未遂女、止まらない。
9話です。
ヤマナシから相談を取り付けられたからには、俺もただ待つだけではペースを握られたままだ。
彼女に言われたからではないが、俺が逆の立場だったらどうなのだろう。
数学の眠気攻撃を受けながら、午後の微睡を覚ます思考のお供に考えてみる。
先ず、魔法使いという前提。
魔女か……どっちでもいいな。
魔法が使えるというのはやはり便利なように思えるが、フィクションにも使い古されているようにありきたりな問題もあるんだなというのがここまでの情報だ。
現にヤマナシが言っていたのは二点。
バレてはいけない。勝手に魔法を使ってしまう。
どちらもフィクションにはよくある話だ。
では実際にその問題が起こるとどうなるのか、よくある展開。発見者が協力者になるとか、魔法を使わなくて済むようになんとかするとか。ストーリー的には凡そこんなのばかりだ。
協力者になる。却下。
そもそも何を協力すればいいんだ。ヤマナシから具体的な話も聞いていないのに。何よりあの面倒臭い女に関わるのは是とするべきではないと俺の本能も言っている。
では、ヤマナシが絡んで来ないように魔法自体を何とかする。無理だろう。
昨日まで会ったこともない女の、あるとも思わなかった魔法だ。こちらも俺から起こせるアクションはない。
話が魔法に逸れたが、そもそも自殺未遂もどうなんだ。
全く、つくづく人を振り回すのだけは上手いな、奴は。
数学を受ける合間、頭の半分で数式を解きながらもう半分しか思考に裂けないとは言え考えても仕方ないことばかりじゃないか。昨日から何も進展していない。
しかし考えないと振り払えずに胸の内に靄が広がり、話題から暗誨とした気分だけが確かに残る。
辛うじて今考えられるのは何か。
そうだ。魔法について俺から言えることはないが、自殺自体は悪いことだとは俺は思っていない。
目の前で死なれる寸前だったあの場でこそ否定したような立場だが、別に余所で死ぬなら勝手にどうぞ。
生から逃げるなら、死に立ち向かうなら、それは立派な勇気じゃないか。何もせず日々を過ごすより余程決断の意思に満ちている。勿論社会的に言えば親からの投資返済や死体の後処理や考えるべきことは山ほどあり、それ故に自殺は悪だと見做される。ヤマナシもそう思っているようだった。
だが自殺するのは個人であり、借金でも無ければ遺される問題は死体という廃棄物と個人外の柵のみだ。「将来どんなことがしたい」なんて自分の人生の進む道を決定できないような青二才が糾弾されるのはよくある話。自殺は死を決めているだけそれより立派だと俺は思う。
だから俺とヤマナシはそりが合わないのかも知れない。魔法という超常的な事象を除いても、根本的に考え方が異なっている。
生きたいと、安穏と暮らしたいと願う少女に何もせずただ生きているだけの人間が何を言えるんだろうか。
「やっさん、今日も眠そうね」
解けない式に向かいながら、気付けばあっという間に数学の授業も終わっていた。話しかけられなければ席を立つこともなく次の授業を迎えてたかも知れない。
「……数学はダメだな。いっそ死にたくなる」
「そぉれなー!なんで理科系やんのに数学必至なんだろうね。全部機械でパパッとやってくれればいいのに」
いっそのことと、何も思うこともなく死にたいなんて口から出してみた。教室の喧騒に紛れた陰気な言葉。考えてもいない答えを求めた意味のない会話のキャッチボールには、空気のような返答が返ってきた。
「相田はすごいな」
「何がよ」
こいつも、ヤマナシサイドだ。
「理系行きたくて、その上で数学無理って話だろ?目標見据えた上での壁ってだけ大したもんだよ」
「いやその方がキツいって。捨てれねぇもん」
げぇ、と舌を出して両手を天に仰ぎ見せる。
「ま、今から文理決めてんのは早過ぎるかなって思わなくもないけどね」
「早過ぎる?」
「だって一応ここ、進学校じゃん。ちゃんと選べばそれなりのトコ選べるのに、何も考えずに決め切っちゃうの勿体無くない?」
そういうものだろうか。
目標なんて、早いに越したことはないと思うが。
「勿体無くないかは分からんが、悪いことではないと思う」
「決めてても勉強なんかしねぇっつの。あ、チャイム」
また気付けばあっという間に授業だ。
「やっべ、教科書出してねーや。いつの間に時間経ってたかや」
「眠いからな。時間も早く過ぎるもんだろ」
俺も教科書はロッカーなので立ち上がる。
次は世界史だ。身体を伸ばせばパキパキと関節が小気味いい音を鳴らした。少しだけ、寝るか。
うとうとしていれば、世界史だけでなく残りの授業も夢心地のまま終わっていった。惰眠に奪われた思考を理性が取り戻しても、結局ヤマナシが俺の頭の中を制御不能にループしていた。
帰宅するまで、してからもいつも通りののんびりとした時間が駆け足に過ぎる。本の世界に没入しても、気付けばヤマナシのことを考える時間の方が多かった。
微塵も集中出来ない。
日色の瞳と阿呆面と、やたら浮かべる愛想のいい笑顔が代わりばんこに脳裏を過ぎる。
明かりも点けずに暗くなった部屋では、もう本も読めない。手に持つだけの本を枕元に投げ、針が進んだ時計を見やった。
「……四六時中考えさせられたら、たまんねぇよ」
何の気もなく闇に溢れた言葉から、ヤマナシの「もしかして、恋?」なんて台詞が思い出された。
全く、本当に堪ったものじゃない。なわけあるかよ。
「…………助けてヤサえもぉん……」
またすぐに次の昼が訪れて。
屋上にはペタリと尻を地につけて、土下座に近い体勢で頭を下げるヤマナシの姿があった。
例によって子熊の鍵は使っていない。
ゆっくりと頭を上げたヤマナシの目は、仄かな彩を帯びていた。
「魔法、止まんないのぉぉおぉおぉ……!」
ヤマナシはそう言って、今度は泣き崩れるように頭を下げた。
パシャッ。
「いや何で撮ったの」
「いや、撮るだろ」
なぜだか気分がとても良かった。
相田は科学キッズ。小学生みたいに色んな現象が好きだけど理論理論しいのは好きじゃない。