彼の思い描いた目標
重苦しい空気の中、皆が手術の終わりを待っていた。隼人の無事を、祈りながら…。
その時、エレナの頭の中では、先ほど岩波に教えられたことが渦巻いていた。
それは、隼人がレッドイーグルを抜け、警察官となった、本当の理由。
*
『こいつは。お前たちレッドイーグルの為に、警察官になったんだよ』
岩波が、救急車の中で、そうエレナに告げた。
ストレッチャーに乗せられた隼人は、人工呼吸器をつけられ、あっという間に様々な管に繋がれていく。
『え…?』
エレナは、そんな隼人から目を離し、岩波を見つめた。
『嘘よ。だって、隼人言ってたもん。“喧嘩するのが嫌になったから、レッドイーグルを抜けたんだ”って──』
昔。
ムーン・リヴァーがBGMとして流れるバーで、並んでシャンパンを飲みながら…確かに、隼人はそう言った。
『それも、理由の一つだけどな』
岩波が静かに言った。その手は、隼人の手を無意識に握りしめたままだ。
『こいつ、俺に言ったんだよ。もし、自分が一人前の刑事になって、周囲からも認められたら…レッドイーグルの仲間も、希望を持てるんじゃないか、ってな。どんなに不良で、どんなに世間から見放されていても、幸せになれるということを──隼人は、お前らに証明しようとしてたんだ』
エレナは、ただ黙って聞いていた。岩波の話は続く。
『それを聞いた俺は、隼人がレッドイーグルと接触するのを禁じた。一人前になる前に、また元の世界に戻っちまうことの無いように。だが、お前は、隼人に棄てられたように感じただろうな』
エレナが、頷いた。
隼人がレッドイーグルを抜けてから、ずっと、そう思ってきた。
自分は、隼人に棄てられた。これからも、独りぼっちなのだと…。
『だがな。隼人は、レッドイーグルの事も、お前の事も、忘れたりしなかった』
岩波が言った。
『そうじゃなきゃ、こいつは警察官になんかなれなかった。したことも無い勉強をして。暴力を振るうのもやめて。真面目に、横道に逸れる事なくやってこれたのは、確実な目標があったからだ』
───レッドイーグルに、希望を与えるという目標が…。
『───隼人は、新しい彼女を見つけた。でも、恋人という感覚では無かったにせよ、“立川エレナ”のことを忘れた日は無かった。だから、俺は毎回、隼人に言い続けてきた。目標を達成するまでは、立川エレナに接触するな、と』
岩波は言葉を切った。そして、エレナを一瞬だけ見て、また目を伏せた。
『お前が、隼人に棄てられたように感じたのは、ある意味俺のせいだ。──隼人を恨むな。俺を恨め』
いつの間にか、エレナの肩が震えていた。目からは、乾くことなく涙が溢れてくる。
『今までは、恨んでたょ。あたしを、独りぼっちにした隼人のこと。大好きだけど、恨んでた…。でも、もう恨んだりしない。隼人も、あなたも───』
彼女が、涙の間から、何とか言った。
『あたし。独りぼっちなんかじゃ無かったんだね…』
『あぁ』
岩波が頷いた。
『この世に、本当に独りきりの人間なんていねぇよ』
救急車が病院にたどり着いたのは、そのすぐ後のことだった。
*
『手術中』のランプが、フッと消えた。
「終わったみたいですね」
松田が呟く。殆ど同時に、ステンレス製の手術室の扉が開いた。
中から、青い手術服に身を包んだ医者が一人出てきて、一同に軽く会釈する。
誰もが、張り詰めた緊張の中で、医者の言葉を待った。
「出来る限りのことは、尽くしました」
医者が、マスクを外しながら言った。
「どうぞ、中へ。ご家族の方には、後でお話を致します」
松田が先頭に立ち、次にマドンナが椅子から立ち上がった。
エレナとヨーコは一瞬譲り合ったが、結局、一緒に並んでマドンナに続いた。