隼人の危機
「ヨーコ!!」
バーンッ。
理科室の扉が、大きな音を立てて開いた。
扉は壁にぶつかって跳ね返る。
隼人は、息を切らして立ち尽くした。
…そこには、誰もいなかった。
がらんとした理科室。
気味の悪い人体模型。
埃がドロドロにこびり付いたフラスコ。
かつて小学生が班に分かれて実験したであろう12台のテーブルそれぞれに、アルコールランプが一つずつ置かれ、朧気な光を放っていた。
隼人は、狐につままれたような心地で部屋の中央に歩いていった。
カツン、カツン…
彼が歩むのと同時に、足音が凜と響き渡る。
炎に照らしだされた隼人の影は、幾重にも壁に映った。
アジトは、気味悪いほどに二年前と全く同じだった。
何も変わっていない。
アルコールランプの位置さえも。
違っているのは、レッドイーグルのメンバーがいないことだけ。
隼人は、注意深くアルコールランプを見つめた。
まだ、アルコールはたっぷり入っている。
それは、レッドイーグルが近くに潜んでいることを示していた。
隼人は、理科室の隅にある鉄の扉に目を向けた。
そこは、昔は理科倉庫として使われていた。
レッドイーグルが学校を占拠してからは、違う用途に用いられた。
例えば、敵グループの『捕虜』を閉じ込めて拷問し、情報を吐かせた。
その扉を見た瞬間、激しい嫌悪感が隼人を貫いた。
ここで行われていたことに対してでもあるが、何より、それに自分が関わっていたという事実が、恐ろしかった。
しかし、ここしかあり得ない。
隼人の大切な人がいるとしたら…。
隼人は、その扉を押し開いた。
扉に、鍵はかかっていなかった。
まるで、入ってくれと言わんばかりに。
ギイィ…
ゆっくりと、重い扉が開いていく。
その向こうに、『彼女』の姿が見えた。
「ヨーコ!」
隼人は思わず大きな声を上げた。
コンクリートの部屋の中に駆け込む。
「はやと…?」
うずくまっていたヨーコは、ハッと顔を上げた。
「ヨーコっ!!」
もう一度叫ぶと、隼人は彼女をしっかりと抱き締めた。
「大丈夫か?ケガは!?」
「…うん。大丈夫」
小さく鼻を啜り、ヨーコが隼人にギュッと抱きつく。
「ごめんね。仕事中だったのに…」
「バカ。そんなのどうでもいいんだよっ」
隼人は、ヨーコが無事でいたことにホッとし、彼女の真っすぐな黒髪を撫でた。「ヨーコが無事なら、俺はそれでいいんだ」
「隼人…」
ヨーコは、泣きそうな顔をして隼人を見上げる。
「怖かったっ…」
「もう大丈夫だから」
隼人は、優しく声をかけた。
「ちょっと待ってろ。そんな鎖、すぐに外してやるから」
その時だった。
「外せるモンなら、外してみろォっ!!」
バーンッ!!
いきなり扉が開き、理科室から棒を持った男が飛び掛かってきた。
棒は真っすぐ、隼人めがけてり下ろされる。
「やっ…!!」
ヨーコは、思わず顔を覆った。
…絶対に、隼人はやられてしまう!!
しかし、隼人は冷静だった。
振り下ろされた棒を後ろ手で受けとめると、そのまま軽く突く。
「ぐあっ!」
男は、自分の持っていた棒で腹を突かれ、仰向けに吹っ飛んだ。
ドサッ、と男が倒れる。それと同時に、隼人はサッと立ち上がった。
「うわあぁぁぁ!!」
雄叫びを上げ、次の男が素手で向かってくる。
隼人は、男の腕を掴んで一捻りした。
この男も、あっけなく飛ばされた。
「まだいるんだろ?」
隼人は、理科室の暗闇に向かって叫んだ。
「来いよ。ヨーコをこんな目に遭わせた奴は、許さねぇから」
その声に応えるように、闇の中からフウッと人影が湧いて出た。
10人はいるだろうか。
それぞれが鉄パイプやらバットを手にしている。
色とりどりの髪はボサボサで、数人はガムをクチャクチャやりながらこちらを睨み付けていた。
「はっ、隼人!!」
ヨーコは焦って呼び掛けた。
「無茶だよ!こんな大人数相手にしたら、隼人が…」
しかし、隼人は手を上げてヨーコを制した。
「大丈夫だから、ヨーコ。心配すんな」
「でも…っ」
ヨーコが何も言わないうちに、バットを手にした男がズイッと前に出てきた。「久しぶりだなぁ、隼人ょぉ」
「…」
隼人は、答えない。
じっと男を見つめた。
「覚えてねぇのか?俺のこと。臼井だよ、臼井。レッドイーグルのリーダーだよっ」
臼井は、鼻息荒く隼人に迫った。
「…お前よォ、一人で俺らを相手にする気か?」
「…」
隼人は、静かに頷いた。
「死ぬぜ?」
臼井が、ハンッと笑い、ガムを吐き捨てる。
その言葉に、ヨーコの全身がゾクリとした。
あわてて叫ぶ。
「隼人っ!やめて!!私のことはもういいから、早く逃げてっ!!」
けれども、隼人は動かない。
それどころか、臼井に向かって微笑んだ。
「俺は、戦う気はない」
「…んだと?」
「俺は、警察官だから。喧嘩なんて出来ねぇよ」
「…」
臼井の顔が激しく歪むのを、ヨーコは見た。
隼人は続ける。
「ヨーコは、返してもらう。俺に用があるなら、最初から俺ンとこに来いよ。
…関係ないヨーコに手を出すなんて卑怯、俺は絶対に許さねぇ」
「なんだとオラァ!!」
早くもキレた臼井は、バッと隼人の胸ぐらを掴んだ。「殺すぞ!」
「やめてぇっ!!」
ヨーコが、半狂乱で金切り声を上げる。
「隼人を傷つけないでぇっ!!」
立ち上がろうとするものの、鎖が邪魔してできない。
ヨーコは、少しでも隼人に近寄ろうと必死に身を乗り出した。
「隼人!はやと!!」
ヨーコの叫びも虚しく、臼井の拳が隼人に襲い掛かった。
隼人はとっさに顔を逸らしたが、強烈なパンチを右頬に受け、床に転がる。
「隼人っ!!」
ヨーコの眼から、涙が溢れてきた。
「いやぁっ…!」
臼井は再び拳を振り上げる…!!
「やめてええぇぇっ!!」 ヨーコの叫びが、空気をつんざいた。




