同化師
人間社会は残酷だ。どんなに真面目に仕事や勉強をこなしていても、どんなに他人に優しく接していても、常にリーダーシップを発揮してクラスや仕事の人気者になっている奴には絶対に勝てない。何故なのか。
元々イケメンで運動神経も良く、勉強も出来る。他人にも優しいし上司の言う事もしっかりと聞く。向上心も高くて料理も出来て親孝行で・・・・・こんな人間は、いるのかもしれないが私は今まで生きてきた中でそんな人は見た事が無い。そういう素質を持つ者は、何かしら"欠点"を持っているものだ。例えば、表向きは愛想よく振る舞っているが裏では部下や同僚をいじめていたり、人格者と称えられている人が心の中では人を見下す最低な野郎だったり。
そもそも、人気者になるのにこんなにハイスペックである必要は無い。顔だけイケメンであっても十分人気にはなれる。しかしだ、そういう人気者達には上記以外にもある能力が非常に秀でているのではと最近私は感じているのだ。それは何か。
答えは簡単。"口達者である事"だ。その場その場に応じて言葉口調を変え、自分を意図的に変化させる事で集団内の地位を高いものにしていく。要するに、臨機応変に対応できる人間が何だかんだ言ってヒエラルキーのトップに立つのである。
こんな話が頭によぎったのは、目の前にある動物がいるからである。彼女はアフリカの森林に樹上で生活する。体長50㎝程で粘着質の舌で虫を食べ、尻尾は尾を巻く事が出来、目玉は左右別に動かせる。だが、それ以上に大きな特徴がある。周りの環境に応じて体色を変えられるのだ。もうどんな動物かお判りだろう。そう、カメレオンである。
彼等の体色変化は自由自在で、樹木に居るなら緑色に、木の皮にくっついているならその皮の色に・・・と言ったようにありとあらゆる色に変化させられる。自分の"個性"を変幻自在に操る彼等は、人間界のトップに立つ者達と通ずるものがある。
「・・・・・・・」
彼女は微動だにしない。目の前に餌が現れ、それを舌に絡めとるまでは。だから、彼女と会話を試みて成功した事は、私は一度も無い。来た時はいつも餌と向き合っているし、仮に話せたとしても会話はおそらく成立し得ないだろう。爬虫類は哺乳類と違って懐かないからだ。
ここに来て30分、まだ彼女は動かない。普通の人間なら、まずじっとしている事は出来ないくらいの時間である。だが、相手は虫だ。一瞬の隙を突かなければすぐに逃げられてしまう。生き残る為には徹底的に自分を世界と同化させ、相手に警戒心を与えず刹那のうちに狩らなければならない。そういう意味で言うなら人間もたぶん同じなのだろう。
必ず、組織や集団の中心にいる者は必ず"変わっている"。平凡であってはならず、他人とは比較にならない程何かが決定的に違わなければならない。そして、そのトップの下に付いてくる部下やメンバーはそれに従順である事が必要だ。少しでも目立つものなら容赦なく出る杭を打ち、トップの座を守ろうとする――それが組織だ。下っ端はそんな事で問題を起こして今後の人生をお釈迦にしたくないので、その組織の色に自分の個性を染める。生き残る為に自己犠牲するのだ。
カメレオンの生き方は人間社会での一般労働者階級と一緒だ。私も前までは普通に組織で働いていた者だ、よく分かる。集団生活とはそういうものだ。
だが、必ずしもこの生き方が悪い事なのかと言えばそうとは限らないだろう。トラブルに巻き込まれないように常に上の人間に従う生活というのも、まあ聞こえはよろしくは無いかもしれないが人生としてはありではなかろうか。
私はそれが嫌だったこともあって仕事を辞めたが、ある意味賢い生き方だろうと思う。自分を張り続ける事も結構疲れるものだからだ。
「・・・・・・・」
彼女は45分経過しても尚動こうとしない。今この瞬間を、彼女は一体何を考えて過ごしているのだろうか。ただ目の前の獲物を仕留める事に全神経を注いでいるのか、それとももうここでは餌は無理そうだから場所を移そうかと考えているのか、はたまた何も考えていないのか――。
このままここに居続けてももう何も変わらないだろうと思い、私はこの場から立ち去る事にした。元来、大人しい性格の私ではあるが、どうも彼女の生き方は合わないらしい。もし、自分が前の仕事をそのまま継続させていたら、果てしない罵詈雑言の嵐によってあんな風になってしまっていただろう。
だがしかし、あれ程までに世界に化けられる動物はおそらく地上では存在しないだろう(勿論、虫やらなんやらでもっと上手な奴はいるかもしれないが)。だから私は、彼女の事を尊敬の意味を込めて"世界の同化師"と呼ぶ事にしている。人間には理解しがたいかもしれないが、それが彼女の、その種族達にとっての生き様なのだ。
次の目的地は私達にとっては結構身近な動物の所だ。今日は機嫌を害してなければいいのだが――そう微かな希望を抱き私は歩みを進めた。