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トリの花嫁  作者: あきざね
序章 暗涙
3/16

改稿(2017.1)

 真宇の通う学校は普通科しかない公立の進学校だ。商業高校や水産高校、工業高校のような専門性に恵まれずとも、その分選択肢の間口が広いぞと、進路に悩む真宇へ中学校の担任教師が提示した学校だった。

 学業優先の校風が勉強こそ学生の本分だと考える母の琴線に振れたらしく反対されなかった。寧ろ公務員試験や同等レベルの就職試験などに向けた就職組が三学年時に編成される課程が気に入ったらしく、積極的に薦められた。

 父としては専門性に優れた高校に入って欲しかったらしく、そこでまた母と揉めていた。

 しかし息子の教育は男親が、娘の教育は女親が受け持つという結婚以前の暗黙の了解が父の劣勢を決定づけた。

 こうして真宇は母の求めに応じ、この学校に入学した。



 真宇が足繁く通う学校の図書室は校舎の北側、日照率が低い場所に設けられている。

 引き戸を開けてすぐ横に在るカウンターは、昼休みと放課後に必ず図書委員が常駐している。真宇は顔馴染みの図書委員へ目礼しながら、カウンターの前を通り過ぎた。

 本来ならば二個嵌められる筈の天井灯は節電のため一個しか嵌められていない。そのせいで、ただでさえ太陽の光が差し込まない空間は陰鬱な雰囲気を漂わせている。

 真宇は小説と表記されている本棚の隙間に入った。人と擦れ違うときはお互い横向きになって本棚にぴっちり張り付かなければならない幅狭の通路は、まさに隙間と言う表現がしっくりくる。

 時の経過に伴い摩耗(まもう)した本の背表紙を人差し指の腹で撫ぜながら、霞んだ文字を次々と目で流し読んだ。事前に目をつけていた本が見つかり、指が止まる。


(あった。よかった。 ……結構古い本でも在るものだな)


 真宇は背表紙の上角に指を掛け、軽く引き出してから(おもむろ)に本を掴み取った。そのまま本を右手に持ち、くるりと身体の向きを換えた。校則を順守した膝丈下のスカートの裾が僅かに翻る。

 図書室の北側に在る閲覧席へ向かい、仕切り板の立てられた長机の椅子に座った。電気スタンドの電源を入れると仄かな黄色味の光が優しい明るさを点す。

 真宇は草臥れた本の表紙を開いた。黄ばんだ頁に印刷された、古い言い回しの場面を脳内で想像する。

 銀世界の話だった。

 北の大地で見捨てられた(そり)引きの犬たちが生きるため旅をする。樹氷や雪原、氷洞。あるときは海豹(アザラシ)を狩ろうとし、あるときは白熊(シロクマ)に襲われ、極寒の地において必死に命を燃やす――物語のような心理描写はなく、事実だけを淡々と追い求めた記録が綴られていた。

 人によってはつまらないと思うかもしれないが、真宇は実話を基にした動物ものの小説を勉強の息抜きとして愛読している。本当はファンタジーものの小説の方がより好きだけれども、一時の現実逃避という慰撫が過ぎたあと訪れるあの虚脱感が息抜きには向かなかった。

 目の奥に情景を思い描く最中、校内放送の呼び出し音が真宇の意識を現実に引き戻した。


「三年G組天草(あまくさ)真宇さん。昼食を取り終わり次第、職員室まで来てください」


 真宇は顔を上げて四角い形をした淡黄色の放送器具を見つめた。今の放送は真宇の(クラス)を受け持つ担任教師の声がした。しかしと、真宇は心の裡で首を傾げる。呼び出しを受ける理由がとんと考えつかなかったのだ。

 開いている頁に紐を挟んでから本を閉じ、電気スタンドの電源を切り、席を立った。

 真正面に向かう窓の外は水飛沫のような小粒の雪が煌めき、裏山の斜面を(まだら)に染め上げていた。まるで物語の中に迷い込んだような、不思議な錯覚に一瞬囚われる。

 そのままぼんやりしていると、


「天草さん。先生が放送で呼んでいたわよ」


 と、顔馴染みの図書委員が親切にも教えに来てくれた。


「ありがとう。その前に本の借り受けしてもいい?」

「いいよ。本、貸して」


 真宇は彼女に本を手渡し、カウンターに向かうその背中を追った。

 図書委員がカウンターの中で準備をしている間、真宇は扉の傍に佇みながら作業の様子を見守っていた。本の裏表紙に張られたバーコードを読み取り、コンピュータを弄る。レンタル屋がするような一連の作業を終え、本が真宇の手元に渡った。


「はい、どうぞ」

「ありがとう」


 真宇は本を受け取り、左手で引き戸を開けた。その途端に冬の冷気が風を纏い、暖房の効いた室内に雪崩れ込んできた。ぶるっと身震いをしてから真宇は廊下へ足を踏み出し、職員室へ小股で向かった。



「天草、本当に進学するつもりはないのか?」


 まだ二十代の若い担任教師がそう訊ねる。


「すみません、就職するつもりです」


 真宇は申し訳なさそうな困り顔をしながらも、進学の意志はないとはっきり答えた。

 進路決定の時期とあって職員室では、三学年の(クラス)持ちの教師が個別の呼び出しをそれぞれ行っている。担任教師は雑多な音に負けじとばかりに声を張った。


「でもなあ、学年五十位内の成績で大学に進まないのは惜しいぞ」

「そうですか」

「どうだ。入試、受けるだけ受けてみないか?」

「……親と相談してみます」


 真宇は担任教師の押しに負け、曖昧な言葉を返した。「そうか」と頷く一方で、担任教師は残念そうな表情を浮かべる。母を交えての三者面談は既に済ませている。真宇本人の強い意志が無い限り入試を受けないことは、担任教師とて直感しているのだろう。

 担任教師は机上の用紙を拾い上げた。


「まあ、気が向いたら教えてくれ」


 半ば押し付けられるように用紙を渡される。

 目を落として見れば、それは学年主任が発行した案内文書だった。真宇はそっと学年主任を盗み見た。学年主任は後藤の斜め向かいの席に座る、ひっつめにした団子頭が神経質そうな中年の女性だ。

 彼女は居眠りや忘れ物に厳しい教師で、教室から追い出された生徒が実際にいることを真宇は知っている。その経緯があるからか、学年主任が近くに居ると身が竦んでしまう。

 学年主任が真宇の視線に気づいたのか、此方へ目を向ける。真宇は慌てて視線を正面に戻し、その流れで担任教師に辞去の令を告げ職員室から退出した。

 教室に帰る道筋の途中には進路指導室があり、近くの廊下の掲示板に大学や専門学校の募集案内が所狭しと貼り出されている。

 そこでは瞳を輝かせたモデルが春先から変わらない笑顔を振り撒いていた。

 夢に向かって。未来を切り拓け。明日が見えてくる――そんな似通った謳い文句ばかり(うそぶ)かれている。


(未来の私はどう生きているのだろう)


 真宇は未来を頭に思い描いてみた。しかし想像が全く湧かない。両目に見える風景が唯々(ただただ)そこに在る。

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