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一章7 『僕の日常その6 ―でえと?編―』

 や、や、やあ、黒茸だ。

 僕は今、命の危機にひんしている。


 冗談を言っているわけじゃあない。

 その証拠に僕の前にほら、悪魔がいるじゃないか。


 ……え、ただの黒猫だって?

 君は何もわかってないね。

 貧弱な僕にとっては黒猫ってのは、歩く凶器に等しい。

 あの鋭い爪、牙にかかれば、一撃でこの体とバイバイする自信がある。

 胸を張って言えることじゃないけどね。


 ガクブルして身を固くしていると、本当に硬くなってきた。

 しかも体が熱っぽい。

 自分の振動で興奮してしまったようだ。

 うわあ、バカバカ、自分のバカッ! 今はそんな場合じゃないだろう!? 生きるか死ぬかの瀬戸際なんだぞッ!?


 だが始まってしまった現象は、もう止めようがない。体の震えは激しくなり発熱――特に頭の辺りが熱くなる。熱でも出たみたいだ。

 息が荒くなってからが疼いてくる。

 こんな場所で興奮しちゃいけない。そうダメだダメだと思うと余計に興奮が増してきて体全体が屹立してくる。


 なぜかスクワットをしているような屈伸運動をしてしまう。

 ふっ、ふっ、ふっ……。

 ふざけてるわけじゃないよ? 勝手になってしまうんだ、発作のように。


 恐怖心はすっかり消えていた。

 というか逆に奇行を始めた僕に、黒猫の方が怯え始めている。


 このままだといつものようにアレが来るだろう。

 しかし……。

 僕は間近にいるてんちゃんを振り返った。


 僕のアレは異臭がすごいし、このまま果ててしまったらてんちゃんを怖がらせてしまうかもしれない。

嫌われてしまうかもしれない。


 そんなのイヤだ。

 僕はてんちゃんと友達でいたいし、もっと一緒にいたいのだ。

 遊んだり、お話したり。

 この子は滅多に表情を変えないから難しいけど、笑い合ったりもしてみたい。


 だから、だから……静まれ、興奮。


 動こうとする脚を精神力の限りを尽くして止め、力む体からゆっくりと熱を抜き、硬さを解いていく。

 やがて古くなった野菜のように体がえてきた。


 どうにか興奮は治まった。

 あとは、あの姿がてんちゃんに見られていなければいいのだけど……。

 ちらりと様子を窺うと、てんちゃんは安らかな寝息を立てていた。

 よかったと胸を撫で下ろす。


 黒猫の姿はもうなかった。きっと僕を怖がってどこかに行ってしまったんだろう。


 疲れたし、僕も休もうかと思った時、ホームに電車滑り込んできた。

 おっと、てんちゃんを起こさなきゃ。


 僕は近づいていき、けれど少し距離を開けて声をかける。

「てんちゃん、てんちゃん。電車が来たよ」

「すー、すー……」

 起きない。深い眠りに落ちているようだ。

 こういう時、揺すり起こせれば楽なのだろうけど、僕にはできない。服越しならいけるだろうか?

 ……いやでも、やっぱり怖い。もしもそれで世界が壊れて、まっちゃんやてんちゃんに会えなくなったら、とっても辛い。

 だからぐっとこらえる。


「てんちゃんっ、てんちゃん!」

 少し声のトーンを上げてみる。これで起きてくれ、って念じながら。

 だけどまぶたは持ち上がらない。


 どうしよう、どうしよう。

 このままでは、電車が行ってしまう。


 焦っていた時、ふいに背後から声をかけられた。

「あの、どうされましたか?」

 驚いて振り返ると、そこにはびしっとスーツを着こなしたお姉さんがいた。

「……えっと、駅員さんですか?」

「いいえ。わたしは運転手です」

 よどみない、はきはきとした口調。


 なんだかカッコいい人だな。つい見とれてしまいそうになる。

 ……って、何を浮気してるんだ!? 僕にはまっちゃんっていう、運命の人がいるじゃないか。まあ、片想いだけど……それでも、節操がないのはいけないと思う。


 僕は自分を戒めつつ答えた。

「その、一緒に来た女の子が起きてくれなくて」

「ああ、そうでしたか」

 女の人はこちらに歩み寄ってきててんちゃんの前で膝をつき、彼女のことを呼びながら優しく肩を揺すった。

「おじょうちゃん、おじょうちゃん」


 てんちゃんの寝息が止まり、長い睫毛がピクリと揺れる。

 そっと持ち上がった瞼の向こう、ぼんやりした瞳がお姉さんを見やる。

「……ほえ?」

 間の抜けた声にくすりと笑いながら、お姉さんは言った。

「電車が来たよ。……えっと」


 こちらを見やり、ちょっと思案気なお姉さんに僕は「黒茸です」と名前を教えた。

「そうそう、黒茸さんと一緒に乗るんじゃないの?」

「……あ、うん。そう、黒茸さんとお出かけするの」

「そっか。じゃあ立って。電車に乗ろう?」

「うん」


 てんちゃんはぴょんとベンチから跳び下りて、電車の方へ駆けていく。

「いい子ですね」

「ええ、とっても」

 あんないい子が、僕の傍にいてくれる。

 本当に、いい子だ。

 でも。


 ぎゅっと唇をかんだ。


 ……僕なんかが、あんないい子と一緒にいてもいいのだろうか。

 世界をほろぼしてしまうかもしれない、僕なんかが。

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