少年は夜を殺す(2/2)
2/2
「「うわああああ!?」」
突然のことに車内の男たちは悲鳴を上げ、とっさにハンドルを切った。
車はそのまま路肩のガードレールに直撃!
グシャアア!
衝撃の寸前に車から飛び降りていた日与は、猫のような身のこなしでアスファルトに着地した。
運転席のドアを片手で引き剥がし、中から男の胸倉を掴んで引きずり出す。
男は事故のショックで朦朧としていたが、エアバッグに抱き止められて大したケガはない。
男は自分を掴んで吊り上げている日与の姿を見た瞬間、目を見開いた。
日与の姿は少年のものではなくなっていた。
身長百八十センチ超のたくましい肉体に、雄鶏の頭を持つ背広姿に変貌していた。その鶏冠と同じく燃えるような赤のネクタイを着けている。
「……?!」
その眼光に見据えられた瞬間、男は日与が人外の存在であると本能で悟った。
目の前にいるのは本物の怪物であった。
「あああああ?! な、な、なんなんだお前……」
「ブロイラーマンという者だ」
日与は別名を名乗り、怒りを押し殺した声で言った。
「指輪を返せ」
「あ?!」
ドゴォ!
ブロイラーマンは容赦なく男の顔面を殴った!
白い歯が何本も折れて宙を舞う。
「オゴッ!?」
「指輪だ! 出せ!」
男は震える手で銀の指輪を取り出した。
ブロイラーマンがそれをもぎ取ると、男は悲鳴のように叫んだ。
「こ、こんなマネしやがって、テメエ! 死んだも同然だぜ! ウチの元締めはなァ、人間じゃねえんだ!」
「へえ……」
そのとき、ブロイラーマンの背後にひそかに周り込んでいた男が絶叫した!
「うわああああ! 兄貴ィ!」
助手席にいたもう一人の男である。
その弟分の男は抜き身のナイフを手にブロイラーマンに突進した。体ごとぶつかり、両手で握り込んだナイフをブロイラーマンの背に突きたてる!
ドッ。
兄貴分の男が喝采した。
「よっしゃ! よくやった、ノブ!」
「……?!」
だが弟分の男は呆気に取られていた。
ナイフが刺さらないのだ! プラスチックナイフの先端を硬い牛肉ブロックに突き立てたかのようだった。
ブロイラーマンは振り返り、ギロリと弟分の男を見た。
それだけで弟分の破れかぶれな蛮勇は吹き飛び、恐怖の虜となってその場に座り込んだ。
ブロイラーマンは兄貴分の男に言った。
「その元締めってのは、俺と同じようなのか?」
「そ……そうだ! あの人は人間じゃねえ!」
ブロイラーマンは少し考えた。
ボンドがコンビニの店頭に並ぶのは十二時過ぎくらいだ。まだ少しある。
兄貴分の男にぐいと顔を寄せ、ブロイラーマンは言った。
「お前らの溜まり場はどこだ」
――……数分後。
ブロイラーマンは繁華街の裏路地にいた。
目の前に「キリングタイム」というネオン看板を出したバーがある。
窓越しに見える店内は、チンピラの溜まり場といった雰囲気で、まともなサラリーマンなどは近付かない柄の悪い店だ。
ブロイラーマンは両手に引きずっている男たちのうち、弟分を地面に降ろした。
そして兄貴分を両手で頭上に抱え上げた。
「俺は礼儀正しいからノックしてから入る」
「え!? ちょっと待っ……」
兄貴分をバーのガラスドアに投げつける!
ガシャアアア!
「ぐわああああ!」
兄貴分の男の体はガラスを砕き、破れたドア板ごと店内に転がり込んだ。
客たちが悲鳴を上げる。
ブロイラーマンは弟分の男を引きずって店内に入った。
誰もが自分の目を疑っていた。突然ニワトリ頭の男がやってきたのだから当然だ。
「な……何だおい、フライドチキン屋の宣伝か?!」
バーテンダーが泡を食いながらもカウンター下からショットガンを取り出した。
ブロイラーマンはバーテンダーに弟分を投げつけた。
「「あああああああ?!」」
ガシャア!
二人は重なり合って後ろの酒棚に突っ込んだ。酒瓶が砕け中身が飛び散る。
奥のボックス席にいた売春婦たちが悲鳴を上げて逃げ惑い、あるいはテーブルの下に潜り込んで隠れた。
「テメエ!?」
店内のチンピラたちがナイフやバット、拳銃といった武器を取り出す。
だがそれを制した男がいた。
「待て」
黒いカジュアルスーツ姿の男である。
髪が真っ黒で、爪まで黒く塗っている。この中で彼だけが明らかに異様なオーラを放っていた。
ブロイラーマンはひと目でその男が同類だとわかった。自分と同じく人間ではない。
「血羽家のブロイラーマンだ」
「夜鬼家のナイトゴーントという者だ」
二人は名乗りあった。
彼らは血族と呼ばれる存在である。妖怪、魔女、獣人などとして伝承や民話に名を残している怪物の末裔だ。
科学が万能の神となった今の世では、血族は人に成りすまし、社会の影に身を潜めているのである。
なお日与は鳥人の家系、血羽家の血族である。
ナイトゴーントはブロイラーマンに目を細めた。
「君の名は聞いたことがあるよ、ブロイラーマン。町中の血族を手当たり次第に殺して回っている狂人だそうだな。一応聞いてもいいかい。僕に何の用だ?」
「お前を殺しに来た」
ナイトゴーントは笑い声を漏らした。
「なぜ?」
「暇だからだ」
ブロイラーマンは両手の指を組んで腕を伸ばし、ストレッチをした。
「というわけでお前を殺す」
「ハハハ……!」
不意にナイトゴーントに差した陰影がより色濃いものとなった。
闇に塗り潰されたその体から、真っ黒な両翼が生える!
「ハハァーッ!」
ナイトゴーントはマントを翻すように片翼を翻した。
とたんに真っ黒なペンキのような波動がほとばしり、ブロイラーマンに襲いかかった。
「うおっと!?」
ブロイラーマンはジャンプして回避!
波動を浴びたテーブルや椅子などには、どろどろした暗闇が黒々と付着している。
それはすぐさま蒸発して消えた。恐るべきことに、闇の波動が付着していた部分も抉り取られたように消滅している!
店内の客や部下を巻き込んでいるが、冷酷なナイトゴーントは気にも留めていない。
ナイトゴーントは再び翼を振るった。今度は両翼同時だ!
先ほどの倍量放たれた闇の波動に対し、ブロイラーマンはテーブルを蹴飛ばしてさえぎった。
バシャア!
テーブルが蒸発し消滅!
またも巻き添えを食って波動を浴びたチンピラたちも全身、あるいは体の一部が消滅し悲鳴を上げて転げ回る。
「「「ギャアアア!」」」
夜鬼家は夜の闇に巣食い、闇の波動を操る怪物の血筋なのだ。
ブロイラーマンは酒瓶を手に取ってナイトゴーントに投げつけた。
バシャア!
だがナイトゴーントが身に纏った闇に遮られ、消滅してしまう。
「血羽などしょせん卑しい獣人系の血族! 脳筋の貴様にこれが破れるかァーッ」
ナイトゴーントは次々に翼から闇の波動を発する! ブロイラーマンは逃げ回るのみだ。
ブロイラーマンは闇の波動を床から壁へジャンプしてかわし、さらに壁から天井へと飛び移ると、ナイトゴーントの間近に着地した。
ナイトゴーントはコウモリめいて闇の両翼を体に巻きつけて防御の姿勢を取る。そしてニヤリとした。
「殴ってみろ! その時点でお前は自分の腕とお別れだ……グワーッ?!」
パシャパシャパシャパシャ!
ブロイラーマンはスマートフォンのカメラのフラッシュを立て続けに焚いた。
猛烈な閃光をナイトゴーントに浴びせる!
ナイトゴーントが身に纏った闇の翼が一部かき消え、中にある本体の顔面をさらした。
ブロイラーマンはその穴に腕を突っ込むようにしてパンチを入れた!
ドゴォ!
ナイトゴーントの闇の波動は付着したものを消滅させる恐るべき能力だが、照明やネオンライトといった光源には付着しないことをブロイラーマンは戦闘中に見抜いていた。
あの闇の波動は光に弱いのだ。
「ぐおおお……?!」
ナイトゴーントは悲鳴を上げて仰け反った。
血羽は特殊能力を持たないが、血族の中でも特筆すべき身体能力を持つ。
パンチの一撃はナイトゴーントの顔面に深々とめり込み、陥没骨折させていた。
ナイトゴーントはよろよろと後退し、床に仰向けに倒れた。
闇の両翼がぼやけ、かき消えて行く。
ブロイラーマンは詠美が夢を語っているときの表情を思い出していた。
深夜の薄明のようなうっすらとした、だが夢という確かな光を持った顔を。
「お前の闇でも覆えないものがあるんだぜ」
ブロイラーマンは倒れたナイトゴーントの頭に向かって拳を振り上げた。
「待て、やめろォオオオオ!」
ナイトゴーントの制止を無視し、ブロイラーマンは瓦割りパンチを振り下ろした。
「オラアアア!」
グシャア!
ナイトゴーントの頭はスイカのように潰れて飛び散った。
ブロイラーマンは拳を引くと、手の血肉を振り払った。
振り返ると逃げ遅れた女たちと目が合った。彼女たちはヒッと悲鳴を上げた。ブロイラーマンは女たちに聞いた。
「金庫はどこだ。あるだろ?」
女の一人が震えながら言った。
「二階の事務所に……大きいのが」
ブロイラーマンはそちらに向かい、奥にあった金庫を素手でこじ開けた。
中からありったけの札束を取り出してバーに戻ると、床にバラまいて女たちに言った。
「次の就職先を探せ」
ブロイラーマンは店を出た。その姿はすぐに夜の闇に溶けて消えた。
* * *
テーブルに突っ伏していた詠美はハッとして目を覚ました。
サマーズ・ストアのフードコートだ。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
すでに夜が明けており、店内では早番の従業員たちが朝一番の陳列を始めていた。
詠美は血の混じっている涎を拭った。血は止まっていた。
ふと、目の前のテーブルに置かれた漫画雑誌に気付いた。
週刊少年ボンドだ。何か挟まっている。
自分の指輪と、分厚い札束だった。
詠美は立ち上がり、あたりを見回した。
少年を呼ぼうとして、名を聞いていなかったことを思い出した。
指輪を左手の薬指をはめた。
霧雨は降り続けている。どんよりとした鈍い朝日を浴びて、その指輪はまぶしいほどに光り輝いて見えた。
詠美はわけもわからないまま、涙が溢れ出していた。
(少年は夜を殺す 終わり)