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三章7 『図書館の姫 その7』

 火星人は――というより、火星に住んでいる者は皆仲がよかった。

 全ての生物は隣人であり、仲間であり、親友だった。

 硬い絆で結ばれ、互いを信頼し、どんな困難も手を取り合って乗り越えていく。

 人類皆兄弟という言葉は美徳の代名詞だが、彼等は星に住む者皆が家族のようだった。


 交配が進み、家族はどんどん増えていく。

 人類と異種族も混じり合い、獣人の存在が生まれた。獣人は人にはできぬことやってのける上に知能もあった。獣からも人からも頼られる存在になった。

 そんな新種が生まれてもなお、争いが起きない。

 どれだけ時が経ち、生態系が変化し、コミューンが多様化しても、いさかいが見受けられない。皆は身を寄せ合って、より親交を深めていく。

 まさにこの星は楽園だった。幸福で満ち、愛に溢れていた。


 ただ、あそこでは――火星では僕は、かえって住みにくいだろう。

 僕が生きるには距離感が必要だ。

 呪いのせいで、誰にも触れられない――そんなものを背負ってあの地に生まれたとしたらきっととても辛いだろう。

 周りからは気を遣われ、腫れ物のように接されて……。

 想像しただけでうんざりしてきた。

 地球に生まれてよかった。適度な距離感を持ち、個と個が独立して生活できる。そんな場所だからこそ、僕はある程度の幸福を得ることができる。


 火星はもう一つ、地球と違うところがあった。

 技術的に大きく発展しないのだ。常に停滞のただなかにいる。

 しかしそのことで誰かが不自由を感じている様子はない。

 頼みにしているのは、各々が最低限身に着けていた生きるための術。

 それさえあれば、他に何も必要ないようだった。


 そもそも技術を発展させる動機は『今のままでは面倒臭いから』というものである。

 彼等は何かをする過程を、仲間と協力することで楽しみを見出していた。非効率的なことであっても、誰も気にしていない。

 言い換えれば小狡い者がいない、知恵の働く者がいない――悪く表現するならバカばかり――ということだ。

 しかし歴史をかえりみればわかるように、不幸というのは利口な者によってもたらされる。

 あらゆる闘争は賢き長の命によって起こされ、そのための兵器はアイディアマンよって発明されて、また策は軍師という有識者によって練り出される。

 戦争だけではない。

 法律、義務、詐欺、ギャンブル、いじめ……etc,etc。


 そんな条理という名の不条理、不条理もとい条理を知恵ある者は生み出す。

 誰が望んだ? そんなことは関係ない。

 自分が思うままのものを作り出す。

 誰も望んでいないなら、望むように仕向ければいい。

 知恵ある者が世界を壊し、生まれ変わらせる。

 無論、壊す際には多大な犠牲を払うことになる。だが不思議なことに彼等の頭にはそのことだけが抜けている。

 策士策に溺れるという言葉がある。

 つまり知恵は何にも勝る美酒であり、それをひとたび口に含むと気持ちよくなって自身の考えるもの以外何もかもどうでもよくなってしまうのだ。

 禁断の果実――悪魔のささやき。

 世界創世の物語は上手く人間の本質を書いていると僕は思う。無論のことそれは知性ある者全てに当てはまることであり、僕もまた例外ではない。


「ねえ、オモヒメ」

「なんでしょうか?」

「君はどうして人間に知恵なんてものを与えたんだい?」

 彼女はきょとんとした顔をして、首を傾げた。

「誤解されているようなので言っておきますが」

「うん」

「わたくしはただの心臓であり、皆に知恵を与えたわけではありません」

「……そうだったね」

「はい」

 端的にうなずき、オモヒメは微笑んだ。その笑みが僕にはとても恐ろしいものに思えた。


 もしもオモヒメを逝去せいきょさせることができれば、僕達はもしかしたら知性という呪縛から解放されるのかもしれない。

 知恵がなければ感情というものに振り回されることもなくなるだろう。感情がなくなればあらゆる意思決定をせずに済み、日々を生きることだけに専念できる。

 そう、生きるだけなら簡単なのだ。ただ死ぬのを待てばいい。

 問題は、死ぬまでの暇つぶしという名目で苦痛を背負わせられることである。

 大多数の人間が苦痛を味わい、少数の人間の幸福を支えねばならない現状を生み出しているのだ。まるで日本の未来の年金事情のように。


 言うなれば人間というのは、ほとんどが生者の奴隷なのである。

 少数の生きたい者の我儘わがままに、死にたい者が尽き合わされる。

 彼等は狡猾こうかつだ。自殺の方法を断っていき、世界を死ににくいように変えていっている。

 そのことにどれほどの価値があるのだろう?

 もしも世界が幸せに満ちているのなら、未来が希望にあふれているのなら、それは前項になるだろう。

 しかしそんな確約はどこにもない。

 大抵僕等は後悔する。

 ああ、僕なんて生まれてこなければよかったと。

 そして考える。

 僕等はどうして生きているのだろう?

 日々、その繰り返しだ。


 生者はその考えを悪しきもの――『うつ』と呼び、治療という名目で洗脳しようとしてくる。

 そうして自分の価値観を植え付けようとしている。

 生きるって素晴らしい。生きていればいつかいいことがある。生きることこそが絶対の正義である。


 僕はいまだに、それを信じることができないでいる。

 だってそうだろう?

 死後の世界を知らない者に、生と死を比較した論理を立てるなど不可能なのだ。

もしもそれが可能だというやからがいたら、用心した方がいい。その時目の前にいるのは詐欺しか、あるいは幽霊だ。最悪、本当に死ぬことになる。

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