未遂女、仕掛ける。
29話です。
「いざ勝負」
「尋常じゃないな。なんだいきなり」
小野町とは部活がない後日勉強しようという話になり、放課後には相田とダラダラ勉強会をした翌昼。
屋上に現れたドヤ顔の月見山の言である。
晴れ空の太陽を背に、勇んで仁王立ちする月見山が突きつけてくる指を外側に折れば、ぎゃあと悲鳴が上がった。
「テストの点、どっちが上か勝負しようよ!」
「この間、頭弱いこと自白したばっかだろ。よく持ちかけられんな」
「油断した隙を突く作戦」
「お前そういうところが頭悪そうに見えるよな」
油断させる側に、自白してどうする。それすらも手の内だとしたら感心するが、しかし感心も油断もだからどうなると繋がる要素ではない。
「どうせ俺が勝ちそうだから是非はないが、罰ゲームは?」
「買った方が負けた方の言うこと一個聞く!」
「分かりやすいな、乗った」
「聞くだけ、はナシね」
「お前俺を何だと思ってるんだ」
「谷坂くんじゃん」
谷坂薫だ、と揚げ足を取ろうかと思ったが、やめた。
シンプルに月見山より良い点取って、ダル絡みやめろ、と言ってやれば済む話。
「言い出しておいて、勝てる見込みあるのか?」
「ハンデとして、お情けポイント」
「せめて自信持った上で勝負かけてこいよ」
頬を膨らます月見山。普段のおつむのレベルは知らないが、今の様子からだとどう考えても賢そうには見えない。
「レディファーストの制度です。総合点じゃなくて、受けた中で一番高い点ならどうよ!」
つまり、俺の場合は文系科目のどれかになるのだろう。恐らくは、現国。
そこまで言うからには月見山も得意な教科くらいあるのだろうか。
「お前得意科目なんてあるのか?」
「こう見えて数学はできるもん。二桁の掛け算暗算できるよ」
「は?」
今日はやけに多いドヤ顔を浮かべる月見山。こいつのどこにそんなスペックがあろうか。意外なんてもんじゃない。
「928×57は?」
「二桁だってば」
「じゃあ96×34」
「えーと、3264」
ほとんど間もなく答えてくれたわけだが、生憎と俺は正解を知らない。
「合ってるのか?それ」
言いながら、スマホの電卓をぽちぽちと。どうやら間違いはないらしい。
「合ってると思うよ。私、数字は強いんだよね。修行の成果だ……」
ドヤ顔から一転して遠い目をする月見山だが、修行といえば、魔女のあれこれ。
聞いてみると、どうやらお婆ちゃんからの教育の一環で計算やら物を数える機会が多いそうな。
もっと不可思議なことばかりかと思っていたら、意外に実用的な部分もあるんだな、と少し驚いた。
それならいっそ月見山に数学聞けば良かったかと思うのは自然な発想だが、しかし月見山に物を教わりたくないというのも道理だった。
「てか、そんなに数学自信あるのに他どんだけダメだよ」
「それは言わない約束じゃん」
「……まぁ、勝てばいいが。しかしいきなり勝負なんて、どうした」
お互い言葉で突っつき合うことはあっても何かを競い合うような柄じゃないだろうに。
何かしら企むような奴ではないが、裏があるのではないかと勘繰ってしまう。
「いやー、ご相談です。ほら、人に教えたり、何か賭けたりするとモチベ上がるって言うじゃん?」
そう言いながら座りつつ、視線は明後日の方向に飛ばす月見山。
モチベが上がる。逆にいえば、そうでもしなければ。
「……お前、家で勉強時間確保出来てるのか?」
学生の本分は勉学な訳だが、それはあくまで一般的な話。
空が綺麗ね、と嘯く此奴は一般的な人間のカテゴリを外れた超常の存在だ。そろそろ見飽きただだっ広い空だろうに。
「つまり魔法の修行ばかりで疲れて、何かしら尻に火を点けないとやる気も出ない、と。いや、この間出掛けた時のことを考えれば、それらしい理由があれば修行をサボれる?」
あの時も修行をサボるために、他人と出掛けることを口実に街に繰り出していた。
人様の都合が絡めば修行も緩くなるのだろう。俺と勝負することで、テストにそのもの以上の価値を付けるわけだ。誰かと切磋琢磨してテストに臨む、というのはらしい言い訳に聞こえる。
憶測を絡めて当てずっぽうを言ってみれば、月見山はパンを咥えながら驚いたように目を見開いていた。
「ふぁふぁふぁふんっへ「アンパン飲み込んでから喋れ」
もぐもぐと咀嚼嚥下すること数秒。
「谷坂くんって心読めるの?」
「だったらお前が今何考えてるかも分かりそうだな」
「何でしょう!」
「『谷坂くんの邪魔しないように今日は帰ります』」
「当てようともしないじゃん」
「ちなみに正解は?」
「谷坂くんのえっち!でした」
「ブッ飛ばすぞ」
しかし修行云々の部分は概ね当たっていたのだろう、月見山は特に否定の言葉を口にすることもなかった。
結局、妙な……と言うにはあまりにも一般的な、単なる成績の自慢合戦をすることに。
もごもごと口を動かす月見山だが、何だかな。こんな調子でいいんだろうか。
相談に乗れと言われつつ、意図的にしてないのもあるが、大したことを話もせず。
友人かと言えばそうでもない関係で、しかし他愛ないやり取りだけは続いて、距離だけは妙に近い。
何を求め、何を求められているのか未だによく分からない関係だ。
少なくとも俺の方から何かを求めていることはないが、強いて挙げれば以前より読書時間が減っている。自宅の机の上には所謂積み本が増えていた。由々しき問題だ。
能天気な阿呆面を見ると形容し難いもやもやが胸中に広がった。
「お前、万が一勝ったら何言うつもりだ?」
そんなことを聞いてみれば、月見山はニヤリと笑った。いつもの愛想笑いのような軽い笑みではなく、楽しい悪戯を考えついたとでも言わんばかりの、珍しい表情である。
「ひ、み、つ」
「うざ」
「谷坂くんは?」
「坊主にでも刈ってやろうか」
「これ本気で勉強しなきゃ不味いですね」
流石に嘘だが、焦る月見山が愉快なので放置。もし勝ったとして、わざわざ月見山を刈るためにバリカンを買うのもアホらしいったらありゃしない。
今日から、明日から本気出すと焚き付いている月見山だが、そういえば。
「魔法で頭良くなるとか出来ないのか?」
言ってみれば、月見山はきょとんと頬を下ろし、少し考える素振りを見せた。
「……無理?」
「そこ疑問系なのか」
「……うん、多分、無理だと思う。何か他のことするのは何やかんやで出来るんだけど。頭良くなるって『私』が『私が知らないことを知ってる私』になるってことだから、『私』が『私の知らないこと』を知ってなきゃ変えられないじゃん。それもう、知ってるから頭良いじゃん」
「つまり知識的な意味でお前の理解が及んでないから出来ないのか。そうすると、普段の摩訶不思議なあれこれは原理とかどうなんだ?」
「そこは魔法パワーで」
「適当かよ!」
月見山もどこか分かってそうな、分かってなさそうな曖昧な色を浮かべている。
かくいう俺も、流れで聞いてみただけで特にそれ以上の興味があるわけでもない。
要するに、月見山がイカサマなんか出来なければいいだけの話だ。
「……待てよ?お前、カンニングとかって」
「余裕で出来るけどやったらおばあちゃんに殺されるから無理」
「それならいい」
つまり勉強して、勝てばいいのだ。勝負自体はどうでもいいが、月見山に負けるのは、少し腹が立つ。
小野町の件といい今回の月見山といい、何だか勉強する理由が増えてしまった。
食べ終えたゴミをまとめに身じろぎすれば、ますます読書の時間が減ることを咎めるように、ポケットの文庫本が尻に角を立てていた。
数学が得意というより、観測が得意。何にせよ苦手意識がないのはいいこと。だから他はダメ。




