未遂女、ちゃんとする。
5話です。
予鈴が鳴った。
気付けばもうそんな時間になっていたのか。色々あり過ぎて全く気にしてなかった。
「ここってめっちゃチャイムの音大きいね。びびった」
キョロキョロと辺りを見渡しながらヤマナシが音の出本を探していた。
屋上で見えるのは快晴の空と薄汚れたコンクリート、給水タンクと緑のフェンスだけだ。
当然、校外の住宅街から鐘の音が聞こえるわけもない。
「屋上にはないが、真下の三階の壁にスピーカーが付いてるからな。さ、帰るか」
立ち上がりヤマナシが転がした如雨露を拾う。午後一の授業は現国なのでハルちゃんだ。寝ないようにしなければ。
「ちょいちょいちょい、結局名前も聞いてないんだけど?」
そのまま帰ろうとした俺の腕をヤマナシが掴んできた。
「いや、もう昼終わるだろ」
「終わるけど!終わりますけど!え、この流れで解散?まじ?」
「話聞いてやるのは昼休みだけだ。自殺女は授業出ないのか?」
「そうなったらガチじゃん。出るよ。えぇ、なんか、もやもやしたまま終わるぅ……」
納得したのかヤマナシが手を離す。サボるほどの度胸はないのか、この自殺未遂女は。
次の授業なんだっけかなー、と帰る気は満々である。落ち着かない情緒の女だ。
「ま、さっきのことは俺も忘れられるもんなら忘れたい。ここでさらばだ。じゃあな」
屋上から出るにあたって重い扉を引いた。錆びかけた金属の扉は開く時だけは力がいる。
そう言えば。
「お前どうやって鍵開けたんだ?」
ヤマナシが不思議そうに首を傾げた。右ポケットからハルちゃんの趣味の子熊のキーホルダーが付いた屋上の鍵を取り出しながら、スペアは鍵箱の中にあったっけと思い出す。記憶が確かならそんなものはなかったはずだ。
「それ魔法見た後に聞くの?」
俺たち二人が出れば、軽い力であとはほとんど自然に閉まるドア。
そのドアに触れず、日色の目の少女は指を振る。
カチャリと、ドアノブから音がした。
念のため回してみれば、俺の右手の鍵の出番がないことが確認できた。
「さ、帰るか」
「ノーコメントかよ」
「俺職員室寄るから。じゃあな」
「一瞬でなかったことにすんな」
同じ一年なら階段を降りて右、俺はそのまま下だ。この意味のわからない女とはここでお別れである。
「あのな、確かに俺も暇潰しに話し相手にはなったさ。だがな?」
「……だがな?」
言われることを半ば予想したヤマナシが顔にげんなりとした色を映した。屋上という少し特殊な環境で見た不思議な出来事があっても、屋内に入ればどこにでもいるただの少女だ。
だがな。
「確実に、お前に絡むの面倒だろう」
「否定できねぇこと言わないでよ」
「無茶言え。こちとらここまで付き合ってやった上に飯も奢ってやってんだぞ」
「それは!ごちそうさまでした!でももっといいじゃん!話聞いてよお!」
「はいはい。授業遅れるぞ、じゃあな」
歩き慣れた薄暗い階段も話し相手がいると印象が違うな。話し声が響くのは新鮮だ。
踊り場の水道に如雨露を置き、付いてこようとするヤマナシを見やる。
改めて普通の女だ。
この昼休みだけで頭の中を散々にめちゃくちゃにしてきた、おかしい女。
「お前、職員室に用あるのか?」
「ないよ」
「一年の教室なら右から行ったほう早いぞ。なんなら俺は次の授業の準備も手伝わされる」
事実だ。鍵は職員室奥の鍵箱でなくハルちゃんに返しても構わないので、ついでにプリントの類を任されるのはよくある。
「ぐぬぬ」
「そういうのって言葉そのもの言うもんじゃないだろ。ほら帰った帰った」
やがてしぶしぶとヤマナシは一年教室へと続く廊下に向いた。
首だけ振り返り、恨めしそうにこちらを黒い目で睨んでくる。
「せめて名前くらい教えてよ」
俺は階段を降りながら、振り返ることなく答えてやった。
「ウィリアム・スミス。よろしくな」
「だからなーんで一瞬でバレる嘘つくかな」
しかしそれ以上は追及してこないヤマナシであった。
さて、とっとと職員室に寄ってしまおう。
「ご飯ありがとー!ズボンごめんね!」
階段を降りていると、頭上からヤマナシの声が聞こてきた。
……そういえば生乾きのまま、着替える時間もなさそうだな。
やっぱりあいつ、とんでもない女である。
「はーい、鍵ですねー。いつもありがとう、谷坂くん」
「いえいえ。俺ものんびり出来ますし」
「ほんとはあんまりのんびりしちゃうとダメなんだけどね」
残念ながら今日は全くのんびり出来なかったのだが。
職員室はいつも通りコーヒーの匂いがした。ハルちゃんの席の周りも、いつも通りここだけふんわりとした甘い香りがする。
やっと目まぐるしかった昼休みの終わりを実感できた。
どの花が咲きそうだとか手入れは出来ないからどうしようとか話しながら、ハルちゃんがいつも通りのほわほわした笑顔で俺にプリントを渡してくる。
「じゃあ今日もお願いね。本鈴が鳴ったら行くから」
「了解です。もっとゆっくり来てもらっても大丈夫ですよ」
「先生の授業が受けたくないってことー?」
「先生もゆっくり休んで下さいっていうことですよ」
「おー、ずるい言い方するねぇ」
お互いに笑い合う。
ハルちゃんは人気者なのでいつもギリギリまで生徒が訪ねてくるから、休む間がない。
かわいい担任に休んでもらいたいのは生徒多数の想いだ。
「ところで谷坂くん、ズボンどうしたの?」
ハルちゃんが俺の下半身を指す。
奴にやられたまま見た目に分かるほど湿っていた。
「さっき如雨露戻すときにやらかしちゃったので。着替えるんで授業の最初いないかもです」
「あらあら、風邪ひかないようにね」
「気を付けます」
それだけ言い残して職員室を後にする。
時計を見れば、本鈴までもあまり時間はなさそうだった。
急いで着替えなければ。
ハルちゃんはいつも好物のチョコを食べてる。体重の話はするな。