第1章 3話
評価下さった方&ブックマーク下さった方ありがとうございます!励みになります
カナタの母ヲシテは、【スミルナ】というクニに生まれた。
そこは、2000人ほどのヒトと、500人ほどの獣人が暮らす大きなクニだったという。
「…か、母さんは、そのクニでも、わ、割合、大きな、屋敷に、住んで、いた。つ、つまり、良いとこの、お嬢、ってやつ、です。」
コウシィをゆっくりとすすりながら、カナタは続ける。
「そのクニ、では、ヒトが、獣人よりも、偉くて。母さんの、家にも1人、獣人の召使いが、いた。狼の獣人で、それが……僕の、父さんだった。」
カナタは、そのこけた顔に似合わぬ長い睫毛をふ、と伏せる。遠い日を思い出すように。
「父さん、と、母さんは、す、すぐ惹かれあって。それで、ぼ、僕を身ごもった。母さんが、じゅ、17くらいの頃、でした。」
ヲシテの家族は、当然子供を産むことに大いに反対し、彼女の不貞を罵倒した。
カナタの父は当然のごとく屋敷から追放され、その数日後に死んだそうだ。
「父さんの、う、噂を聞いた、他の獣人達は、父さんを、け、軽蔑した。ヒトと関係を持った、き、汚らしい、裏切り者と。獣人はヒトを、憎んで、いたから。…それで、殺されました。」
カナタは自嘲的な笑みを浮かべる。
最愛の人を失ったヲシテは、家を捨て、自身の子を1人で育てることを決めた。箱入り娘の彼女だったが、身重の体で良く働いた。これから生まれてくる、愛する子供のために、必死に。
「ぼ、僕が、生まれてからも、か、母さんは、働き詰めでした。おれは、そんな母さんが、大好き、だった。裕福な、暮らしじゃ、な、無かったけど、し、幸せ、でした。……あのころ、まで、は。」
カナタは、その顔に浮かぶ笑みを更に深くする。
「………母さん、が……」
彼の額から、冷や汗が一筋流れた。
「母さんが……あんなことに、なる前は。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ほらカナタ。これも食べな。」
そう言って、母さんは黒パンを僕の皿に乗せた。
「え、だって…。これ母さんの朝ごはんじゃんか。いらないってば」
僕は、黒パンを母さんの皿に戻す。と、母さんはニヤニヤ笑いながら僕の頰をつねった。
「ばーーか。あたしがこんなパン一つ食べないくらいで、倒れるとでも思ってんの?そんなひ弱じゃないっつーの。それよかアンタ、そんなガリガリじゃあクラスの子に舐められるよー?」
「でも母さん、肉体労働者じゃん。ちゃんと食べないと体力がー」
「いいから、ほらっ、食えー!」
僕の口に黒パンをグリグリと押し当てて、カカカ、と気持ちよさそうに笑う母さん。頭の後ろで、一つに縛った髪がフサフサと揺れている。僕は仕方なく、母さんから黒パンを貰い、食べた。
その様子を、ニコニコと笑いながら見つめる母さん。
僕はその顔が、たまらなく大好きだった。
母さん。ちょっと大雑把で男勝りな所もあるけれど、強くて優しい母さん。
「さて、と!カナタ。あんたそろそろ学校行く時間でしょ?母さんも仕事行ってくるからさ。今日は給料日だから、夕ご飯はお肉にするね!楽しみにしてんのよ」
そう言いながら、母さんは秒速で着替えを済ます。良く日に焼けた筋肉質な腕を、僕は綺麗だと思う。
「母さん、今日も帰るの遅いの?何だったら、僕汁物だけでも用意しておくけど」
「んー。多分遅くなるかな。母さん最近、結構大きい現場の監督を任されちゃってさあ。けっこー責任重大なのよねえ」
母さんは、僕の頭をワシャワシャ、と撫でて続ける。
「でもカナタ!あんたはご飯の用意の心配とかしなくていーんだから。学校の宿題でもやってなさいな!早々に落ちこぼれるぞお」
僕は母さんに荒らされた髪を直しながら、ぶー垂れた顔をする。そんな僕を見て、母さんはまた豪快に笑った。
「カナタ、ほら!行って来ますのぎゅーーだよ!」
「わっ、ちょっと!恥ずかしいってば!僕もう12歳なんだぞ!子供じゃないって!」
無理矢理に僕の体を抱き寄せる母さん。憎まれ口を叩きながらも、僕はそんなに悪い気はしなかった。
母さんは、格好良い。
母さんは、僕の誇りだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おはよ、カナタ。」
「はよーっす」
クラスメイトと軽い挨拶を交わし、僕は軽やかな足取りで教室に入る。
このクニでは、12歳の誕生日を迎えた子供は必ず学校に通わなければならない。僕が今在籍しているこの学校は、獣人や人間の垣根を作らない、いわゆる先進的な教育を採用している。
だから教室には、ヒトも獣人も半獣人も混ぜこぜになっている。母さんが僕のために探してくれた、希少な学校だ。
席に着き、隣の席のクラスメイトとたわいもない冗談を交わす。数分ほど話したところで、教室に先生がやってくる。
「さあ皆さん、静かに。一限目の授業を始めますよ。では、算数の教科書の10ページ目を開いて…」
僕は友人といたずらっぽい笑みを交わし、手元の教科書を開く。
数式を規則的に読み上げる先生の声。
カーテンから漏れる春の日差し。
大好きなクラスメイト。
この柔らかな陽の光の中で、今まさに仕事をしているであろう母さんの姿を思い浮かべる。
額に汗を光らせて、建築用の資材を運ぶ母さん。
母さんも仕事中に、僕のことを考えたりなんかするのだろうか。
勉強をしている僕の姿を思い描いたりするのだろうか。
僕はなんとなく背筋をピンと伸ばした。そして、そんな自分が可笑しくて少し笑う。
……幸せだった。
決して裕福な家庭ではない。本当に些細な不満は、少しはあったかもしれない。でも僕は、自分の生活に不足を感じた事なんて無かった。
周りの時間が、空気が、全て調和して、まるで黄金色に輝いているようだった。
そんな僕の幼少時代はーーー
間も無く、終わりを迎えることになるのだけれど。