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1-1

 目が覚めた時、てっきり研究所に着いたのだと思った。

 ところが起き上がってみれば軍人三人に取り囲まれ、さらには言葉も通じない。

 沙耶の端末には主要な三十言語はインストールしてあるため、言葉が通じないなんて自体はそうそう起こらない。慌ててネットワークを介して言語識別をしようとしたが、ネットワークにも繋がらなかった。

 現在ネットワークの接続が可能なエリアは地球上のおよそ七割と言われているから、よほど未開の地なんだろう。さほど広くない室内を見回せば、ずいぶんと旧式な電球や、開け放たれた木枠のガラス窓が見て取れた。

 いまどき発光パネルも自動室温調節機能も無いってこと⁉

 文明レベルの違いに驚きを隠せないでいるうちに、軍人たちによる尋問らしきものが始まる。

 言葉が理解出来ないことを心配したのも束の間、端末の自動学習機能のおかげですぐに少しずつ翻訳されるようになった。

 そこからは身振り手振りでやり取りを交わし、どうにか意思疎通できるようになったというわけだ。


***


「……つまり、あなた自身も何が起きたか分からない、と?」

 対面のソファーに座る、この部屋の主らしい軍服を着た恰幅の良い男――グリディアが、短く刈り込まれた茶髪と同色の顎髭を撫でながら訪ねた。

 目尻には皺が刻まれていて、おそらく年齢は四十代くらいだろう。まくった袖から覗く太い腕には、軍人らしく様々な傷痕が見える。

 だが、厳めしい見た目に反してその口調は穏やかだ。

「はい、そうです。研究所を出てから目を覚ますまでの間のことはさっぱりで。たぶん、移送中になにか手違いがあったと思うんですが……」

 コールドスリープの機体に乗り込んだ後は当然ながら眠ってしまっているので、沙耶もたいした情報は持っていない。

 手荷物も靴も無い状態で倒れているところを発見され、ここに連れて来られたと聞く。

 通常は端末の登録番号で身元の照合をするけれど、どうやらネットワークの繋がらないこの僻地では端末リーダーも無いらしい。

 そんなわけで、現在の沙耶は身元不明の外国人というわけだ。

「ねえ、こう言っちゃなんだけど、行き先も知らされないで運ばれてたって、アンタ、騙されて売られたんじゃないの?」

 グリディアの隣に腰を掛けたリズが膝の上に肘をついて頬杖を付き、形の良い唇を開いた。

 ウェーブがかった金髪と鮮やかな青い瞳、そしてタイトスカートのスリットから覗く長い足に意外とハスキーな声。同じ女性だというのにこちらの方がドギマギしてしまいそうだ。

「いえ、それは無いです。事前に調べたけど政府関連の研究施設ですし」

「う~ん……見たところアンタ、そこそこのお嬢様でしょう? 世間知らずのお嬢様騙すくらいワケないわよ?」

「は、はあ?」

「最近増えてるのよ、中流階級くらいのお嬢様の誘拐。こっちもなかなか人員は割けないから困ってるのよね」

 ぽかんと口を開けた沙耶を気にすることなく、リズは頬に手を当てて溜息を吐く。

「おい、リズ。身元も分からないのに決め付けるな」

 ソファーの背後、腕組みをして壁にもたれ掛かり傍観していた青年が口を挟む。

 砂色の髪を一つに結わえた、背の高いがっちりとした体格。年齢は沙耶よりも少し上、三十歳くらいだろうか。

 あの人、ずっと難しい顔してるから怖い人かと思ったけど、意外と親切なのかも。

 そう思ったのも束の間、

「そもそも、さっきの作り話を信じるな。どうせこの辺の盗賊団の一員だろう。間抜けにも置き去りにされたか、足手まといで捨てられたか」

 棘のある口調とともに鋭い琥珀色の視線が突き刺さった。

「は、あ⁉ ちょっと、誰が盗賊って――」

「馬鹿ねえダレン、盗賊がこんなに綺麗なわけないでしょ」

「へ?」

 あまりに断定的な口ぶりにむっとして声を荒げたが、リズからの援護射撃に勢いを削がれる。

 沙耶はごく平凡な日本人顔、凹凸の少ない童顔である。綺麗という言葉は、彫りの深い迫力ある美人である彼女の方にこそ相応しい。

 ぽかんと口を開けていると、整えられた赤い爪が沙耶の足元を指し示した。

「この子の足の裏見た? 真っ白よ。靴無しで歩けるような足じゃないわ」

 どうやらリズの意図しているのは顔のことではなかったらしい。

 思わず足裏をひっくり返してみる。真っ白というにはやや汚れてはいるが、確かに普段から靴無しで歩いているような足には見えないだろう。

「だから私は売られたお嬢様に賭けるわ」

「あり得ないな、俺は盗賊に賭ける」

「言ったわね。私が勝ったらシュリ―・ダイルのディナーを奢ってもらうわよ」

 声高の賭け宣言に、ダレンが即座に応じる。

 慌てたのは賭けの対象にされてい沙耶だ。なにしろ、そのどちらでもないのだから。

「ちょ、ちょっと待っ――」


「二人とも、その辺にしておけ」

 それまで黙っていたグリディアが場を制した。特に張り上げた訳でも無いのに、重圧感のある声はよく響く。

 上官に咎められてばつが悪いのか、リズは舌を出して軽く肩を竦め、ダレンはそっぽを向いた。

「サヤ嬢、と言いましたね」

「は、はい!」

 名前を呼ばれただけだというのに妙な緊張が走り、思わず居住まいを正す。

「私からすれば、あなたは盗賊には見えません」

 落ち着かせるような穏やかな声がゆっくりとそう告げたことに、内心かなり安堵する。

 視界の隅ではリズがダレンに向かって、ふふんと得意そうに鼻を鳴らしていた。

「ですが、奇妙な状況には変わりありませんし、情報が少なすぎるのであなたの話を全て信じるわけにもいきません」

 それもそうだろう。

 沙耶が逆の立場であれば、身元不明の外国人の話を鵜呑みにすることは出来ない。

 グリディアの言い分は充分に理解出来る、と頷いてみせる。

「いま必要なのはもう少し信用に足る情報です。あなたの身元を保証してくれる、信頼できる機関に連絡を取ることはできますか?」

 身元の問い合わせ先となると……市役所? でも、国外からの問い合わせなら外務省とかかな。なんたって政府機関だし、信頼はばっちりだよね。

 そこまで考え込んで、ふと気付く。

「ええと……問い合わせ先は分かります。けど、ここってネットワーク圏外ですよね? 連絡を取るって、どうやって……?」

「ふむ。ねっとわーく、というものがなんなのか分かりませんが……当施設には電話がありますので、番号さえ分かれば問題ありませんよ」

 強面だが振る舞いは紳士的で威厳のあるおじ様といった雰囲気のグリディアが、眉間に皺を刻んでぎこちなく反芻する姿はちょっと可愛い。

 けれどそんな呑気な感想は、執務机の上に置かれた四角い機械へとグリディアが視線を向けたところで吹っ飛んでしまった。

「えっ、電話⁉ これが⁉」

「どうした、電話を見るのは初めてか? 田舎者」

 まさに飛び上がらんばかりに驚く沙耶をダレンが鼻で笑う。

「はい、電球も旧式だから驚いたけど、電話となると旧世代ですね! そっか、ネットワーク圏外だとまだ有線接続なんですね! 私、有線の通話をするのは初めてです」

 興奮から皮肉にも気付かずに弾む声で答える。旧式の電球なら探そうと思えば見つけられるが、電話となるとそうはいかない。

 ほとんどの国で脳に端末を埋め込むことが義務付けられている。通話はその端末を使用して行うため、『電話をするための機械』というものが使われなくなって久しい。

 黒い四角い機械には受話器らしき丸い部品が本体と有線で繋がっていて、通話口らしいものは本体の方にあるようだ。通話口の手前にはボタンがいくつか並んでいた。

「グリディア。こいつちょっとおかしい」

「……私も珍しくダレンに同意見だわ」

 物珍しげに電話を見つめる沙耶にダレンが怪訝そうに呻き、リズも美麗な眉を歪めて曖昧な顔で頷いた。

「ふ、む……これは……」

 グリディアは唸るように呟いた後、ゆっくりと顔を上げた。

 先ほどまで纏っていた穏やかな空気は消え失せて、おそらくは本来の軍人としての、触れれば切れそうな気迫さえ感じられる。

「サヤ嬢、驚かないで聞いて欲しいのですが」

 低い声がそう前置きをして、言葉を選ぶように慎重に口を開いた。

「いま我々のいるラルーは、大陸でもかなり栄えている都市に入ります。そもそもセグリアは大陸でも屈指の技術大国。我が国に勝る技術力をもった国は他にありません。ラルーよりも大きな都市と言えば首都アンゼルを含め五都市ほどしかなく……そして、この電話機は首都でも使用している最新のものです」

 いったん言葉を切ったグリディアは、深く息を吸った。


「サヤ嬢。あなたは、どこから来たのですか?」


 グリディアのその問いかけが、まるで鋭いナイフのように胸を抉る。

 旧式の電球。室温調節機能も無い建物。博物館に展示されていてもおかしくないほどに古めかしい形状の電話機。

 まさか、まさかそんな。

 脳裏にひとつの可能性がちらつく。

「……リタ、セグリア国で検索を」

 ――該当なし。

「過去も含めて」

 ――該当なし。

「首都アンゼルは?」

 ――該当なし。

 必死にその可能性を否定しようとするけれど、端末から返る答えはかえって疑惑を深めただけだった。

 ぐるぐると錯綜する思考に釣られ、視界まで揺れ始める。

「異世界、トリップ……?」

 息苦しさに耐えきれず、どうにか絞り出した声が笑ってしまうほど掠れて弱々しかった。

 けれどその考えはすごく腑に落ちた。

 まるでパズルのピースのように、今の状況にぴったり当てはまる。正しいピースでなければこうもしっくりはこないだろう。

 とんでもなく馬鹿げていてあり得そうにもないけれど、これは『可能性』ではなくて『事実』なんだ。受け入れるしかない。

 焦りと不安とであふれ返っていた頭の中が芯まですっと冷えて、妙に冷静になっていくのが分かった。


「ねえ、どういうこと? 全然分からないんだけど」

 重苦しい沈黙のなか、リズが斜め後ろのダレンを仰ぎ見た。

「そいつが、先月本部届いたばかりの最新式の電話機を『旧世代』と呼べるほどに技術が発達したところから来たんじゃないか、って話だ」

「ええ? あの子は未来から来たってわけ?」

「……あり得ない、タチの悪い冗談だろう。万が一事実だったとして証明も出来ない。やはり、信じることはできない」

 返答の際一瞬空いた間に、ダレンの本心が垣間見える。どちらかと言えば、信じたくないといった心境だろうか。

「冗談なら、良かったんですけどね」

 沙耶はそう言って自虐的に笑った。

「証明、できますよ」

 肩までの長さの黒髪をかき上げ、右耳の後ろ、うなじのあたりを晒す。

 三人分の驚き息を飲む音がはっきりと聞こえた。

「こちらの世界では、電話機が最新の技術なんですよね? 私の世界では、これが電話機の代わりなんです」

 沙耶の首には、金属で周囲を縁取りされた、直径八ミリの穴が上下に二つ並んで開いている。

 脳に埋め込んだ端末へ、有線で接続するための差し込み口だ。

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