危機と蝉
「ずいぶん派手にやってんな」
彼の黒髪が風に揺れて、たなびいている。
今は、警察官。けれど、ブルーシャークにとっては、今も畏れの対象となっている人物。時を経ても、彼の喧嘩強さは、伝説のように残った。
「隼人…!」
エレナが、その名を呼んだ。
「あ…」
倒れていた臼井も、息を呑む。レッドイーグルもブルーシャークも、戦いを中断し、現れた青年を見つめ続ける。恐らく、もうどちらの味方でもない彼を。喧嘩を止めに来たであろう彼を。
「何だよ。お前が登場しただけで喧嘩が終わっちまうなんて、つまんねぇな」
後から現れた岩波が、ボソッと言った。
「岩波さん、喧嘩したかったんスか?」
隼人が意外そうに聞く。
「ちょっと、久しぶりに暴れてみたかったかも知れねぇな」
岩波がフフン、と笑った。
その後ろに控えているのは、二十人ほどの刑事や警察官達だ。皆、警棒や手錠を構えて、不良たちを睨み付けている。
「とりあえず、全員検挙だ」
岩波が言った。
「誰か、麗奈を頼む」
その言葉と共に、数人の刑事たちが走った。ブルーシャークを押し退けて、倒れていたマドンナを抱え上げ、戻ってくる。その間、誰も身動きしない。『隼人』の存在が、全てを氷漬けにしてしまったようだ。
マドンナは、ローレルの後部座席に寝かされた。
「ったく、無茶しやがって」
岩波が、マドンナを横目で見ながら呟く。二人は、同期で刑事となった。だから、お互いのことを良く解っている。
「お前は、一生懸命すぎるんだよ…」
───態度は、“マドンナ”みたいでもな。俺にとっては、お前はいつまでも、刑事になりたての頃の“筑摩麗奈”なんだよ…。
「さて、と」
警察官の1人──松田が、岩波と隼人を見てニッコリした。
「やりますか、検挙」
「おう」
岩波が頷く。
───次の瞬間。
「あぁああぁぁぁっ!!」
叫び声が響き渡った。
*
ヨーコは、由布子が煎れてくれた熱い焙じ茶を、フーッと吹いてから口に運んだ。
「ところで、隼人くんは今日はご飯食べに来れないの?」
向かいあって座り、由布子が焙じ茶を啜って尋ねる。
「うーん。事件の犯人を捕まえたから、忙しいんじゃないかな。事情聴取とかで」
ヨーコは、マグをテーブルに置いた。猫舌の彼女には、ちょっと熱すぎた。しばらく冷ましておかなければならない。
「そうかー。この機会だし、久しぶりに集まってご飯食べれたらいいな、って思ったんだけれど。隼人くんもお仕事大変ねぇ」
由布子が呟きながら頷く。仕事の忙しさは、身を持ってわかるからだ。
「電話、してみようかな…あ、ダメか」
ヨーコは、掛け時計を見上げた。今、五時半を回ったところだ。
「…まだきっと、お仕事してるよ」
「そうね。もう少し後にしたら?」
由布子がのんびりと言った。
*
叫び声の主は、坂上優也だった。何を思ったか、エレナの元に駆け寄ると、その細い腕をつかみ、強引に公園の真ん中に引っ張ってくる。
「ちょっ…何するのよ!」
エレナは、少年の手を振りほどこうと身を捩る。しかし、その動きは、エレナが優也の目を見た瞬間に止まった。
憎悪に燃えた瞳。
狂気すら感じさせる、鋭い眼差し。
───殺される。
エレナは、本能的に、それを感じ取った。
坂上優也は、エレナを後ろから羽交い締めにすると、その頭にピストルの銃口を突き付けた。
「!」
警察もレッドイーグルも、ハッとして固まる。
「おい…お前」
優也がエレナを締め付けながら、ゆっくりと隼人を睨み付けた。
「ボクの兄貴──坂上哲哉を殺したのは、お前だろう?隼人」
しん、と公園が静まり返った。
隼人も、突然のことに目を見開く。
いきなり話題に出された、昔の事件。喧嘩でもつれ合っている最中に、隼人が誤って哲哉を殺してしまった事件だ。しかし…
「隼人には正当防衛が認められた筈だ」
岩波が静かに言った。
が、優也は不気味に笑うだけ。
「正当防衛だろうが何だろうが、関係ないね。兄貴が隼人に殺されたことに変わりはないよ──ボクが、兄貴の仇をとってやる…」
熱に浮かされたような口調。エレナはゾッとして、身をすくめる。
隼人が、エレナを助けだそうと前にでた。その途端──
「…動くな!」
優也が、銃口をしっかりとエレナに向けながら怒鳴った。
「動くなよ、隼人…逃げたら、この女の命がないぜ…?」
「ぃ…や…」
エレナは、あまりの恐怖に声も出ない。ミルクティー色の髪だけが、むなしく風に揺れる。
「エレナ…!」
隼人が、歯を食い縛った。エレナは、昔隼人が犯してしまった過ちとは関係がない。早く助けださなければ…。
「クソッ。面倒くさいことしやがって」 岩波が悪態をついた。
しかし、どうすることもできない。誰もが、ただ立ち尽くしている。
…そんな緊迫した中でも、つくつくぼうしが、鳴き続けていた。
ツクツクボーシ、
ツクツクボーシ、
ツクボーシ、
ツクボーシ、
ツクツクツク…
その鳴き声は、拳銃を突き付けられているエレナの全身に、強く染み渡っていく。
隼人が、レッドイーグルを出ていったときに鳴いていた蝉。
隼人とあたしが、別れたときに鳴いていた蝉。
隼人とあたしを、いつも引き離す、そんな、夏の蝉────。
繰り返し浮かぶ、隼人とヨーコの笑顔。
…彼の隣に立つのは、もう、あたしじゃない。
あたしは、二度と隼人と笑いあえない。
あたしは、これからも、ずうっと独りぼっち…。
「───いいわよ。もう」
エレナは、強ばっていた身体から、力を抜いた。
突然のことに驚き、優也がエレナを見やる。
エレナは、目を閉じて呟いた。
「いいわよ。やりたいなら、あたしを殺してよ…」