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届かぬ想い


 アルコールランプの朧気な灯が、ゆらりと少女を映し出した。明るく染め上げた髪は乱れ、柔らかく散って、少女の肩にしどけなく垂れている。


「いや…」


 真っ赤なルージュをひいた唇から、ただ一言だけ言の葉が洩れた。

 そこはかとなく背中が小さく震えてしまうのは、寒いからではない。少女は、何とか震えを止めようとして、自分自身を抱き締める。


 乱れた髪の一房が目に入った時、彼女はビクッと硬直した。その髪の色が、少女の眼を焼いていく。忌まわしくて、でも愛しくてたまらない色。好きだからこそ、その色に裏切られたことを恐れた。



 ───ミルクティーのような、黄金色───。



 少女は、その髪の一房を握り締め、小さく嗚咽を洩らした。


 大好きだったもの。この世で一番大切だったもの。


 同じ髪色の『彼』。


 彼がいたから、泣かずに済んでいた。──独りぼっちの夜も、空しくてたまらない朝も。


 彼がいたから、笑えていた。独りではないと感じられた。温かい気持ちになれた。


 彼は、少女の道しるべだった…。



 けれど。彼は変わった。



 彼は、『あの事件』である刑事と出会った。それを機に、別の新しい道を見つけた。

 ──自分も刑事になるという道。


 少女は、最初はそれを信じていなかった。彼の言いだしたことは、あまりに突飛で、あまりに現実味がなかったから。


 でも、彼は本気だった。夜の街に出ることを止め、酒も煙草も断ち、一生懸命に勉強し始めた。目付きが真剣なものに代わり、少女と同じだったミルクティー色の髪は、いつの間にか漆黒に染まった。


 彼は、もはや少女の道しるべではなくなった。ゆっくりではあるが、確実に遠く彼方へ離れていった。


 ──別れの言葉は、無かった。

 しかし、それは別れに等しかった。少女は、彼に付いていくことが出来なかった。彼の新しい道は、少女の生きてきた道と、あまりに違いすぎたから。

 二人は、いつの間にか会わなくなった。



けれど、少女は信じていた。いつか彼が戻ってきてくれることを。

 寂しくて、毎日泣いた。独りっきりの夜が怖かった。『彼』の身代わりを、色々な男達に求めた。毎晩街に出て、一緒に夜を明かしてくれる誰かを探した。


 しかし──誰も、『彼』の代わりにはならなかった。どの男も、少女の身体目当て。少女の道しるべには程遠かった。


 だから、彼女は待ち続けた。彼が戻ってきてくれるのを。それは、儚い望みに終わったけれど…。



 今、ランプの淡い光の下で、少女は一人ぼっちで踞っている。

 彼女の眼差しは、先刻彼が出ていった扉へと注がれていた。



立派な警察官になった彼の横にいたのは、いかにも真面目そうな、高校生の女の子だった。その子は、彼と同じ、黒い髪をしていた…


「いやよ…」


 少女は嗚咽の中から小さく叫びを絞りだした。


「隼人の隣にいるのは…あたしだったのに…」


 少女の中に蘇るのは、とろけてしまいそうに優しい隼人の囁きと、あの女の子の洩らしていた甘い声。


 ───昔の隼人があったから、今の隼人があるんだよ。全部ひっくるめて、あたしの大好きな隼人なんだよ───


 それは、女の子が発した言葉。


「あたしだって…そう思ってるよ…!!」


 少女は叫び、顔を膝に埋めて、ひっそりと泣き続けた。ほんの少し前までは、ああして抱き合い、温もりを伝えあっていた相手。遠くへと行ってしまった相手。


 いつでも顔を見られるから、いつでも言葉を交わせるから、逆に少女の心は締め付けられる。


 毎日、四つ角からこっそり交番を覗き、彼の横顔を見ていた。真面目に仕事をし、社会の役にたとうとしている隼人。それに比べ、ただ暴れることしか出来ない自分。


 彼が、羨ましく、恋しかった。そして、彼を見つめるたび、『彼の想いはもう自分に向けられてはいないこと』を痛感した。


 少女は、昔と変わらず、彼を想っているのに。こんなにも強く、彼を求めているのに。その悲痛なまでの感情は、彼に届くことはない。


 想いは、少女の中で膨らみ続け、もう臨海地点に達していた。


「────すきなの。あなたが、誰よりも…!!」


 だから、戻ってきて。

あたしを、慰めて。

独りにしないで…。


 少女──エレナは、アルコールランプの淡い光の群れに紛れて、自分が今にも消えてしまうのではないかと思った。


 ──でも。消えてしまった方が、楽かも知れない…。この狂おしいまでの気持ちから、逃れるために…。


 エレナが、そう思った時だった。


 ふいに、アルコールランプの炎が一斉に揺らいだ。どこからか吹き込んできた新鮮な風が、少女の髪を撫でる。理科室中の電気が点けられ、部屋は急にパアッと明るくなった。

「誰かいるぞ!捕まえろ!」


「…?」

 膝の間から顔を上げたエレナが目にしたのは、警察官の群れだった。先頭には、スラリとした背格好の美女が優美に立っている。どこか『峰不二子』に似ている、とエレナは思った。


 その美女が、雅な唇を開いた。

「あなた、立川エレナね?レッドイーグル唯一の女の子…そうでしょ?」

 エレナは、突然のことにぼうっとしながら美女を見つめた。泣き腫らした後の、紅い頬のまま。

「…だれ…?」

 呟いた少女の声は、擦れ、震えていた。

「何しに来たの…?」

「警察よ。私は刑事の筑摩麗奈。レッドイーグルを摘発しに来たのだけれど、遅かったようね…」

 美女が答え、理科室中を見回した。

「まあ、いいわ。あなただけでも十分よ」

「何言ってるの…?」

 エレナは、全身を震わせながら訊いた。そして、マドンナの答えは恐ろしいものだった。

「あなたを、今朝の通り魔事件の重要参考人として連行するわ。レッドイーグルの残りの仲間達がどこにいるか、吐いてもらいましょうか」


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