未遂女、心当たる。
11話です。
金曜日。週の終わりの気怠さと、休日への開放感がピークになる昼下がり。
早いものでヤマナシと出会って一週間が経とうとしている。
律儀なことに、気付けば俺はまた鍵の空いた屋上に足を運んでいた。
雲の形程度にしか毎日の代わり映えがない青空に身を晒せば、昨日ここでヤマナシから暴走した魔法の話を聞いたことを思い出す。結局今日また話そうと強請られて終わったが、本当にあっという間に時間が過ぎたように感じてしまう。
どれだけ思考を割かれ続けるのやら。いつもの数学の課題もあまり苦心した覚えすら……。覚えすら。
「おい、ヤマナシ」
「……?ッ何かな、ヤサカくん」
給水タンクの日陰では最近見慣れたアホ面が、呑気にアンパンを咥えている。膨らませた頬の内包物を飲み込む様は相変わらず小動物のようである。
俺と目が合うと、日色の瞳には徐々に影が降りていった。
「……また暴走してたのな。お前の魔法って、どんなことまで出来るんだ?」
「そうなんですよ……トホホだぜ。どんなことって、出来ることは出来る!って感じかな?」
説明になってないことを胸張って解説すな。
「例えば、人の記憶をどうにかしたりとかは?」
「十八番だね。ちっちゃい頃に何かやらかしたらおばあちゃんがそれで何とかしてくれてたし、見て覚えたのかも。あ、もう滅多にやんないよ!?おばあちゃんにも絶対やんなって言われてるし!」
「そうか」
さらっと言いやがったけど、よっぽどのことしてやがる。ガキのアレコレのために記憶消すなんて、とんでもない家庭だ。
改めてその危険性を刻み込んでおこう。
「それがどうかしたの?あ、もしかしてなんか分かった!?」
「分かるか、と言いたいところだが。何となく、仮説だけな」
うんうんうん、とヤマナシが壊れたおもちゃのように首を振る。おもちゃを欲しがる子供と同じ態度だ。なんだか真面目くさるのも馬鹿らしいので、俺も一先ず腰を下ろしてパンの袋を開けた。
「お前、昨日からの記憶あるか?」
「昨日?あるに決まってんじゃん。いくら私がおっちょこちょいでも、そんくらい覚えてるって」
ヤマナシが小馬鹿にするように息を吹く。一々ムカつくな。
「何してた?いや、何をどんくらいしてた?」
「家でってこと?昨日は帰ってー、テレビ見てー、宿題やってー、ご飯食べてー、お風呂入ってー、えーと。何してたっけ。あ、漫画読んでゴロゴロして寝たよ」
「どれくらい?」
「どれくらいって、テレビはアニメ一本見るだけで、あとは普通に。漫画はどんくらいだっけ。あんまり覚えてないけど、寝るまでだから一時間くらい?」
たしかにコマ割りで見ればそんなもんだろう。イベントごとの記憶なんて覚えのあるシーンしか残らなくて当然、まして日常で過ごした全てなんて言わずもがな。
だが俺の中の違和感をもしもヤマナシも感じているのならば。
「昨日の昼から今の昼休みまで、なんか一瞬に感じないか?」
ヤマナシが目をパチパチと瞬かせた。釣られて俺の脳裏に昨日からの記憶がフラッシュバックする。
「正確には、早送りというか、スキップをかけたというか。今に至るまで、まるで知ってるページを読み飛ばしたような感じがしないか?」
多分俺は、これまでヤマナシに見せた中で一番真剣な表情をしていると思う。
だってそうだろう。
相田と話した記憶も授業を受けた記憶も、本を読み耽っていた記憶もある。記憶はあるが、その全てに思い返す感慨が伴っていないのだ。意図的に記憶を薄められているかのように、コマ送りの印象しか残っていない。
つまり何らかの形で記憶が奪われている。
考えられるとしたら、普通は考えられないものに原因があると見るのが自然だ。
そして俺の目の前には、さっきまで日色だった瞳を大きく見開く少女がいる。
「……あれ?ほんと、だ?」
困惑した様子のヤマナシだが、要するに確認したいのは。
「質問を少し変える。お前は、人の記憶を意図的に薄めることは出来るか?」
本当に堪ったものではない。もしヤマナシが意図しない何らかの魔法で俺の記憶に影響が及んでいるなら、背筋の凍る話だ。なんならヤマナシ自身も例外ではない。
自分の知らないところで、自分かも知れない誰かによって無意識の意図的に記憶が削られていく恐怖。
ヤマナシも同じことに思い至ったのか、少し顔を青ざめさせて答えた。
「出来るよ。なんなら、消せるもん、記憶」
「アンパン食いながら喋んじゃねぇよ。クッソシリアスシーンだろう」
「えー、でもお腹は空くじゃん」
「おま、アンパン男のアニメでももっとシリアス演出あるだろ……まぁいいが」
俺も妙に頭を使って腹が減ったので惣菜パンを齧るが、なんだか無性に糖分を摂取したい。今日だけは目の前のアンパンでも良かったかと考えても後の祭りだ。
「ヤサカくんもアンパン男見てるの?」
「食いつくのそっちかよ、見てねぇわ。で、どうなんだ?」
ヤマナシはしばらくうんうんと考える素振りを見せるが、答えが出たのかアンパンを飲み込むとケロっとした顔で言った。
「多分違うと思う」
「はい解散、お力になれず申し訳ない、じゃあな」
「待って待って待って理由まで聞いてって!!あるから!ちゃんと!!理由!!!」
ゴクリとウィンナーパンを飲み込んで腰を上げると、ヤマナシが例によって必死の形相で俺の制服の裾を掴んでくる。
ええい、鬱陶しい。
「分かった分かった冗談だ!聞いてやる!俺だってこのままじゃどうなるか分からんからな」
「あざーす!でね、えっと、そもそも私がそんな魔法使う訳ないんスよ」
「根拠は?」
やたらと体育会系の後輩らしさを醸し出すヤマナシだが、付き合っていてはキリがないのでさっさと次を促す。
「まず、『なんで?』って私がちっとも共感出来なかったから」
「お前ほんと説明下手な」
「さっきも言ったけど、魔法って、出来ることは出来るんだよ。したいことをする、って言ってもいいかも。でね、記憶をどうこうってのは、私、これっぽっちも思い付かない」
言って、指先で弄ぶアンパンの最後の一欠片を口に放り込む。お互いの持つ食糧がなくなってしまった。
「つまり何だ。お前が納得できる理由を当てるまで解決しないってか」
「ぶっちゃけ言っちゃえばそう。記憶がどうかしてるのは当たってると思うけど、しっくりこないの」
……これは、とんだ実害のある難題だな。
おばあちゃんは暴走自体は薄々気付いてるけど放っている。




