未遂女、すれ違う。
15話です。
「いいか、まずこれだけ覚えとけ」
「はい、谷坂君!」
阿呆言ってブタれた額を抑えていた月見山がそのまま敬礼して見せた。
「俺もいつもスマホを気にする質じゃない。メッセを見ない時もある、分かるな?」
「はい、勿論です!」
「だから……意図的にどうにかできるのか分からんが、俺と連絡が取れなくても魔法使うなよ」
「……多分、大丈夫です!」
なんだか不安が残る返事だな。しかしこればかりは、面倒臭いかどうかは関係なしに性分だ。基本的に本を読む時はスマホをサイレントモードしているから、気付けない。
むしろこいつの性格的に鬼のようにチャットを送って来ようものなら、確実に意図して無視する自信がある。
「谷坂君と連絡取れるだけで安心できるもん」
そう言って月見山はへにゃりと笑った。
不覚にも、誰もいない教室で俺だけに向けられた笑顔に何とも言えないむず痒い感情を覚えた。
この平凡な少女が今俺だけを頼りにしていると思うと、粘っこい気持ち悪い何かが自分に湧くのが分かった。
「イダッ!なんでまた叩くの!」
「あんま調子乗んな。あくまでこれは対処療法であって解決はしてないんだからな」
月見山はジトリとした目を向けると、
「それはそうだけど……叩く意味ある?」
「少しでも印象に残るようにしとけば、忘れて無意識な魔法が暴走することもないだろう」
「うっわ絶対取ってつけた言い訳じゃん。しかもまた屁理屈」
いいんだよ、適当な言い訳さえあれば。まさか正面切って照れ隠しだなんて言えない。
しかし月見山も慣れたもので、それ以上の追求はせずにスマホを大切そうに鞄に仕舞った。叩いておいて何だがその様子がDV彼氏に慣れていく幸薄そうな彼女みたいで、浮かんだ自分の妄想に身の毛がよだつ。
しかし俺の内心など察するわけもなくスクール鞄を持った月見山が、よっこらしょういち、と立ち上がった。
「古臭っ」
「ん?何が?」
「よっこらの件だ。親戚のおっさん以外で言ってるやつ初めて見たぞ」
「えー、嘘だぁ。私めっちゃ言うよ?」
月見山はケラケラと笑う。なんだか随分とご機嫌だが、俺もやっと安心して帰れる事実に疲れからの溜息混じりで口角が上がった。
「帰るか」
「そだね。今日はありがと、谷坂君」
「礼を言うなら成果を上げろ。叶うなら早く俺の手がかからないようになれ」
「それは難しいなぁ。そのための連絡先なのです」
喋りながら月見山を連れて一組の教室を出る。
さっきから一年の教室周りには人の気配はない。足音でも聞こえようものなら魔法の話なんか出来ないしな。
誰もいない夕暮れの教室は、どこか寂しい。屋上から引き続き、俺と月見山しかいないようで二人だけの孤独感を感じた。高校に入ってまだ何ヶ月も経たないが、この特別感が青春というやつなのだろうか。
しかし隣にいるのは得体の知れない魔女であって、益体もない話をしながらさてどうやってここから撒こうかと考えている今は健全な青春とは程遠い気がする。
上の空でいると、丁度階段に繋がる曲がり角からハルちゃんが出てきた。
二人だけの世界にやって来た助け舟である。
「あら、谷坂くん。居残り?」
「駄弁ってただけです。もう帰りますよ」
「そう、気を付けてね……月見山ちゃんも一緒だったの?」
月見山にも水を向けるハルちゃん、流石にクラスは違えど授業を持つ生徒くらいは全員覚えてるのだろうか。人気者のハルちゃんなら全校生徒覚えてても不思議ではないな。
「……はい」
「二人とも部活とか入ってないよね?中学校違うし。あらーもしかして!?」
俺達を交互に見て急にテンションの上がったハルちゃんだが、思うところは容易に想像がつく。
確かに接点などまるで無さそうな男女が歩いてたら、まして生徒との距離も近いハルちゃんならそのような話題も当然。
「違いますよ。たまたま話すきっかけがあっただけです。それでは先生、さよなら」
「あらーあらー?また来週ねぇ」
揃って頭を下げれば、愛すべき担任はひらひらと柔らかそうな手を振った。
月見山を連れて階段へとすれ違えば、ハルちゃんはいつも通りのニコニコ笑顔で振っていた手でちょいちょいと俺だけ壁の向こうへ誘った。
「はい?……月見山、先行ってろ、もしくは先帰ってろ」
「……待つ」
曲がり角の向こうに月見山を置いて、ハルちゃんに向き直る。
ハルちゃんは少し背伸びして俺に顔を近付けると、月見山に聞こえないようにか囁くように言った。
「月見山ちゃんのこと、よろしくね」
吐息が耳にかかる距離で、ハルちゃんの甘い匂いが伝わってくる。大人の女性の色香に惑わされ、一瞬遅れて言葉が響いた。
息に音を乗せるハルちゃんに釣られて俺も小声になる。
「だから、違いますって。共通の話題が合っただけですよ」
んふふと俺の言葉に突っ込みもせずに笑みを含ませたハルちゃんは、ぽんと俺の背を押した。
「屋上の鍵のこと。谷坂くん以外に使える生徒はいないけど、あんまり変なことはしないでね。それだけです。週末だから帰りも気を付けてねぇ、さようなら」
後半は月見山にも聞こえる声で。
「絶対思ってるのと違いますからね?いいですけど。先生も、さようなら」
今度こそハルちゃんに見送られ、階段を降りる。もう五時も近いというのに、戸締まりだろうか。
しかしハルちゃんに遭遇したことによって、借りてもいない屋上の鍵を返すという名目は使えなくなった。
どうやって月見山を撒こうか。
階段を降りながら、不思議な動物を見る目で俺を見る月見山と目が合う。
月見山は鯉のように口をパクパクさせると、やがて言葉を決めたのか声を出した。
「結局、谷坂君の家ってどこ?」
答えるべきか、答えざるべきか。
最寄りから自宅までは、敢えて時間を潰すような場所はない。
この時間に無駄に帰宅を遅らせるのも、わざわざである。
「……途中までは電車も同じだ」
結局、正直に言ってしまうのだった。月見山はそれを聞くと、見るからにパッと顔を明るくさせた。
「じゃあ、一緒に帰ろ!」
「別に個別に帰ってもいいんだがな」
「ケチ。次の電車何分だろ」
逃がすまいと月見山が俺の鞄のストラップを掴む。その仕草がこそばゆくて思わずぶっ叩きそうになった。
「お前、そういうところちょっと何とかしろよ」
さっきハルちゃんの前では借りて来た猫状態だったくせに、もう調子に乗っている。俺の前以外の月見山の様子など知らないが、普段は優等生気取りなのだろうか。
「ん?何が?」
そんなんだからハルちゃんにも誤解されるんだ。何を考えているのかいないのか、真横のこの生物が分からない。
特に何も意識していなそうな阿呆面にチョップを落とす。
「いったい!」
「ほら、さっさと帰るぞ。次の四十六分逃すと三十分後だ」
ハルちゃんは授業を持つクラスの生徒は全員覚えるが、それ以外にもよく挨拶してくる生徒とかも覚えてる。つまり校内ほぼ全員。




