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桜の木の下には


ー桜の樹の下には屍体が埋まっている。


梶井基次郎の有名な小説『桜の樹の下には』の冒頭だ。

僕の通う高校にも似たような話がまことしやかに囁かれている。

学校の裏手にある丘の上に一本だけ生えている桜の木。その木の下には死体が埋まっていて、自分を掘り起こしてくれる人を待っているのだと。


その日は、冬の寒さも幾分か和らいできて春の訪れを感じさせる陽気だった。

桜の蕾はまだ固く、葉っぱ一つもない枝は寒々しい。

そんな桜の木の下で僕は彼女に出会った。

地表に盛り上がった根を枕にして、薄いお腹の上で手を組んで身動きひとつせず眠っている姿はさながら死体のようだった。

僕の視線に気付いたのか、彼女がゆっくりと瞼を開く。まだ眠たげな瞳が僕を捉えて、少し微笑んだ。


「君も死体探しかい?」


それが、僕と桜子さんの出会いだった。




◆◆◆

「今日も来たの? 暇だねぇ、高校生なら友達と遊んできたら?」


あれから何度も僕は桜子さんの元へと足を運んだ。

いつしか桜は満開直前になっていた。


「そういう桜子さんこそ何してるんですか」

「私はいいんだよ。もう大人だからね」


桜子さんは近くの大学院で文学を学んでいるらしい。

つまり、若く見積もっても22,3才。

この春高校三年生になる僕と5才程離れているわけだが、桜子さんは年の差を感じさせないほど無邪気で子供っぽい。

そこがまた魅力的でもあるのだが。


「それにしてもここって静かですね。風の音しか聞こえない」

「そうだよ。ここは穴場なんだ。誰も来ないし、誰にも邪魔されない。私のお気に入りの場所だよ」


そう言って桜子さんは目を閉じた。

彼女の横顔を見つめ純粋に美しいと思った。陶器のような白い肌に、暖かいからか少し高揚した頬。お気に入りだと言っていた赤い口紅で眠る姿は童話の中のお姫様のようで、何故だか急に恥ずかしくなって目を逸らした。


「……あの、桜子さん。ちょっとお願いがあるんですけど」

「どうしたの?」

「土曜日の夜って空いてますか?」


桜子さんは目を開けて空を睨み、少し考えた後、「空いてるよ」と言った。


「じゃあ、土曜日の夜、ここで会えませんか?」

「ここで以外会ったことないじゃない」


桜子さんは少し意地悪な顔をして笑った。

僕は桜の下以外の場所にいる桜子さんを知らない。

どこに住んでいるのかも、大学院での生活も知らない。

桜子さんがどうしていつも桜の木の下にいるのかも知らない。

桜子さんは最初に会った時、「君"も"死体探し?」と聞いてきた。ということは桜子さんも死体を探しに来たのだろうか。

頭が良く論理的な思考回路を持つ桜子さんでも都市伝説に興味があるなんて少し意外だ。




◆◆◆

土曜日の夜。

桜は満開を迎えていた。


「遅かったね」

桜子さんは今日も僕より先に桜の木の下で待っていた。


「すみません。待たせましたか?」

「ううん。全然待ってないよ」


嘘だ。腕時計を見ると約束の時間まで10分以上あった。

彼女はきっと随分前からここにいたはずだ。


「ありがとうございます」

「それで、何か用?」

「用って言うか…この景色を見せたかったんです」


上を見上げると、桜の隙間に満月が覗いていた。

今日は満月。その中でも特に美しい青い月、ブルームーンだ。

青い月の光が桜をライトアップする様子は幻想的で綺麗だろうと予想していたが、実際は薄ぼんやりとした光がなんだかホラーチックでむしろこの場所にはそっちの方があってる気もする。


「桜って、花言葉が昼と夜で違うんですよ。昼は"精神美"とか"純潔"なんですけど、夜桜の花言葉は"誘惑"って言うんです」


さも物知り顔で言っているが、これは昨日ロマンチックな事が言ってみたくてネットで調べた付け焼き刃の知識だ。

物知りな桜子さんの事だから知っていたかもしれないけれど、彼女は夜桜に心奪われているようで心ここに在らずといった感じでへぇ、と呟いた。


「桜子さん」

「なぁに?」

「好きです」


僕は今日、桜子さんに告白するつもりで呼び出した。

僕は出会った時から桜子さんに心奪われていたのだ。

清楚な佇まいも、勉強好きで機知に富んだところも、少し意地悪なところも、顔も性格も思考も語彙力も仕草も雰囲気も初めって会った時から何もかもが好きだった。

桜子さんは黙っている。

その沈黙は僕の気持ちに対する返答なのか、それともただ風が邪魔をして聞こえなかっただけのか。

もう一度口を開きかけた時、桜子さんの凛とした声が響いた。


「私さ、君の名前知らないんだけど」


それは予想外の答えだった。


「えっ?」

「だって名前教えてくれないし、君はずっと『桜子さん』だし。こっちだけ知られてるなんて気味が悪いじゃない」

「いやでも……」

「そもそも何で私の名前を知っているの?私は君のことなんて知らないんだけど」


冷たく無機質な声と少し怒ったような表情。

僕の知ってる桜子さんじゃないみたいだ。


「もう、付き纏うのやめてくれる?」


気がついたら僕は走り出していた。

4月といえど夜はまだ寒い。

冷たい空気が肺を痛めつける。

ぐつぐつと沸騰した胃液が喉を迫り上がってくる。

僕は堪えきれずアスファルトの上に吐き出した。

ツンとした酸の匂いが鼻を貫く。

吐いても吐いても止まらなくて、僕は桜子さんを想いながら僕の全てを吐き出した。




◆◆◆

目が覚めると僕は部屋のベッドで眠っていた。

吐いてからの記憶がないのだけど、夢遊病のようにふらふらと家まで帰って来たのだろうか。

ぼんやりとした頭で僕は考えた。

そうだ、桜子さんに会いに行こう。

昨日のはきっと意地悪な冗談だ。

僕はテレビの音を背に、重い体を引きずるように彼女の元へと歩き出した。


「昨夜、○○市にで女性の死体が発見されました。司法解剖の結果、先月から行方不明だった木下桜子さんと判明しました。木下さんの遺体は桜の木の下から掘りおこされたような形跡があり、警察は死体遺棄として犯人を追っています。また、一部では木下さんはストーカー被害に遭っていたという証言もあり、慎重に捜査が行われています」

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