運命の足音
再び二人が唇を重ねた時、ハラリ、と何かがヨーコの服から落ちた。
紙のようなヒラヒラしたもの。それは、何気なくローレルの中へと舞い込んでいく。ヨーコは気付かなかったが、隼人はすぐにそれに目を止めた。
が、ヨーコと繋がっている唇から言葉を洩らすことは出来ない。ましてや、足下に落ちてしまった『何か』を拾い上げることなどもっての他だ。
…キスが終わってから、拾えばいい。
そう考えた隼人は、神経の行く先を唇に戻した。
ヨーコが、ギュッと彼にしがみついた…。
ゴホンッ!!
突如、隼人の真横で咳払いが聞こえた!
ゴホッ、ゴホンッ!!
今度は、背後から。
「!!」
ビクッとしたヨーコと隼人は、慌てて唇の繋がりを解いた。互いに伝えあっていた温もりが途切れ、急に唇に物足りなさを覚える。
「おい…」
不機嫌な声を発したのは、運転席に座っていた岩波だった。
「俺が我慢してやってる間に、随分イチャイチャしてくれるじゃねえか…」
相当イラついている様子だ。ハンドルに置かれた右手の指は、せわしなくトントンと拍をとっている。
「すっ、スイマセン!!つい…」
隼人はイソイソとシートベルトを締め直した。すると、後部座席からも抗議の声が上がった。
「よく人前でチューチューできるよな。恥ずかしくねえの?」
声の主は、拓人だった。手錠をかけられた両手で、必死に顔面を覆っている。それでも、耳たぶが赤く染まっているのが確認できた。
「しっ、失礼ねっ。“チューチュー”だなんてっ」
同じくらい赤くなりながらヨーコが怒鳴った。岩波や拓人の存在を完全に忘れ、キスに熱中していたのだ。二人が咳払いしなかったら、もっと求めていたに違いない。
「…とにかく、署に戻るぞ」
ぶっきらぼうに岩波が言った。典型的な日本男児として育ち、妻に対して関白宣言までしている岩波は、早くこの甘ったるい雰囲気から逃れたかったのだ。最も、関白の座は妻に奪われてしまっているが。
仕方なく、隼人は渋々頷いた。まだ仕事は終わってはいないのだ。最後まで、きちんとやり遂げてしまわねばならない。ヨーコと会うことは、またいつでも出来る。
「じゃ…ありがとね、隼人。気を付けて」
気まずそうに、ヨーコが笑った。
「あ、あぁ。お前こそ気をつけろよ」
隼人もぎこちなく微笑み返す。
ローレルは、そのままゆっくり動きだした。黒いボディーラインが、夕日を受けてスウッと光る。
隼人は、後ろ髪を引かれるような気持ちで、窓から顔を出し、振り返った。
古びたローレルは、どんどんスピードを増していく。さっきまで密着していた隼人とヨーコの距離が、開いていく。温もりが、離れていく。
だんだん遠ざかっていくーコは、笑顔で手を振っていた。その姿が、西日の中に飲み込まれていくかのように見える。ギラギラとした、オレンジと白のコントラストの中へ──。
車が交差点を曲がると、もうヨーコの姿は見えなかった。
「ふう…」
息をつくと、隼人は名残惜しそうに身体を助手席に落ち着ける。そして、窓から流れ込んでくる爽やかな風に、髪をなびかせた。
綺麗な横顔にかかる、艶やかな漆黒の髪。
それを横目で見た岩波は、ため息をついた。
…ったく、この色男め。署に帰ったら、怒鳴りつけてやる。
しかし、岩波は知らなかった。
今、ヨーコと隼人を強引に別れさせたことを、激しく後悔する時が来ることを。これから襲い掛かってくる、過酷な運命のことを──。
隼人の足下に落ちていた、あの紙状のものが、風にクルッと翻った。そして、その正体を顕にした。
──それは、あの衝撃的な写真だった。
レッドイーグルにいた頃の隼人とエレナの写真。先ほどエレナがヨーコに見せ付けたとき、回収するのを忘れたものだった。
隼人は、まだその写真に気付いてはいない。
ローレルは、オレンジの世界を走り抜けていった。