愛を信じて…
ヨーコは、考えていた。
───隼人は、同じようにエレナと付き合っていたの?あたしは、エレナよりも隼人を理解していないの?
隼人に過去を隠されていたという事実は、強い苛立ちとなってヨーコを覆っていた。隼人がレッドイーグルに所属していたことよりも、隠されていたことの方が、ヨーコにはショックだった。
──あたしは、どんな隼人でも好きなのに。隼人は、昔のことを喋ったら、あたしが隼人を嫌いになるって思ってる。
そんなにあたしを信じてないの?あたしは、そんなことで嫌いになったりしないのに。むしろ、隠されてたほうが辛いよ…。
そんな彼女の思いは、次第に鬱憤となって降り積もった。
──あたしは、隼人の全てを知りたい。何も隠されたくない。過去なんて、どうでもいいから。あたしを信じて、隼人…!!
その時。
すっ、と隼人がヨーコの頬にキスをした。
「!?」
「…こんなとこに連れ込まれて、俺の昔話聞いて…ごめんな、ヨーコ」
「隼人…」
ヨーコは、潤んだ眼差しで、一瞬愛しい人を見つめた。それから決心したかのように、ぎゅっと隼人に抱きつく。その強さに、隼人は驚いた。
「あたしね、…隼人のこと、知りたいの。じゃなきゃ、気持ちが楽になれない」
「ヨーコ…?」
「何も隠されたくないの。お願い…全部、隼人のことぜんぶ教えて。あたし、隼人が昔何してたか知っても、隼人のこと嫌いになったりしないから」
「…ヨーコ…」
「昔の隼人があったから、今の隼人がいるんだよ。ぜんぶひっくるめて、あたしの大好きな隼人なんだよ。だから、約束して…全部話してくれるって」
ヨーコの瞳は、真剣だった。強い眼光は隼人を奥底から刺し貫く。彼女の気持ちは、痛いほど伝わってきた…。
隼人は、優しく彼女の背に腕を回した。
「…俺、ヨーコに気苦労させてばっかりだな」
「…」
「ごめんな。守ってやるとか言いながら、ヨーコを傷つけてる」 ヨーコは、そっと隼人の広い胸に頭を預けた。トクン、トクンと脈打っている、大好きな人の温もり。その暖かさに安心して、ヨーコは目を閉じた。さっきまでの狂おしいまでの気持ちは、自然に鎮められていく。
「ヨーコ」
隼人が囁いた。
「戻ったら、今までのこと、ちゃんと全部話すから。俺は…もう、ヨーコには何も隠さない」
その力強い声の響きに、ヨーコは目を閉じたまま頷いた。
──信じてるからね。隼人のこと。
──俺も。お前のこと信じてるよ、ヨーコ。
もう、言葉は要らなかった。ヨーコはしっかりと隼人に抱きついたまま、目を閉じた。
*
その男の人は。
身にまとっている着物は鶯色で、どこか仙人を思わせた。年の割に老けて見えるのは、二年前に味わった心労のせいだろう。
彼は、変死体となって見つかった高校生・庄司祐太の父親なのだ。
「ご無沙汰してます、庄司 保さん」
マルグレーテを門に繋ぎながら、岩波は頭を下げた。マルグレーテは、すました顔で座って、太い尻尾をゆっくりと振っている。
──犬のくせに、猫かぶりやがって!!
岩波は一瞬犬を踏ん付けてやりたい程憎らしく思ったが、それを飲み込んだ。「来るなら言って下さればいいのに。菓子の一つも用意してないもので…」
庄司保は、困った顔で笑った。
「いや、いいんです」
岩波は慌てて言った。
「俺も、ここに来るとは思ってなかったから」
「は?」
庄司が首を傾げる。
「何でもないっスよ」
口が滑ったのを、サラッと岩波はごまかした。まさか、通り魔を追ってここに辿り着いたとは言えない。
「…上がってもいいですか?祐太君に挨拶しないと」「あぁ、どうぞ」
庄司は、ゆったりと岩波を誘った。
「ちょうど、祐太の従弟も遊びに来てるところです」
*
実験用蛇口からポタッ、ポタッと垂れ落ちる水音が、二人の話し声の合間から響き渡った。
アルコールランプの火が、僅かなすきま風に反応してチラチラと揺れる。火の周りのぼんやりとした明るさは、かえって他の場所に暗い影を落としていた。
そんな闇の中に、彼女は一人蹲って、二人の声を聞いていた。
ランプの光に、ミルクティー色の髪が反射する。
「…もう、やめてよ…」
彼女の食い縛った歯の奥から、嗚咽に近い声が洩れた。
「もう、もういいから…やめて…」
レッドイーグルの仲間は、皆逃げてしまった。警察の手が入ることを恐れて、しばらくはここに戻ってこないだろう。それでも、エレナは残っていた。隼人と、きちんと話がしたかった。彼をレッドイーグルに連れ戻すことなど、彼女にとっては、本当はどうでもよかった。
ただ、隼人に会いたかった。家を飛び出してきてから、兄妹のように共に成長した人と。どんなに隼人が心変わりしてしまっても、エレナはずっと変わらない。
──隼人が、すき…。
それなのに、彼は遠すぎて。こんなにも近くにいるのに、遠すぎて。もう顔を合わすことすらままならない。
息苦しいほどの哀しみが、エレナを襲っていた。