信じるということ
「あいつは、即死だった」
隼人は、吐き出すように言った。
「呼び掛けても揺すっても、全然動かなくて。辺り一面、血だらけで…俺が殺したんだって解った瞬間、頭の中が真っ白になった…」
「…隼人…!!」
思わず、ヨーコは彼に抱きついた。話す隼人の表情が、あまりに苦しそうだったから。隼人は、話し続けた。
「俺、とりあえず救急車は呼んだんだ。でも、捕まるかもしれないと思ったら、怖くて堪らなくなってさ…。救急車が来る前に、逃げたんだ」
その言葉を口にした時、ヨーコの手の中で、隼人の指がキュッと握り締められた。一番嫌いな“逃げる”という行為に及んだ自分を、悔いるかのように。
「逃げてきて、公園のブランコに座って初めて、自分の手が血まみれだって気付いた…」
「返り血…?」
ヨーコが、恐々と呟く。「そう。哲也の血だった」 隼人の声が震えた。
「逃げたってムダだって思ったよ。どうせ捕まるんだ、人生なんか台無しだ、ってね」
「でもっ」
ヨーコが口を挟んだ。
「ナイフを出してきたのは、坂上哲也だった%「俺の言うことを、警察が信じると思うか?」
「えっ…」
「俺はレッドイーグルの中でも喧嘩強さで有名だった。しかも、事件の目撃者はいない。警察にとってみれば、俺が哲也を殺したと考えるのが自然だ」
「でも、でもよ」
ヨーコは食い下がる。
「きちんと話せば、警察だってわかってくれるわよ…」
「いや」
隼人は、ヨーコの言葉を遮った。
「こういうことは初めてじゃなかった。“レッドイーグルだから”っていう理由だけで、やってもない罪を押しつけられたことはいくらでもある。万引きとかな。…世間の人は、不良の話なんて聞いちゃくれねぇ。話を聞く前に、『お前がやったんだろう』と決め付ける」
「そんな…」
呟いてから、ヨーコはハッとした。
吉祥寺駅で、通り魔があった時。高校生の少年たちに、“レッドイーグルとブルーシャーク”の存在を教えられた時、ヨーコも確かに嫌悪を感じた。
確か、その直後に隼人にこう言った気もする。
──そんな人達、あたし嫌い。
今から思えば、その言葉は、どれほど隼人を傷つけたことだろう。
「ごめんね…」
ぽつり、とヨーコは言って、隼人の胸に頭を預けた。自分も、偏見というものを持つ人間の一人なのだと、彼女ははっきりと自覚した。
「ブランコに座ってる時間は、長かったな…」
思い出しながら、隼人が言った。
明けていく朝。澄み渡った、青い空気。髪を揺らしていく風。そのすべてが、彼にとっては、まるで別世界のように感じられていた。
「あの頃の俺は、勉強もできなかった。親とすら巧く付き合えない。人は俺達を冷たい眼で見る。出来ることは、ただ喧嘩で暴れることだけだったよ。そうしなきゃ、自分の弱さを感じて苦しくなるからさ」
「うん…」
「自分はどうせ社会のクズだから…捕まる位なら、このまま消えちまった方がマシだって思った」
「そんな…」
ヨーコは、息を呑み、ぎゅっと隼人の指を握り締める。それを、隼人もしっかりと握り返した。
「そんな時だったんだ。あの刑事が現れたのは…」
隼人は、少し微笑んだ。
あの朝、ふらっと現れた刑事。別の事件で隼人に疑いをかけ、しつこい位につきまとってきた刑事は、一度は隼人を殴り倒した。
しかし、見つめあううちに、隼人の話を聞いてくれるようになった。不良で乱暴者の、隼人の話を。
その刑事は、隼人を信じた。そして他の刑事や検事と激しく論争を繰り広げ、ついには彼の無実を勝ち取ったのだ。
その刑事は、隼人にとって父親のような存在になった。自分を信じて、守ってくれた人。いつしか、隼人は自分も刑事になりたいと思うようになった。
「信じてくれた人がいたから、今、俺はここにいる──ヨーコの隣に」
「隼人…っ」
ヨーコの瞳から、ポロポロと涙の粒が零れて落ちる。あとからあとから、止まらない。
「あたし、隼人に出会えて、本当に幸せだよ…」
「ヨーコ…」
「あたしも、なりたい…。どんな人でも、信じてあげられる刑事に…!!」
隼人は、ぎゅっとヨーコを抱き締め、囁いた。
「なれるよ。ヨーコなら、きっと…」