

 ヨーコは、優也を見つめた。涙に濡れた顔で。

「あたしは、もう、繰り返さない───」


 誰もが持つ、大切な人と笑いあえる幸せを。


 壊したくないから。



「あなたも、気付いて…」



 優也の足がふらつき、床に崩れ落ちた。擦れた叫びが、彼の口から絞りだされる。

「───じゃあ。この気持ちを、どうしろっていうんだよ!!」


 兄達を亡くした悲しみを。憎しみを。虚しさを。


「誰かにぶつけなきゃ、やってらんない…!」



「私たち刑事が、あなたの気持ちを受けとめるわ」

 マドンナが、静かに言った。

「私たちの仕事はね。犯人を捕まえるだけではないのよ。同じ過ちを繰り返さない為に、被害者や加害者の想いを聞くのも、大切な役目だわ」



 優也が、マドンナを見上げた。マドンナが、少年を見下ろした。もう、二人の間に火花は散らない。


「騙されたと思って、私たちにあなたの気持ちを話しなさい。悲しみは、癒えないかもしれないけれど…誰かと気持ちを分かち合えば、心は落ち着くものよ」


 

「…うぅ…っ」

 優也の身体が震え、クシャクシャに歪んだ顔から、ぽたぽたと涙が落ちた。



 彼の中で捻じ曲がってしまった何かが、変わり始めようとしていた。


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