作戦失敗
小麦の袋に込められて、どれくらい時間が経っただろうか。
「ライル様ありません!」
バタバタと複数の人の足音がこの部屋の前を走り回る音がしていたかと思ったら、若い男が何者かに報告する声が響く。
ライル・・・様?
こんな船に様付けで呼ばれるような乗客はまずいないだろう。
そう考えると、自ずとそれは船員や乗客のものではない事は理解できて、ギュッと膝を抱える手に力を込める。
「チッ!ガセだったか!小麦と酒樽と食料を適当に持って戻るぞ!ここのやつ運べ!」
ライル様と、呼ばれたどうやら海賊の中では指導的な立場の男性の声が部屋に響く。
若い男の声だけれど、どこかで聞いたことのあるような声?
でも、深窓の伯爵令嬢だった私にはそんな知り合いはいるはずもない。
バタバタと足音が近づいてくる。
どうやら目論見通り彼等は、私の入っている小麦袋達を持ち去るらしい。
どうせ港に戻されるなら、海賊に強奪される荷に紛れてしまおう。
その後の事は、その時考えよう。
追い詰められた私が悩んだ末に取った行動は、なかなかに突飛な物だった。
何度も本当にいいのか?
後悔しないのか?
と問うおじさんに私は「大丈夫だから、お願い!」と懇願して、この袋に収まったのだ。
もう腹は括っている。
とにかくバレないように、彼らの島なり売り飛ばし先に行けるのなら、まだ何とかなる。幸い家を出る時に金品は多少持ってきている。
最悪お金で交渉できないだろうか?
ガタガタと近くで酒樽を動かす音がして、複数の男達がそれを担ぎ出す気配がする。
私の入っている袋までもう少しだろう。
そう固唾を呑んでいると、
「!!」
不意に身体を持ち上げられた。あまりの突然の事に、悲鳴を上げそうになるのを寸でのところで堪えて口を塞ぐ。
けれど
「ん?何かかてぇぞ!?」
担ぎ上げた男の声が背中越しに聞こえる。
「その袋、破れてねぇか?周りに麦がめちゃくちゃ落ちてるぞ?」
他の男の声が正面から聞こえてくる。
まずいっっ。
袋に入る時に、スペースを作るために小麦を他の袋に移したのだ。
出したものは、手伝ってくれた男性が他の袋と紛れさせて処理はしてくれたのだけれど、やはりどうしても多少はこぼれてしまっていた。
まじまじと袋の外側から、見られているのを感じて、私は必死で息を詰める。ここで動いたらバレてしまう。
「なんだ?どうした?」
作業を止めた部下達を不審に思ったのか、先程の「ライル様」の声が響いて、コツコツと近づいてくる足音がする。
「頭ぁ、これ麦じゃないもん入ってます。大きさの割に硬ぇし、えらい重いんですけど」
私を担いだ男の声がして、重くて悪かったわね!とイラっとした瞬間。
ストンと彼が担いでいた袋を手放した。
「ぎゃっ!!」
ごつん。
たまらず声が漏れてしまった。
だって突然落とすのだ。いくら小麦粉が敷かれていても、お尻にくる衝撃はなかなかのもので・・・。
ハッとして口を噤んだ時には、すでに遅かった。
「人!?」
「女の声だぞ!?」
「いや、潰れた猫?」
困惑したような男たちの言葉と共にシャラリと金属が擦れる音がする。
あぁ、終わった。
瞬時に私は計画の失敗を悟った。
目の前の布が掴まれて、銀色の切先が差し込まれて、私の鼻先から下に向けて縦に引き裂かれていく。
開けた私の目の前に飛び込んで来たのは
金の髪を束ねた、アイスブルーの瞳の整った顔立ちの男の顔で。
あれこの顔・・・
「おんな!?」
周囲の驚いたような声は、私の耳に入らなかった。
なぜ、この顔が?
だって・・・この人は。
すでにこの世にいるはずのない人の顔を声も出せずに、まじまじと見つめていると。
「っつ!まさかお前!」
目の前の男が、不快そうに眉を寄せた。
そうして彼は思い出したように首元の布を目の下まで持ち上げて覆うと、その顔を隠すようにくるりと向きを変えた。
「この女、袋に戻せ!つれて戻る!」
端的に言う彼の姿は興味深そうに私を除き込む彼の部下達(なんだかゴツくて大きい男たちだ)の影になって見えなくなってしまう。
「え!?マジですか!好みだったんすか?」
「うるせぇ!とっととやれ!暴れて騒がれても困る。静かにさせとけよ」
そう人垣の向こう側から苛立った男の声が響いた。
それと同時に彼らを割って入ってきた、細身のこれまた布で顔を覆った男が私に近づいてくる。
「失礼」
彼はそれだけ言うと、呆けている私の身体に手をかける。
瞬間、ストンと私の意識は暗転した。