新しい絆
『…隼人、か』
岩波は息をついて隼人を見つめた。
『ハヤブサの意味だ。すばしっこく、勇敢な男に育つように、ってことか…いい名前だな』
『…別に…』
隼人は視線を落とす。
『よくある名前じゃんか。フツーだょ』
『いや、いい名前だ』
岩波は頑として言い張った。
『なあ、隼人。お前が生まれたとき、お前の両親が何でこの名前をつけたと思う?』
『…知らねーよ』
隼人は、ゆっくりとブランコに腰を下ろした。岩波に殴られた頬は、赤く腫れあがりつつある。
『…親とかどうでもいいし』
そう言った少年の瞳が暗く陰ったのを、岩波は見逃さなかった。
『親とは、うまくいってねぇのか?』
『…』
少年は答えず、再び黙り込んだ。ミルクティー色の髪が、小さく風に揺れている。彼の血まみれの手は、隠すようにジーンズのポケットに突っ込まれた。
『なあ。もうだんまりはやめようぜ』
岩波は少年の肩に手をおいた。
『せっかく名前言ってくれたんだしよ。仲良くしようじゃないか』
『仲良く?』
隼人が、クスッと笑った。初めて見せた、微かな笑顔だった。
『オッサン、俺のこと小学生だと思ってる?』
『いや』
岩波は真顔で少年を見た。
『返事もろくに出来ねぇ奴は、小学生以下だ』
『なんだよソレ』
隼人は、あどけなさの残る表情でちょっぴり膨れた。
『ナメんじゃねーよ。学校には行ってねえけど、これでも18だぜ、俺』
『ほぉー。あんまりガキっぽいもんで、わからんかった。まだ童貞か?』
『ちっ、ちげーよっ。ちゃんと済ませたって』
『誰と?年上のねーちゃんにでも遊ばれたか?』
『同い年の女だよっ。遊ばれてなんかねーし!…ってか、何訊いてんだよ!オッサン刑事だろ!?』
隼人はムキになって、少し赤くなった。
───こんな子供が、人を殺したのか?
岩波は、半ば信じられない思いだった。隼人は、頑固で聞き分けは悪いが、根は素直な少年のようだ。どうして、人殺しに手を染めたのだろうか。いや、本当に彼は人を殺したのか?
岩波は、隼人の手をポケットから無理矢理引きだした。隼人は、それに抗うことなく応じた。
『…庄司祐太という高校生を知ってるか?』
刑事が、静かに訊いた。
『彼は、昨日北町のカラオケ店の裏で、ポリバケツに入れられた状態で見つかった。当然、殺された訳だ。俺達警察は、レッドイーグルをずっと疑ってた。レッドイーグルのメンバーが、庄司祐太を殺したんだと…そして、俺はお前を見つけた』
『…』
隼人は、黙って岩波を見上げていた。
岩波は続ける。
『お前の両手は、見てのとおり血まみれだ。どっからどう見ても怪しい。…けどよ、俺は証拠もないのにお前を逮捕する気はねぇんだ。…答えてくれ。お前の手は、どうして血まみれなんだ?庄司祐太を殺したからか?それとも、違う理由からか?』
公園を囲む灰色のビルの窓ガラスが、高く昇ってきた朝日に反射して、キラリとした光を、二人の上に投げ掛ける。同時に強く風が吹いて、古く錆付いたブランコをキイキイと軋ませた。
隼人の瞳が、岩波を真っ直ぐに見上げていた。その奥には、何かを必死に求めているような色が、渦巻いていた。
『オッサンさ…』
ガサガサに荒れてしまった少年の唇から、切実な声が漏れた。
『俺の話…聞いてくれんの?』
『あぁ』
岩波が答えた。
『人生相談から女の扱い方まで、何でもこい』
『女はいいや。俺、慣れてるし』
悪戯っぽい表情を浮かべて、隼人は立ち上がった。『…いいよ。オッサンになら、何でも話す』
『オッサンと呼ぶな!!』 岩波が一喝した。
『まだそんなに老けたつもりはねぇからな。岩波と呼べ』
隼人の口元が、少し微笑んだのを、岩波はしっかりと見た。
都会の真ん中の、ぽつんと取り残されたような場所で、一つの絆が始まったのだった。
後に岩波は、隼人が祐太の事件とは全くの無関係であったことを、知ることになる。そして、今も…祐太を殺した犯人は、捕まっていない───。