かけおちの前に……
忘れ物はないかしら
着替え、通帳、印鑑、持った。
携帯の充電器は忘れないようにしないと
そういえば化粧ポーチを洗面所に置いたままだった
あぶないあぶない
手紙はテーブルに置いた
夕飯はレンジでチンするだけ
ワイシャツのアイロンもした
あ、ゴミをまとめてなかった
明日は資源の日だから段ボールを縛らないと
布団も干したままだ
ポケットにいれた携帯が震えた。
見ると『大丈夫?』と彼からのメッセージ。
『ちょっとだけ待って』
『わかった』
彼が心配しているようだ。
あまり待たせてはいけない。
彼は私がいないと生きていけないと言う。
死んでしまったら困るので同行することにした。
手紙にも書いた。
彼が、私がいなくても大丈夫になったら帰ると。
夫が今日も恋人と夜を過ごすなら帰りは遅い。
夫の恋人がここに住むのなら彼女にも手紙を残そう。時間がないからメモ書きだけ
電化製品の説明書のしまい場所は書かないと。
夫が飲むコーヒーのミルクと砂糖の配分――恋人ならとっくに知っているかしら
洗剤やシャンプーのストックの場所も見ればわかるだろうし……
手紙は余計なお世話になりそうね。
携帯が再び震える
『来るよね?』
『いま出るところ』
家の鍵……置いたら戸締りができない
またいつか帰ってくるから持っていこう
でも恋人がいたら家に入れるかしら
大丈夫よね。妻なのだから。
夫も普通に帰ってくるのだから、
私が帰るのも当たり前よね。
忘れ物はないかしら
何か大事なことを忘れているような
今度はすぐに携帯か震えた
『愛してる』
…………愛ってなんだっけ
『いま出るところ』
返す言葉が思い浮かばず先ほどと同じ返信
愛が何か忘れたけれど
私を必要としてくれる人のところに行こう
それが私のしあわせだもの
なんだかスッキリした気持ち
忘れ物はないようね
「行ってきます」
私は重い荷物を抱え、家をあとにした。