黒い暴君
チンパンジーを知らない人は殆どいないだろう。黒くて腕がそれなりに長く、とても愛嬌のある顔をしている。頭もとても賢く様々な芸をする事が出来、人間に最も近い類人猿の一種とされている。
そんな彼等だが、実は今述べた特徴は生態の一部に過ぎず、子供達に教えてしまうと恐怖する事間違いなしな事実が山ほど存在する。
順番に挙げていこう。まず1つは非常に凶暴であると言う事だ。テレビで見ているチンパンジーだけを知る人は、この一面を知るとドン引きする事間違いなしだろう。
確かに、幼少の頃は非常に愛らしく、芸も覚えるし人にも懐く。人を襲うなんて事は滅多にない。しかし、チンパンジーが10歳くらいを超えると急に凶暴になる。彼等が元々生息するアフリカ辺りでは、人間が襲われて死亡するという事件が相次いでいる。人間の子供を襲ってそのまま食べたという報告もあるそうだ。類人猿の代表格でもあるゴリラでさえ、彼等には恐怖を感じると言うのだから相当なものだろう。
これの原因については、自身の縄張りを壊滅させるために本能的にそれを行っているという事らしい。また、彼等には"子殺し"という習慣がある。他のオスの群れの子供を殺して食べるのだ。この話を聞いただけできっと吐き気を催してくるだろう。
この凶暴性に拍車をかけているのが、チンパンジーの驚異的な身体能力である。
握力は平均200~300kg、腕力も100kg、脚力は350kgと全てが規格外。人間はおろかその他類人猿でさえ腕と腕力を使って引きちぎり、垂直飛び3.5m出来る等人間相手ではまず勝つ事は不可能である。
これが彼等の現実。これが遺伝子に刻まれた本能である。
そんな彼等がいるこの『チンパンジー館』に今私はいる。人間に最も近いとされる彼等は一体何を考えているのか、私は興味があった。だから、この動物園に来た時は必ずここに寄る事にしているのだ。
「よう兄ちゃん、また来たかい」と野太い声が私の頭に響き渡ってくる。
彼の名前はマイク。ここの館のボスである。粗暴で生意気かつ自信家。自分以外の奴は全て見下し逆らう者は即制裁。喧嘩の強さはここにいるチンパンジーの中ではトップクラスの悪逆非道の黒い暴君である。
彼はこの動物園で生まれたのだが、小さい頃からあまり飼育員に懐かずに噛み付いたり引っ掻いたりする事が頻繁にあったらしい。動物園生まれの動物では珍しい、野生の本能が色濃い存在である。
「毎度毎度俺の所に来て、何だい小僧。そんなに俺の傘下に入りたいのか?なあ、どう思うよお前ら」と彼は取り巻きに意見を求めた。
「「「そんなひょろい奴、入れる必要なんかねえですぜボス!!」」」と三匹綺麗にハモってボスに進言した。
彼等はそれぞれジャック・デップ・ブルームといい、マイクの手下的な存在である。ジャックはマイクの右腕的存在であり、三匹の中では一番冷静で喧嘩も強い。デップはお調子者かつマヌケでこのメンバーの中では一番格下扱いである。ブルームは喧嘩の強さならマイクと同等の実力の持ち主だが、デップ以上に頭の回転が悪くとてもキレやすい為、ここのボスになれなかった元ボス候補のチンパンジーである。
「お前、俺らの事羨ましいんだろ?そうだよなあ、お前ら人間は俺らみたいに立派な筋肉もねえし弱っちいし体もひょろひょろだし。お前らの良い所何て、所詮そのちっけえ頭を動かすくらいだろ?お前みたいな奴はな、外に出たらすぐに殺られちまうネズミ以下野郎だよ」とブルームが言い放つ。毎回こいつは私に喧嘩を吹っ掛けないと気が済まないのだろうか。
「まあまあブルーム。そう言ってくれるなって。こいつはそれしか取柄無いんだからそこ否定されたら悲しいだろ?なあ人間。俺は結構人間の頭の良さは買ってるんだぜ」
「ジャック、お前そんな事絶対思ってないだろ。まだブルームの方が共感持てるぜ。お前はボスに気に入られようとしすぎで若干腹が立つぜ?もうちょい自分に正直にだな」
「そうだぞジャック。お前みたいのはな絶対に嫌われるタイプだって。何か媚び売ってるみたいでよ」
「実際頭悪いだろお前たち?脳筋て言うらしいぞそういうの」
「ああ、何だとジャック。てめえ頭少しいいからって調子乗ってんじゃねえぞ」
「全くだぜ、ブルームの言うとおりだ」
この会話で見られるように、取り巻きの3匹は決して仲がよろしい訳では無い。ボスのマイクに忠実なだけであって群れの中はこんな感じなのである。
「お前ら、少しうるさいぞ」とマイクが彼等を威嚇した。3匹はたちまち静かになったが、この一言だけで周りを戒められるのはカリスマ性がどこかにあるのだろう。人間にもこういう部類の奴は身分が高くなるほど多い気がする。
「兄ちゃんよ、お前さんの望みは何だい?聞いたからと言って特に何もしてやれないけどな。この檻がまず邪魔くせえし、仮に檻を壊せたところであんたん所まで行く事はおそらく出来ねえしな。だが話だけは聞いてやる、どうしたいんだ?」
「別に、私は貴方達からは何か物が欲しい訳ではありません。弟子にもなりません」
「だったら何なんだ?ますます訳分からねえ奴だな」
「特に何も求めませんよ、普段通りに生活してもらえればそれでいいのです。それをただ私は見ているだけです」
そう、私は彼等の生活ぶりを見られればそれでいいのだ。何かを欲したりはしない。強いて言うなら、人間に最も近い彼等がどのような思考回路なのかを知りたいくらいだ。
「・・・・・。やっぱお前気持ち悪いわ、さっさと消えてくれねえかな。何か具合悪くなりそう」
「大丈夫ですかボス。おい兄ちゃん、さっさとここから失せろ!!これ以上ボスを不機嫌にさせたら、俺がお前を・・・・」
「そうだぜそうだぜ、早く失せろ!!」
「失せなきゃどうなるか、分かってるだろ?喧嘩なら俺が一番何だぜ?」
「ブルーム、余計な事は言わなくていい。この中だったら俺が2番目だ」
「何言ってんだ、一番強い俺が2番だろうが!!調子に乗ってんじゃねえぞこら!!」
「2人とも、今は追っ払うのが先じゃ・・・・」
「「てめえは黙ってろデップ!!!」」
「お前らが喧嘩してどうすんだ馬鹿!!!何ちゅう醜態晒してくれてるんだ・・・・」
哀れなりチンパンジー諸君。大丈夫だ、君らに言われずとも私はもうここを去る。十分いいものは見させてもらった、有難う暴君達。
時間は丁度お昼の12時を回った。
今私は、売店で買った110円のホットドッグをベンチで座って食べている。ここの動物園で販売している食事は本当に美味しい。貧乏人の私にとっては少し痛い出費ではあるが、限られたお金を支払ってでも食べる価値があるくらいに美味なのである。
そんなホットドッグを食べながら、私は先程の暴君達の事を考えていた。
あれだけ知性の高いチンパンジーが、本来はあのような姿な訳だ。凶暴で獰猛、自らが頂点に立つ為には手段を選ばない。このような自然の摂理は私達に大きな恐怖を与える。
しかしだ、人間の中にもそのような事をする輩は存在する。直接暴力に訴えて自身の願いを叶えようとする者や他人を騙して物や人の信頼を奪う者、他人に罪を擦り付けて自分はのうのうと日常生活を送る者等等。人間も大して彼等と変わらないのではないか。
人間も一種の"動物"だ。他の動物とは一線を画す程の知能を持ち合わせ、理性が大きく発達して言葉や道具も自由に操る事が出来る私達だが、所詮私達も自然の一部だ。
私達が犯罪と呼ぶ行為は、野生では生き残る為に行う行為だ。他の動物を捕食し、ライバルを殺し、よりよい子孫を残す――そうしなければ種は絶滅してしまう。人間だってこの"野生の本能"は持ち合わせている。それを理性が制御しているだけの話で合って、制御が利かなくなれば前述のような事になる。
私達はチンパンジーのような存在を反面教師にするべきなのだ。理性のたがが外れてしまうとああなるんだよ、絶対にあんなことしてはダメだよ――と。動物園はただ楽しむためだけにあるのではない、彼等の生活を見る事で私達は何かを学ばなくてはならないのだ。
そんな事を考えながら食べたホットドッグはあまり美味しくなかった。私は美味しく昼食を頂けなかった分、ある動物を見て気分をキラキラお星さま状態にしようと考え、ベンチを後にした。