エレナの想い
その公園は、喧嘩の荒れ狂う海だった。
パトカーは、ブルーシャークの数人がパイプで叩いたせいで、メチャメチャにされてしまった。いくら防弾ガラスでも、車体への攻撃には耐えられない。
命からがらパトカーから飛び出した刑事たちは、そのままレッドイーグルとブルーシャークの戦いに巻き込まれてしまったのだ。
「うぁぁぁぁ!」
雄叫びを上げて、金髪を突っ立てた男が向かってきた。
「危ないっ!」
エレナが叫び、とっさに立ち尽くしていたマドンナを地面に押し倒す。ほんの一瞬前まで二人が立っていた空中を、金髪の男が振り回すパイプが切り裂いていった。
「早く!こっちへ」
腰が抜けているマドンナを引っ張り、エレナは公園の片隅へと向かう。こんな喧嘩の場では、女は常に危険に曝される。特に、喧嘩に慣れていない、マドンナのような女性は。
「ピストルを使えたらいいけれど…」
悔しげに表情を歪め、マドンナが呟いた。実は、彼女は射撃の名手なのだ。
「仲間に当たってしまうかも知れないから───撃てない」
マドンナと同行していた男性刑事たちは、最初こそは喧嘩を止めさせようと、乱闘の中に飛び込んでいった。しかし、あっという間にコテンパンにされてしまい、今はただ逃げ回るばかり。
「刑事なんて、役に立たないわねっ!」
エレナが辛辣に吐き捨てた。
「態度ばっかり偉そうでさ。何も出来ないくせに!」
ピストルを持った少年──坂上優也は、ブランコの前で腕を組み、悠々と戦いを見守っていた。あどけない表情に、ブラウンのさらさらとした長めの髪が流れている。
レッドイーグルは、圧倒的に不利な状況にあった。アジトから逃げ出してきたばかりだったので、武器となるものを何も持っていない。
それにひきかえ、ブルーシャークは用意周到だ。鉄パイプやらナイフやらを手にしている者が多い。
みるみるうちに、レッドイーグルは追い込まれていく。
「刑事なんて、無力よ…」
エレナが、震えた声で呟いた。
「喧嘩ひとつ、止められないなんて」
───こんなとき、隼人が居てくれたら…。
*
「もうすぐだ」
猛スピードでローレルを走らせながら、岩波が声をかける。
「ハイ!」
真面目な表情に戻った隼人が答えた。
そのとき。
少し開けられていた車の窓から、一筋の細い風が流れ込んできた。
風は踊り、つくつくぼうしの鳴き声と混じりあい、車内に爽やかな夏の香りを撒き散らす。
ふわっ。
風に煽られ、隼人の足下から何やら紙切れのようなものが舞い上がってきた。
「?」
隼人は、指先で紙切れを捕まえる。ボロボロで、破れてしまいそうな紙。裏返してみると、そこには思いがけないものがプリントされていた。
───昔の、隼人とエレナが。
「!」
隼人は、思わず息を呑んだ。どうして。何故、こんなものがここに?
そして、思い出した。ヨーコと最後にキスを交わしたとき、落ちてきた紙切れ。それが、この写真なのだ。
「エレナが、ヨーコに見せちまったんだろうな…」
小さく呟いて、隼人は写真の中の自分と見つめあった。
ミルクティー色の髪をした、少し幼い隼人。その隣で、幸せそうに笑うエレナ…───。
こんなにボロボロになるまで。
エレナは、写真を肌身離さず、持ち歩いていたようだ。
「…」
隼人は、目を細め、少し哀しそうに微笑んだ。
「傷つけて、ごめんな。エレナ───」
その呟きは、エンジン音に掻き消され、岩波の耳には届かない。
やがて、ローレルは運命の場所に辿り着いた。
*
「ぎゃあっ!」
叫びを上げて、また一人、レッドイーグルのメンバーが倒れた。
公園の喧騒は、果てしない。右で殴りあっているかと思えば、左でリンチまがいの暴行。前でナイフを使った決闘が起きているかと思えば、後ろで鉄パイプが派手な音を立てる。
公園中に、血跡が飛び散っている。それは、おぞましい光景だった。
隅に非難していたエレナとマドンナにも、危機が迫っていた。
「どっちから片付けてやろうか、ねーちゃん」
ドロドロに長髪を振り乱した色黒の男が、ナイフ片手に二人を見比べている。
「ただ殺っちまうのは簡単だけどよ…せっかく女なんだから、楽しませて貰うゼェ…」
男の手が、エレナの胸に伸びた。
「い…やっ!」
エレナは身を捩って逃げようとする。しかし、喉元にナイフを突き付けられ、その動きは止まった。
「お前のコトは知ってるよ、エレナちゃぁん」
男がニヤニヤといやらしく笑う。
「隼人に逃げられた女だろう?…寂しくねぇのか?あいつに抱かれなくてょ──」
エレナは、キッと男を睨み付けた。
「隼人は、もう関係ないわ」
しかし、男は笑みを浮かべたまま舌なめずりした。
「俺が慰めてやろうか…」
その手が、ギュッとエレナの胸を揉みこんだ。
「やめなさい!」
マドンナが、男に掴みかかる。ヒールの踵で男の足を踏み付けたのだ。
「ひぃぃ!」
男がのけぞった。ヒールで踏まれるのは、この上なく痛いものだ。マドンナは、その瞬間を見計らってナイフを叩き落とす。エレナは、その隙に男の手を自分の胸から引き離した。
「女だからって、なめるんじゃないわよ」
マドンナが言い放った。強い瞳。全身から放たれる、冷たいオーラ。
「女を辱めようとするなんて、最低の男ね。ただのケダモノじゃない」
「ひっ、ひぃ!」
男が呻いた。マドンナのヒールは、男を逃がすことなく踏み付け続ける。
しかし。
それに気付いた別のブルーシャークの仲間が、駆け寄ってきた。
「このアマ!」
怒鳴ると、マドンナの鳩尾に強烈な一発を打ち込む。
「うっ!」
くぐもった声と共に、マドンナの美しい身体が、力なく地面に崩れた。
「!」
エレナは目を見開き、とっさにマドンナの傍にしゃがみこむ。
「ちょっと!大丈夫!?」
しかし、マドンナは微かに身じろぎしただけで、起き上がる気配は無い。
「やだあ…しっかりしてぇっ」
泣きそうになりながら、エレナはマドンナを揺さ振った。だが、それも束の間。男たちの強い力で押され、地面に転がる。
「堪忍しな、ねーちゃん。あがいたってムダだぜ」
長髪の男が、再びエレナの胸をまさぐりだした。
エレナは震えるばかりで、身動きできない。
───助けて。誰か。
たすけて…!!
「うゎあぁぁ!」
ふいに、公園の入り口の方から、叫び声がした。
「…なんだ…?」
エレナから目を離し、ブルーシャークの男たちが振り返る。つられて、エレナも視線を走らせた。
そして、
その瞳は、
大きく見開かれた。
「ずいぶん派手にやってんな」
懐かしい口調。
綺麗な横顔。
聡明で真っ直ぐな眼光。
エレナが、ずっとずっと想い続けてきたひと。
───隼人が、立っていた。