『愛してるよ』
「どういうコト…?」
エレナは、ぎょっとしてマドンナを見上げた。
「あたし、何も悪いことしてないよ!?何で連れてかれなきゃいけないの?」
「しらばっくれるんじゃないわよ」
マドンナは冷たく言い放つ。
「知らないとは言わせないわ。今朝、吉祥寺駅で起こった通り魔事件。ブルーシャークの坂上竜也が殺されたじゃないの。犯人は、レッドイーグルの中にいるんでしょう?」
「坂上が…殺された!?」
エレナは驚愕に目を見開いた。
そんなこと、全く寝耳に水だ。普段なら、ブルーシャークに関する情報はすぐにレッドイーグルに伝わってくる。しかし、今朝は失敗に終わった『隼人を呼び戻す作戦』実行のため、誰も情報収集していなかったのだ。
「何かの間違いよ!あたし達、誰も通り魔なんてしてないわ!!」
エレナは叫び、立ち上がった。まだ涙に濡れて光っている瞳で、マドンナを睨み付ける。その眼光は、纏っている服のスパンコールと共にギラギラと威圧感を放った。
「警察は、何かあったらすぐにあたし達に目をつけるのね!!何もしてないのに、あたし達はいつも疑われる!隼人の時も、そうだった…」
少女の言葉は、そこで途切れた。隼人のことを口にするだけで、熱い感情が身体中を駆け巡ったのだ。胸が苦しくなるほどに。
「この娘を連れていきなさい」
マドンナが、後ろに控えている部下達に命じた。
「彼らが通り魔に関わっていたかどうかは、署で調べればいいことだわ。とにかく、この機会にレッドイーグルのメンバーを出来るだけ多く検挙しましょう」
「ハイ!!」
警察官らが一斉に返事した。そして、無表情にエレナを取り囲む。
───どうして?どうしてこんなことになるの?
エレナは、事態のあまりの急展開に、ただ身を任せるしか無かった。
ちょうど同じ頃、岩波が通り魔の真犯人を捕まえていたことを、まだ誰も知らない。
*
「じゃあ、また何かあったらすぐ呼べよ」
ローレルの助手席の窓から半分身を乗り出して、隼人が念を押した。
「玄関と窓には鍵掛けとくんだぞ。誰が来たかわかんないのに、ドアを開けたりしちゃ駄目だからな」
それを聞いて、車の外に立つヨーコがクスッと笑った。
「まるで、小さい子のお留守番みたい」
ローレルが停まっているのは、ヨーコの家の玄関前だった。赤い瓦が特徴的なこぢんまりとした家だが、一階に母方の祖父母が住み、二階に桐原家が住んでいる。通りから一段上がったところに、祖父お手製の可愛らしく白にペイントされた門があるが、今ヨーコはその門の前に立っていた。
デートの帰りは、必ず隼人がヨーコを送っていく。時には、ヨーコの家族に呼ばれ、夕食を共にしたり、彼女の祖父や父、兄とお酒を飲み交わすこともある。面食いのヨーコの母は、隼人を大のお気に入りにしてしまった。
今や、隼人とヨーコの関係は公認の仲だ。
ヨーコの家族と一緒にいると、隼人はいつも言い知れぬ安らぎを覚える。今まで知らなかった、家族の温もりを感じられるからだ。桐原家は、『ヨーコの実家』という以上に、隼人にとって大切な場所なのだ。
だが、今日はまだ仕事が残っている。ヨーコとも、ここでお別れだ。
あんなにうるさかったアブラゼミは、いつの間にか殆ど聞こえなくなっていた。代わりに、どこか物悲しくツクツクボウシが鳴いている。短い夏の生命を、精一杯謳歌しているのだ。
「今日は…ありがとね」
恥ずかしそうに、少し下を向きながらヨーコが言った。
「仕事中だったのに、助けてくれて…」
「バーカ。気にすんな」
隼人は笑ってみせる。
「それに、助けられたのはお前じゃねーよっ」
「…?」
きょとん、とヨーコが首を傾げた。その可愛らしい表情に、隼人の心臓がトクッと音を立てる。再びヨーコを抱き締めたい思いに駆られたが、運転席に岩波がいるので、何とか思い止まった。
「お前が言ってくれた言葉で…救われたのは、俺だ」 隼人は、真っ直ぐにヨーコを見つめて言った。
──今の隼人も、昔の隼人も、全部ひっくるめて、あたしの大好きな隼人なんだよ──
隼人がレッドイーグルにいたことなど、気にしないと告げたヨーコ。その気丈な優しさに、隼人は心打たれたのだ。
「大好き。隼人」
ヨーコがはにかみながら、助手席の窓にに近づいた。そして、ちょっと屈みこみ、愛しい人の唇に、自分の唇を重ねる。
突然のことに少し驚いた隼人だったが、すぐにヨーコの肩を抱き寄せて、優しく彼女を味わった。
大好きな人。この世で一番、大切な人。一緒にいるだけで、幸せになれる人。
唇を少し離した時、隼人は小声で囁いた。愛しい彼女の耳元で。
その言葉は、ヨーコの体温を一気に上げる。
「──愛してるよ…」
それは、今まで一度も使ったことの無かった言葉。恥ずかしくて、二人とも口に出せなかった言葉。
けれど今、隼人はその言葉の封印を解き放った。誰よりも大切な、ヨーコに向けて。
ヨーコは立ち尽くし、照れて笑っていた。隼人に同じ言葉を返したくても、恥ずかしくて口に出来ない。その代わり、もう一度彼に唇を寄せた。