未遂女、便乗される。
38話です。
激動の土日を終え、月曜日。
週末からは定期考査が始まる週頭に意気揚々とする学生は少数派だろうが、今日は特に普段に増して足取りが重かった。
気分的なあれこれだけではない。
教室の扉を開き、席に着いて息を吐くとともにその遠因になった少女に目を向ける。
「おはよー、かおちゃん。ん、どしたん?いつにもまして覇気がないねぇ」
「よう、小野町。そっちは朝から覇気たっぷりだな」
「おはよー、かおてゃ!私が使えるのは見聞職と覇王色くらいだよ」
「よう、小野町小鞠。使えるのかよ」
「ん、練習中」
諸学生の憂鬱などものともせずに爽々としたいつものドヤ顔を向けるのは、笑顔を向けられただけで元気になると噂(男子談)の美少女委員長であった。
「え、何、小鞠って谷坂と仲良かったっけ?」
「ていうか何、かおちゃんって」
「えへへ。斯く斯く然々で深い仲になりまして」
「大いに誤解を生みそうな補足どうも」
朝からまた小野町の教えを授かりに集まっていた女子から、当然の疑問が飛ぶ。
俺もまた同様に、呼び方は結局固定なのかと意見したいところだが、火に油を注ぎそうなので口の中で留めた。
クラスメイトは何か言いたげではあったが、一先ずは気にせずにいてくれるようである。そもそも前後の席の級友が名前で呼び合うことがそんなに物珍しいかと別の意義も立てたくなるが、それが出来る人格ならば元よりこのような懸念も生まれないのだろうな、と自分に悲しい納得をさせるだけだった。
空気に馴染めないのは元からなので、いつも通り、少しだけ開き直ることにする。
「それより、後で朝の内にちゃっちゃといいか?」
「ん、いいよいいよ。じゃあ、ごめんね二人とも。斯く斯く然々だからまた後でゆっくり聞くね」
「かくしか了解~」
「全然いいよ。ウチらもちょっと色々まとめてみるから」
小さく手を振りながら俺に好奇の視線を向けつつ、二人が去って行く。遠くから「でも谷坂はないか」と小さく聞こえる陰口の詳細までは分からずとも、無駄に気分をフラットにしたところで改めて小野町に向き合った。
「朝から大盛況だな。よかったのか?」
「ん、お陰様でね。時間かかりそうだし、いーの。今日は部活の先輩がキツくてどうしよ案件だぜい。流石に武装色も見聞色も覇王色も使えるあたしでも、朝からはちとヘヴィーだしね」
周囲に聞こえないよう、小野町が少し身を寄せて小声になる。
それだけで小野町の吐息が伝わり、柑橘系の香りが脳に甘いフィルターをかけ、外した視線も揺れる髪の一房に囚われるのだから敵わない。
「見聞と覇王だけじゃなかったか?」
「ん、練習項目に追加した」
悪戯気な笑みを浮かべ、真っ直ぐに俺を見る小野町。
周囲が何か言ったわけでもないのに、なぜか人に見られてやいないかと、誰も混ざってくるなよと、浅ましさが加速するのだから男子というのは単純だ。
せめてもの抵抗に、話を無理やり戻すことにした。
「ほら、こんなん」
鞄から取り出したるは、つい昨日買った参考書たちである。
昨夜の内に結果報告(及び小野町からの弄り)のためメッセしたところ、実物も見てみたいとの希望があり、通学鞄にその重量を増して平時より俺を疲弊させた原因である。俺としても初めて買う種類の物だし、実際に勉強が出来るアドバイザーのお墨付きがもらえれば安心というわけだ。
「ほうほう。あ、これは私も使ってるシリーズだね」
ぺらぺらとページを捲り、時にじっくり眺めながら小野町が一冊ずつ検品していく。
思ったより真面目な表情で、真剣に考えてくれているのだと傍から見ても分かるほどだ。責任感が強いのは言うまでもないが、アフターフォローまでしっかりしているのだなと、当事者になって初めて小野町の頼もしさを実感した。
これは、頼りたくなるワケだ。
おまけに、集中しているツラが良い。俯きがちになることで、瞼にかかる睫毛のカーテンの美しい並びを際立たせ、いつもはツンと張りのある頬もふんわり落ちて柔らかい印象になっている。綺麗に整えられた髪の流れを見ていると気付く頭の小ささが、愛らしくもある。
ぼうっと待っていると、気付けば検品を終えた小野町と目が合っていた。
「見惚れてた?」
「見惚れてた」
「やさか、あたしの心臓悪くさせるの、クセになった?」
「おいおい小鞠、呼び方崩れてるぞ?」
「……うわああああ、屈辱!かおてゃに!!してやられた!!!まぁそれは置いといて、分かりやすくていいんじゃない?これなんか注釈で関連のページ引いてるし、演習も解説丁寧だから理屈っぽいかおちゃんの好みっぽいし」
我ながら大層気持ち悪い茶番と実際に気持ち悪いとのお言葉をいただきつつ、成果物には概ね好評を得た。
今回の考査にはじっくり読み込めるほどの猶予は残らせていないが、練習問題や不明点の解説くらいは役に立つだろうとの目星である。
「教材選びって、結構大事だからね。下手に苦手意識持ちながら必死に理解しようとするより、教科によってはまず問題数こなして体で覚える方が良かったりするし。ん、センスいいと思うよ。良きに計らえ」
「くるしうないご講評どうも。あー、今度なんか礼でも考えとくわ」
寸評を終えた参考書たちを鞄に戻す。実際に活用しないことには宝の持ち腐れになってしまうので、後は俺次第であると決意を新たに前を向こうとするが、小野町はむしろ机に置かれていた参考書の間を詰めるように身を乗り出してきた。どうやら俺とのお喋りに興じる構えを崩さないようだ。
「いいよ、別に。にしても随分真面目だね。こないだは聞きそびれたけど、急に勉強に目覚めちゃった?」
「んー、まぁ、色々あってな」
「ふーん。ここまで協力してあげたのに、教えてくれないんだ?」
「勉強するのに理由なんてないだろ」
「ふーーーん。いつもは『勉強する理由なんてないだろ』的な態度だったのに?ま、言いたくないなら聞かないけどさ」
流石に勘がいい。変に取り繕わずに真面目になったとでも言えばよかった。
しかし、まぁ、小野町なら少しくらい言ってもいいか。
「アレだ。バカ同士、最高点で勝負して賭けてんだよ。しょうもないだろ」
「いつものバカと?」
「他のバカと」
「今俺の名前呼びましたかー!?」
遠くから地獄耳の相田が反応していたが、放置。
「ん、まぁ何でもいっか。ちなみに負けたらどうなるの?」
「相手の言うことを聞く」
「へぇ」
そこで小野町が、ニヤリと笑う。いつもの快活な笑顔ではなく、愉悦でわざとらしく口角を上げた表情だ。続く言葉は容易に予想できるが。
「なら、あたしとも勝負する?」
「冗談だろ。勝てない戦いはしないんだ」
「現国対決ならいい塩梅じゃない?」
「負けたら?」
「ん、同じ条件でしょ」
「普段の小テスト程度ならどうだか知らんが、流石に真面目に勉強した考査だと俺に勝ち目ないだろ」
以前の小野町の言通りなら、基礎はギリギリで俺の方が勝っているようだ。
しかし、それこそ藁にもすがるほど真面目に取り組んでいたテスト勉強を踏まえて、となると話は違うだろう。
さっき耳打ちされた時と同様、小野町が顔を寄せて囁く。
「あたしのこと、好きにしたくないんだ?」
ほとんど同じ距離なのに、さっきよりも男子の性がゾワリと反応してしまう。触れてもないのに、たった数センチ寄せられただけ、言葉が違うだけで、背骨を直に撫でられたかのような衝撃が走った。
「昨日なんて、デートにも誘ってくれたのに。それ以上のこと、したくないんだ?」
本当に小野町かと見紛うほど妖艶な表情で、小野町が甘い声を出す。
或いは、俺の理性が勝手に脳内でアホらしい補正をかけているのかもしれない。
「乗った」
実際にそんなにバカなことを言うつもりはないが、この誘いを断れるはずがない。
紳士的な内容にして点数を稼ごうだなんて即刻考えてしまうのだから、底が浅いったらない。我ながら、その発想が出る時点で既に最低である。いっそ罰ゲームらしく、まともな内容よりも、振り切った方がいのではないかと免罪符まで発行しようとするものだから救えない。
「うわーお、野獣だね。流石にあんまりアブノーマルだと拒否権ありね」
小野町が楽しそうに笑う。果たして彼女の想像の中では俺はどんなことをしているのか。或いは、俺を舞い上がらせた挙句に叩き落して、どんな無理難題を言いつける気なのか。
「お互いにな」
「あたしはそんなに無茶言うつもりないもんね」
小野町がさも不満げに眉を寄せて唇を尖らせる。その仕草はあざといながら様になっているのだが。
「おいおい、もう勝った後の心配かよ」
「かおちゃんこそ」
俺は精々すました顔で、自身に満ちた表情に見えるよう心掛ける。
「さっきも言ったが、勝てない戦いはしないんだよ」
「ん、楽しみにしてる」
ドヤ顔を向けたはいいものの引際が分からず、小野町は相変わらずニコニコしているのみ。
それ以上続く言葉も持たず、すごすごと前を向いてポケットから文庫本を取り出すのだった。締まらないものである。
一分後、読書してる場合じゃないことに気付き、本を鞄に詰め込んで新品の参考書を開いたら、後ろの席から吹き出して笑う気配がした。
結局、朝の時間は背後から視線が突き刺さり続けるようで、全くと言っていいほど集中できずに終わってしまった。
モブ「でも谷坂はないか」
「陰だしね、話したことないけど」
「相田とか道井と仲良いっけ」
「じゃあバカじゃん。本読んでるし頭良さそうなのに」
「見かけによらないね。ヤバい奴だわ」
先入観貫通馬鹿友によるぼっち加速。




