未遂女、晒す。
26話です。
随分と日も高くなった季節。
昨日まで降っていた雨は、太陽に近い屋上でも未だ日陰に水溜りを残している。
つまり、いつもの給水塔の陰が使えない。
浴び続けるには暖かすぎる日光が燦々と降り注いでいた。
「……水やったら、帰るか」
流石にこの日照りの中で読書をするには、目にも体調にもあまり良くないだろう。
ただでさえ手に重い六リットル如雨露も、早く元の水道に置かれたがっている気がした。
「そぉい!」
「うお、バッ、ッおま!」
「あっ!?」
「あっ」
「なんか思い出すじゃん、最初の時」
「言っとくが俺がやられた時の方がひどかったからな」
背中に、ドーン!と効果音が付きそうな勢いで突撃してきた月見山。
咄嗟のことに振り回された如雨露の中身を被った月見里は、干物よろしくコンクリートの上に身を投げている。
「お前、上透けてんぞ」
「キャミだからいいの」
「下着だろ」
「見せインナーだからセーフ」
「じゃ、帰るわ。鍵閉めてけよ」
「おいおいおい!おいおい!おい!」
「あんだよ」
「え、帰んの?この洗濯物放置?」
「乾けば自走式だろ、その洗濯物」
「久々の屋上じゃん!帰るの!?」
「久々って、降ってたの三日だけだろ。ずっといるには日が暑い。中で涼む」
やだやだと屋上の熱せられたコンクリートの上でジタバタ蠢く月見山。濡れた制服を乾かすにはいいのかもしれないが、雨で埃の浮いた後ではむしろ汚れるだろ。
「じゃあ何で屋上来たのさ」
はて、何でだろう。
言われてみれば、昨日まで雨も降っていたし水やりすら必要かと問えばそうでもない訳で。
三割ほど内容量の減った如雨露に水を足すのも面倒だ。
俺が言葉に詰まると、月見山は餌の時間の犬のように期待する表情を浮かべた。
考えても理由が思いつかない。何だかんだと継続している慣習という他ないな。
「あれ?あれれ?そんなに私に会いたかった?」
「じゃあな」
「おい」
結局は、泣きつく月見山が煩いので昼だけは食べることにした。お互いに惣菜パンだけの味気ない青空食堂。しかし月見山はよほど屋上で食べるのを気に入ったのか、えらく上機嫌だ。
「暑い」
「だから言ったろ。いっそ見せれる下着ならさっさと上だけ脱いで干してしまえ」
「急にドスケベじゃん。引くわ」
「誰がお前に欲情するか。気になるなら俺が出れば済むだろ」
「かたくなに帰ろうとするの何なん?」
「頑ななんて言葉よく知ってるな」
「最近おばあちゃんが言ってた。『友紀は頑なに魔法が駄目だね』って」
「……」
「フォローしてくれよ」
「月見山は本当にダメだな」
「おい」
憐れすぎるというか、先の実害を考えれば迷惑極まりない様子に言葉もない。
聞けば天気によらず朝の修行も続けているようで、家の稽古場を使っているのだとか。魔女の家のイメージといえば、ゴミゴミした雑貨まみれのあばら屋や如何にもな洋館が思い起こされる。どうやら純和風な日本家屋らしいが、それにしても稽古場とは規模感が窺い知れない。
「だからグチれる時間超大事。はーアンパンおいしっ」
「暑いっても、正直今日はまだマシだ。これから夏はもっとキツいぞ。風が吹けばいいが、いかんせんこのコンクリだ。照り返しで日陰でも涼しいとは限らん」
手で座る地面を叩けば、月見山もグルリと辺りを見回した。
「確かに校庭とかよりまぶしい……?」
「灰ってか、白は反射するからな。読書にも光が強すぎる」
先の如雨露の件でも濡れずに済んだ尻ポケットの文庫本も、今日は出番がなさそうだ。
「そっか。そういえば谷坂くんっていつから水やりしてるの?」
今は六月に入ったばかり。入学してからまだニヶ月しか経過してない。だから俺も夏の屋上事情なんて知らないはずではないかと、月見山が問う。
「水やりは入学して一週間以内にはしてたな。ハルちゃん直々のスカウトで」
「ハルちゃん先生が顧問なんだ、緑化委員。担任だから?」
「まぁ、そうだな。元々水やりは一年の割り振りなんだが、今年は人選が適当ってか、こう、言葉のままなら賑やかな奴が多いらしい」
あー、と月見山も納得。
俺みたいなどうでもよさそう、悪くいえば問題を起こす度胸もなさそうな奴ならいいが、調子者に屋上の鍵を任せるのは教師としては考えものなのだろう。
加えて、結果としてハルちゃんの名采配。いざ時間が経っても俺は友達も少ないままだから、それだけ誰かを連れ込む心配も少ない。最近は小熊のキーホルダー付の鍵に関わらず潜り込む小娘が増えたが。
「で、鍵を使う時の諸注意として、夏冬の事情とかも聞かされたわけだ」
雨の日には絶対に出ないこと。強風の日には絶対に出ないこと。体調の悪い日には絶対に出ないこと。雪の日には絶対に出ないこと。猛暑日には気をつけること。
「ズバリ涼しくなる秘訣は?」
「ん」
顎で指し示すのは、半分以上は中身が残った緑の如雨露。
「ぱおん号?」
「……結局その名前定着させる気か?」
月見山以外に呼ぶ人間もいないが。
「暑さしのぎにしちゃ、聞く限りでの想像通りならお前ん家でもやってそうだけどな」
昼飯も食べ終えて手持ち無沙汰になったのと、帰りに云リットルも持つ気がないのと、花の水やりも不要そうなのと。
水溜りも多いが、なんてことない、デモンストレーションとしての打ち水である。
俺が乾いた白いコンクリートを昏い灰色の濡れ跡で上書きしていると、未だ野菜ジュースを飲んでいた月見山がポツリと呟いた。
「……谷坂くんって魔法、使えるの?」
「は?」
「それ、おばあちゃんも『涼しくなる魔法だよ』って」
「…………」
呆然と俺を見る月見山。気を付けてやらないと、黒色の瞳がまた日色に変わってしまうのではないかと思うほど心ここに在らずといった感じだ。
俺が魔法なんて使えるわけはないのだが、どうやらそれほどおばあちゃんの言葉が印象に残っているらしい。
「ぅわっ、あぶな!なんで水近付けたのさ!また濡れるじゃん!」
「お前は打ち水も知らんのか」
「ウチミズ?」
「先ず第一に、魔法じゃない。詳細は知らんが、お婆ちゃんが言ったのも魔法じゃなく言葉の綾だろう、生活の知恵だ」
「水撒くと涼しくなるの?」
「気化熱って知ら……なさそうだな」
聞くまでもなく、頭の上にハテナが踊りっぱなしだ。
「汗の後が冷たいのと一緒。水は蒸発する時に周りの熱を一緒に連れてくんだよ。だから少し濡らしておけば、乾く時に暑さが減るんだ」
月見山は黒色を見開く。
「水属性から氷属性になるのに炎系のアイテムがいるってこと?」
「その例えはよく分からんが……そんなもんだ。小学生でも分かってそうなもんだぞ」
「ひぇー、初めて知った。帰ったらトモに教えてあげよ」
「猫に言ってどうすんだよ……。お前、そんなんで化学のテストとか大丈夫か?」
六月ともなれば、しばらくすれば中間だ。俺だって理系は得意ではないが、それでもなぜか月見山よりはマシな自信がある。
「さ、帰るか」
「俺の真似なら似てない。お前さては」
「お察しの通りとは言わないから!だってまだ高校になってテストないから分かんないもん!」
「中学では?」
「下から50位」
月見山の出身の水中中学は学年150人弱。




