未遂女、避ける。
33話です。
風呂上がり。
乾かしながらも熱を孕んだ体をベッドに投げ出す。
枕元に放り投げていたスマホを触ると、通知が浮かんだ。
まだ小野町かと思いつつ、身体の気怠さを気分の高揚で誤魔化しながらいざメッセを開いてみると。
『月見山友紀:今暇ですか?』
『谷坂薫:本を読むところ』
何だろう、この感情の落差は。
咄嗟に否が出るくらいの具合で、辛うじて返信だけはしてやるのだった。
『月見山友紀:勉強進んでる?』
『谷坂薫:これから読書ってことは、構ってる暇はないってことだ』
『月見山友紀:スマホ見てるじゃん!』
『谷坂薫:何だよ、要件は』
『月見山友紀:敵情刺殺!』
『谷坂薫:殺すな。視察だろ』
『月見山友紀:勉強疲れた〜』
『月見山友紀:(倒れ伏す少女のスタンプ)』
『谷坂薫:風呂入って寝ろ』
『月見山友紀:まだ20時だよ!?』
『谷坂薫:いつも何時寝だよ』
『月見山友紀:21時!』
『谷坂薫:うわ、ガキ』
『月見山友紀:4時起き!』
『谷坂薫:健全な肉体には健全な精神が宿るのにな……』
『月見山友紀:どういう意味だよ』
『谷坂薫:修行ならちゃんとしろよ。勉強はしなくていいが』
『月見山友紀:そう、それ!勉強教えて!』
『谷坂薫:教えないつったろ』
『月見山友紀:じゃあ私が教えるから!たまの休みの!修行回避イベントを下せぇ!』
『谷坂薫:そこは普通にテスト勉強で免除してもらえよ……てか死活問題なんだからどっちも必死こけよ』
『月見山友紀:日頃ちゃんとしてれば大丈夫でしょって言われる』
『谷坂薫:ぐうの音も出ないじゃないか』
『月見山友紀:明日予定あるの?』
『谷坂薫:外に出ても息抜きに本屋行くくらいだぞ』
『月見山友紀:じゃあ勉強じゃなくていいから!遊ぼうぜ!』
『月見山友紀:既読無視やめて』
『谷坂薫:呆れた顔してたんだよ』
『月見山友紀:スマホ越しに分かるか!』
『月見山友紀:うそやっぱり分かるかも』
『谷坂薫:面倒』
『月見山友紀:そういうとこ』
諦めたのか、月見山の追撃が止まる。
一時間無視すれば就寝しているであろうこの女、流石に憐れだな。
勝負の件を考えると勉強なんかせずにさっさと寝て修行してろと思わんでもないが、こいつには前科がある。文字通り、放っておくと何をしでかすか分かったもんじゃない。
そういえば、前に二人で出掛けた時も同じような理由だったなと思い出す。
『月見山友紀:(頭を下げて何かを乞う猫の写真)』
『月見山友紀:トモも頼んでることだし、ね?』
どれだけ必死だ。
シンプルに、月見山だから面倒というのもあるが、昨日の今日でまた勉強会というのが気が乗らない最たる理由だ。
今日の小野町を否定するわけではないが、人に教えることが自分の勉強にどれだけ役立つだろうか。というか、人に教えるレベルに達していない自分の詰めの甘さを自覚しているからこそ、効果に期待ができないでいる。
無論、月見山から教わるのも言語道断であるからして。
俺には憐れな魔女に救いの糸を垂らすことはできない。
『谷坂薫:南無三』
『月見山友紀:まだ!まだ終わってない!』
しかし気分的にも効率的にも、どうしようもないのだ。
……まあ、粘られて面倒なのも考えものなので、せめて妥協点を探してやるか。
何か小野町からの教えの中で活かせるものはなかったかと思い出す。
小野町自身が非常に優秀だけに、俺かもしくは月見山が実践できる方法がすぐに思いつかない。少なくとも普段の授業態度や基礎の理解度も違うし。
いっそこのまま忘れてやろうかと月見山への返信を保留にしつつ、何気なく開いたさっきまでの小野町とのトーク画面を眺める。
「あ」
思わず、声が漏れた。
勉強はしない。外に出る。勉強が目的。明日の予定。
暴走なぞしないように月見山の欲求を満たしつつ、俺の原理とも外れない、条件に合致するものがあるじゃないか。
やはり見習うべきは委員長だな。今度礼を言っておこう。
『谷坂薫:一緒に出掛ける訳じゃないが』
『谷坂薫:参考書を見に行こうと思う。着いて来たけりゃ勝手にしろ』
『月見山友紀:谷坂きゅんのスーパーツンデレタイム大好き』
『谷坂薫:おやすみ』
『月見山友紀:すみませんせめて時間だけ教えてくだせぇ!』
『月見山友紀:(土下座する少女のスタンプ)』
一口に参考書と言っても、あまり立ち寄ったことはないが実際の書店のコーナーにはそれなりの広さがある。
小野町の写真の数冊でさえ、漫画調のものから問答式のもの、科目や範囲もバリエーションがあるようだ。
それが本の形をして、勉強に加えて読み進めやすい要素があるならば、少なくとも俺が自分で使う分には相性が良くないことはないだろう。
思いつきだが、試してみるのも悪くないと思う。
『谷坂薫:11時に駅前だ。参考書を見る以上のことはない。さっさと行ってさっさと帰る』
『月見山友紀:やったー!ありがと!』
『月見山友紀:頭を下げる少女のスタンプ』
確か、数学は朝にするといいと小野町が言っていた。少し勉強してから息抜きに出る方が具合もいいだろう。
しかし、いずれにせよ勉強と修行から逃げるために勉強道具を見に行くというのもどうなのか。しかも前のパターンなら、別に起床時間と早朝修行は変わらないのではなかろうか。
どうでもいいな。
我ながら月見山なんかに甘いのではないかと思わないでもないが。
同情や付き合わない面倒さもあるが、今回は日中にした小野町への良い格好しいの態度が継続したのだろうと自覚があった。
浅い、浅い。たとえ月見山が相手でも、単純な馬鹿で嫌になる。
小野町が困っていただけで、俺が上から教えを垂らす訳でもないのに。勝手に困る月見山が足掻くだけで、俺が伴う意味はないのに。
ベッドに投げたスマホを尻目に、読み終えていた短編集を収まりきらない本棚に押し込むのだった。
次の本を選ぶ気も起きず、何となく勉強を再開する気にもなれなかったので、たまにはリビングでテレビでも眺めることにした。
一日頭を使った反動で眠気が脳内に足音を立てて攻め込んで来ている。
流れていたのは親が見ていた天気予報で、図らずも明日が快晴だと知った。絶好の出掛け日和だ。月見山との予定なんて、何も楽しむことはないけれど。
そんな日曜でも帰ったら篭って勉強しなければならないかと思うと、学生の身分が恨めしい。
かといって夢中になれる部活などに入っている訳でもない。
本の世界のためにリアルの世界を捧げるのだから、勉強するのと似たような時間の使い方にはなるのだが。
「あんた、明日は家にいるの?」
母から投げかけられた問いだ。つい先ほど決まったばかりである。
「いや、参考書見に行く。午前の内に、フラっと」
「そう。明日は母さん出掛けてるから、お昼は適当にしてね。お父さんもどうせいないだろうし。外で食べるなら千円渡しておくけど」
「外で食う」
バイトをしてない高校生に千円はデカい。
適当に安い飯でも食えば、お釣りで中古の本が買える額だ。
半ば条件反射で答えたが、ふと脳裏に何かしらの懸念が生まれた気がした。眠気で忘れるくらいなので、いいか。
「ていうか、参考書なんてどういう風の吹き回し?お金かかるなら出すけど」
「ほら、今日勉強した奴に勧められ……見習って。そういえば相場は知らんな。後で聞いてみるか」
「まぁ、真面目にやるならいいけど。……でも、ちゃんとした友達も出来たみたいで安心したわ」
レシート出しなさいよと、千円に加え一桁多い紙幣も渡される。昼代は半ば公認の小遣いだが、学用費は別なのか。
「友達、ってか、まぁ」
「何その煮え切らなさ。彼女?」
「この息子の顔見てよくそんな夢想言えるな」
「女子なのは否定しないんだ。へ〜ぇ?」
「うっさい」
「片想い?可愛い子?」
「うぜぇ。クソ真面目な委員長が底辺ド陰キャに声掛けてくるだけだ」
「可愛いの?」
「……美人ではある」
「十分じゃん。明日もその子と?」
「だっから、違うっつの!明日は別の奴」
「女の子?」
「……」
「……あんた、高校入ってデビューでもしたの?」
「たまたまだし明日の奴はもっと無いから安心してくれ」
「この息子の顔でよく選り好みする言が出るもんだよ」
「兎に角違うから。じゃ、そういうことで」
渡された金だけ握り込み、逃げるように部屋へ。
ニヤニヤと追撃はして来ない母だが、だからこそ余計な弁明もできず腹が立つ。
少し冴えた目で、最近の関係を考えてみた。
今日の小野町は、完全におこぼれ、優等生の意欲的な気まぐれ以上のことはない。
だが、人に月見山との関係性をどう説明しようか。友人ではない。人生相談相手だが、それこそどんな関係を基での立場か。
人に、というかあの揚げ足取りの母親を納得させられるだけの言葉は思いつかなかった。小遣いをもらう被扶養者の立場上、反抗期を迎えるのも馬鹿らしい。親子仲は悪い訳ではないが。
「……バイトでもするか」
テスト終わったら考えてみるか。
接客はないな、などと別の思考がすぐに散らかって集中出来ないのは、テスト期間だからだろう。
母親の趣味、家族いじり。明日は近所のマダムと食事に行くので息子に女性の知り合いが出来たことを報告する予定。




