プロローグ
プシュッという音ともに開いた扉から、黒や灰のスーツを着た集団が足並みを揃えて電車の中に入っていく。
仕事を終えた働き蟻が巣に帰っていく様子にそっくりだ、と高橋沙耶は思う。
かく言う沙耶も働き蟻の一員だ。
ぞろぞろと進む行列の流れにのって電車に乗り込んだ。
午後十時をまわったというのに車内はそれなりの混雑で、沙耶は混み合う車内にどうにか潜り込みひと息つく。
と、沙耶の視界に次々に服や靴などのVR広告が展開された。
高橋沙耶、二十三歳。イベント会社に二年勤務しているイベントプランナー。
車内広告機が乗客の脳に埋め込まれた端末からそんな情報を一瞬で読みとり、それぞれに最適な広告を送信する仕組みだ。
ああ、そうだ。新しい靴を買わないと。今度の仕事で司会をするから、派手すぎない黒か茶で……。
黄色やピンクが鮮やかな春物の新作コレクションを眺めながらも、沙耶の頭に浮かぶのは仕事のことだ。
勤めているイベント企画会社は少人数で回していて、まだ若い沙耶にも様々な仕事がまわってくる。色んな経験を積むチャンスと、就職してからの二年、がむしゃらに働いてきた。
いつの間にか、休日出勤やサービス残業当たり前、疲れが取れずに休みは寝るだけの日々になっている。
そういえば、仕事用じゃない靴や服、最近買ってないな。
私生活にまで仕事が侵食していることに改めて気付き、疲れが滲んだ溜め息を零した。
『自然に囲まれた別世界を体験しませんか』
ふと、ファッション関連のVR広告に紛れて表示されたそんな見出しが目に留まった。
ああ、旅行もいいなぁ。しばらく休みなんて取ってないし。
思わず視線を向けると、沙耶の視界いっぱいに広告が広がって表示される。自然に囲まれた、と銘打つだけあって緑豊かな映像が次々に流れていく。
『一ヶ月間滞在可能なモニターを募集しています。旅費、食費などは全て当研究機関が負担。滞在期間中に現地の植物などの調査をしてくだされば、バイト代も支給いたします。』
広告下部の小さな文字をよくよく読んでみればそれは旅行の広告ではない。
一般公開前のリゾート地のモニター募集というやつだろう。
大学時代、友人がモニターに当たったと無料で旅行を満喫したことを自慢していた。
え、旅費も食費もタダでしかもバイト代支給って、これはかなりおいしい話じゃない? 一ヶ月の休み、溜まってる有給繋げれば取れないことはないし……。
先ほどまでどんよりと沈んでいたのに、いまはなんだかわくわくしてきている。
「リタ、この広告を保存して」
――保存しました。
端末、リタへと指示を出すと耳の奥で機械音声が響く。
沙耶はすぐさま保存された広告を視界内のモニターに表示し、細部に目を通した。
どうやら人の少ない田舎らしいが、人混みと仕事に疲れた沙耶には丁度いいリフレッシュになるはずだ。
その夜、久し振りにウキウキとした気持ちで、沙耶は旅行の算段を考えながら帰路についた。
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「で、休みを取ってその研究所に行くと、まだ場所は公表できないとかでコールドスリープのカプセル……えっと、中に入って寝られる箱みたいなものに入れられまして。寝てる間に運んで貰って現地に着いている予定だったんですが……気がついたらここに居ました」
二人掛けのソファーに腰掛けた沙耶は、そこで言葉を切って顔を上げた。
執務室とでも呼ぶべきその部屋には、大きな机に応接ソファー、書類棚などが並び手狭な印象だ。 そこかしこに積み上げられた書類の束は、窓から差し込む昼下がりの光によって室内に長い影を作っている。
ともすれば昼寝でもしてしまいそうな陽気だ――三人の軍人に囲まれている状況でなければ。