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暗闇の中でもきっとまたあなたを見つける(2/2)

* * *




「陣人?」


 白枝に声をかけられ、陣人ははっと顔を上げた。


「ああ……何でもない」


 陣人は笑って首を振り、片付けの作業に戻った。

 ちょっとぼーっとしていたようだ。盆にカップと皿を乗せ、厨房へ下げる。


 ある日の昼のことだ。ランチの時間が終わり、客が掃けて店内は空になっている。


 白枝は陣人を見つめた。それから店の玄関口に行くと、「OPEN」の札をひっくり返して「CLOSE」にした。


 皿を食器洗浄器に入れようとしていた陣人は、驚いて言った。


「まだ閉店時間じゃないぞ」


「そこに座って」


「え?」


「座ってちょうだい」


 有無を言わせぬ白枝の言葉に、陣人は言われた通りテーブル席についた。


 向かいに座った白枝はじっと陣人を見つめた。


「さっき、お客さんからクレームがあったわよ。オムレツの味が変だったって。塩と砂糖を間違えたんじゃないの? 塩は赤、砂糖は青のラベル。言ったでしょ」


 陣人はしまったと思った。色が見えなくなったので容器の配置で覚えていたのだが、知らないうちに置き場所を間違えていたらしい。


「ああ……ごめん。うっかりしてた」


「あなた、最近ヘンよ? 何か隠してるでしょう」


 何もかもぶちまけてしまいという欲求が陣人の内側に込み上げた。

 だが絶対に言うわけにはいかない。真実を知れば、白枝はサキハシとの取引をやめさせようとするだろう。

 だが彼女を救えるのはあの悪魔めいた魔力を持つ男だけなのだ。


 一つずつ感覚を奪われて行く。すべて奪われたとき、自分がどうなるのかわからない。

 それでも――


 陣人は微笑んで首を振った。


「何でもない。元気だよ。君のことはちゃんと見えてる」


 白枝は心配でたまらないという顔をした。


「お願い、今日はもう休んで。それで病院に行って」


「店が終わったらいくよ。約束する」


「陣人……」


 陣人はウインクし、皿洗いに戻った。



* * *



 陣人はときどき考える。


 白枝と離れ離れになってから自分は友人と遊び、女の子に告白され、受験勉強し、志望していた大学に入り、将来は経営者を目指していたはずだ。


 だがそれらは脳に機械的に書き込まれているだけの〝記録〟に過ぎなかった。株価や平均気温と同じ、ただの数列だ。


 陣人にとって〝思い出〟はすべて白枝とともにある。

 白枝がいなかった年代は思い出の空白地帯だ。


 そして八週間後――




* * *




 市民病院の病室。


 しばらく前まで白枝が横たわっていたベッドには、今は陣人が横になっている。


 白枝はその隣の椅子に座っていた。泣き腫らした眼をしていた。


 陣人はここ最近は入院生活を送っていた。


 彼は感覚のほとんどを失っていた。にも関わらず、今朝になると病院を抜け出し、ある喫茶店へ向かった。


 そしてその喫茶店を出たところで、車に轢かれたのだ。

 車の運転手は必死に弁明した。「その男が車道にふらふら出てきた。眼が見えていないようだったし、クラクションを鳴らしても聞こえていなかった」と。


 もはや危篤状態で、陣人が昏睡から覚める確率は限りなく低いとのことだった。


「ごめんなさい。あなたのスマホを見たわ」


 白枝は鼻をすすって泣きながら笑い、ベッドの上の陣人に語りかけた。


「パスを結婚記念日にするなんて。バカね。スマホに残ってたあなたのメモを読んだ。あなたが毎週日曜日の朝にどこへ行って、何をしていたのか、みんなわかった。にわかには信じられなかったけど……でも、ここ最近のあなたの様子を思い出すと納得行った」


 白枝は陣人の顔に触れ、囁いた。その表情には悲壮な決意があった。


「さっきサキハシさんに連絡したの。今日、ここに来てもらって、あなたを助けてもらう。あなたを見つけるわ。何を引き換えにしても。今、あなたの心がどこにあるのだとしても、必ず見つけて連れ帰ってみせる」


 ドゴォオ!

 突然、病院のドアが蹴破られた!


 驚いて椅子からずり落ちそうになった白枝は、部屋に入ってきた二人の男を見てもう一度仰け反るほど驚いた。


 一人は黒い背広姿の男。驚くべきはその頭部だ。真っ赤な鶏冠トサカを持つニワトリなのである。


 ニワトリ男は右腕でサキハシの頭を脇の下に抱え込み、ぎりぎりと締め上げていた。サキハシはすでにさんざんに殴られた様子で、顔面が変形している。


 廊下で他の患者や看護士たちが息を飲み、悲鳴を上げている。


 ニワトリ男はヘッドロックしたサキハシを引きずるようにして病室に入ってきた。

 そして言葉を失う白枝と、ベッドの上の陣人を見る。


「こいつは契魔けいま家のスカムアーティスト」


 ニワトリ男はその眼に激怒の炎を宿しながら、白枝に言った。


「こいつは血族という怪物で――まあ俺もだが、人間から感覚を奪って食らう代わりに寿命を延ばす能力を持っている。病気になった人やその家族の弱みに付け込んでいたクズ野郎だ」


 白枝は呆気に取られたまま、両者を交互に見た。


 ニワトリ男は続けた。


「俺はブロイラーマンという。病気をバラまいてる血族を探してて、そのうちにこいつに行き着いて……いやまあ、それはいい。こっちの事情だ」


 ブロイラーマンは独り言のようにつぶやくと、腕に力を込めながらサキハシ、もといスカムアーティストに言った。


「さあ、テメエが奪ったものをこの人たちに戻せ!」


「ウグッ……できません」


 スカムアーティストは呻きながら言った。


「私の一部になってしまったものは戻せない!」


「そうかい、じゃあしょうがねえ。このまま死ね!」


 ブロイラーマンがひと息にスカムアーティストの首をねじり折ろうとしたとき、白枝が叫んだ。


「ま……待って! 陣人は……助けられないの!?」


「出来ます! 私なら!」


 スカムアーティストは死に物狂いの力を振り絞ると、懐から契約書の束を取り出してばらまいた。そして搾り出すように叫んだ。


「契約書に手を当てて、寿命を延ばしたい人の名を言ってください! 引き換えに忍沢様を必ず助けます!」


 白枝は足元に散らばった契約書を見下ろした。


 ブロイラーマンは白枝に向かって叫んだ。


「聞き入れるな! 寿命が延びても奪われた感覚は戻らない。その男は廃人のままだ。こいつの思うツボだぞ!」


「契魔家の血族にとって契約は絶対です! 必ずお客様の……ご希望通りに……」


 白枝は急いで床にひざまずくと、躊躇無く契約書に手を押し当てた。


「忍沢陣人を助けて!」


 その瞬間、白枝は眼を開いたままその場に倒れた。


 同時にスカムアーティストはブロイラーマンの腕を振り払い、突き飛ばした。ミチミチと音を立てて全身の傷が修復されて行く。


 白枝の全感覚を一度にすべて食らうことでパワーアップしたのだ。


「ゲップ! おっと失礼……一度に食べると胃に悪くて」


 スカムアーティストはちらりと押沢夫妻を見ると、冷たいビジネススマイルを作ってブロイラーマンに言った。


「……ね? 人間なんて愚かなものでしょう?」


 ブロイラーマンは首を回して筋肉を解し、構えた。


「だからってテメエが正しいことにはならねえ!」


 白枝は自分が暗い夜の海へ沈んで行くように、それらの光景が遠退いて行くのをぼんやり眺めていた。


 すべての感覚を剥奪されている。上下左右はもちろん、自分の手足がどこにあるのかもわからない。


 白枝は深海めいた暗黒の無重力空間を落ちて行った。


 不意に、彼女は無声の声を聞いた。


 白枝はそれに聞き覚えがあった。

 あのときは視覚や聴覚といった外部の刺激に妨げられて聞き取りにくかったものが、すべて失った今ははっきり聞こえる。


(この声! あの日、あのときも聞こえた……)


 白枝は声なき声がするほうに向かった。自分も同じように無声の声を発しながら。


 ぼんやりとしたその光がこちらに向かってくる。

 その中に再会したばかりのときの陣人がいた。着慣れないスーツ姿で、まだコンタクトにしておらず、眼鏡をかけていた。


 無声の声は彼が発しているのだとわかった。向こうもまた、白枝の声を聞いて彼女を見つけたのだ。


 白枝は自分の姿を見下ろした。大学入学式の帰りのスーツ姿だ。


 二人が出会ったその瞬間、暗黒に色彩が咲き乱れた。

 あたりは花びらが舞い散る満開の桜並木の道となった。二人はそこで向かい合っていた。


「何で私たちって……出会えたのかな?」


 白枝は微笑んでつぶやいた。


「これだけ広くて、これだけ人がいる世界で、これだけ長い歴史の中で。私たちは一秒も一センチもズレることなく交差した。何でかな?」


「うーん……何でかな」


 陣人は言った。


「俺は生まれたときから君を探す感覚を持ってたのかもね。君を認識するためだけにある何かを」


「私にもきっとそれがあって……それがあの声だった」


「そうだね」


 二人は笑い合い、そして抱き合った。


 今再び、お互いを見つけた。




* * *




 ブロイラーマンは再びスカムアーティストの首を腕で抱え込んでいた。


「オラアアア!」


 ボキャッ!


「グオオ……オ゛ゴッ」


 今度こそついにスカムアーティストの首の骨をへし折った。

 ブロイラーマンはさらに力を込め、スカムアーティストの頭部を一回転させて首をねじ切る!


 バキバキベキ! ボキッ!


 トドメを刺されたスカムアーティストは事切れ、血を噴き出しながら床に崩れ落ちた。悪魔めいた男でありながら、彼もまた他の生物と同じように死んだ。


 パワーアップしたスカムアーティストにはそこそこ手間取ったが、ブロイラーマンの敵ではなかった。


「あっちです、お巡りさん! あの病室!」


 廊下から焦った声と、ばたばたと足音と声がする。

 長居は無用だ。ブロイラーマンはスカムアーティストの頭を病室のゴミ箱に放り込み、病室の窓から出ようとした。


 窓枠に足をかけたとき、一度振り返って二人の男女を見た。


 彼が血族と呼ばれる怪物を殺し続けているのは、あくまでも自分の目的のためだ。他人を助けるのは本来の目的ではない。

 だがブロイラーマンの胸には苦い後悔がよぎっていた。


「あんたたちがまたどこかで会えるように祈ってるぜ」


 ひと言呟くと、ブロイラーマンは姿を消した。




(私はあなたを見つける あなたは私を見つける 終)

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