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トリの花嫁  作者: あきざね
第一章 其処ではない何処か
15/16

トリビトたち_5

修正 16/2/17

 時は少し遡り、真宇が悲鳴を上げた直後のこと。

 真宇は手首に噛み付いた牙を放した隙に木の洞から引き摺り出され、脹脛を掴まれたまま宙吊りにされた。


「あー、畜生。びっくりした」


 調子が高い方の鳥声が聞こえ、脹脛を掴む手の感触が一つ減る。


「大事ないか、ツイン」

「大丈夫だ。(あと)すら残ってない」


 そう交互に鳴く声がした。

 真宇の黒瞳は涙の膜越しに梅鼠色と赤銅色が滲んだように混在する色彩を映した。瞬いた刹那、涙が重力に従って額へ流れる。明瞭になった視界は色ばかりでなく、羽毛の質感を映した。

 持ち上げられた高さはちょうど目線が鳥人の平たい下腹部に来るほどだった。

 鳥人の肩や背中を覆う羽は芯がしっかりした硬めの羽根だったが、下腹部を覆う羽は胸部と同じで芯が細い綿毛のような羽毛だった。但し、胸部と異なり下腹部の羽毛は丈が短めで、股間に近い場所ほど密度が薄く、赤銅色の地肌が垣間見えている。幸いなことに目の前の鳥人は雌らしく、雄の生殖は見当たらない。


「何だ、これ?」


 二音節ほどの鳥声が聞こえた。

 びくりと、真宇の躰が震える。抗いたくとも、恐怖で萎縮した筋肉はまだ使い物になりそうにない。

 真宇は何か考えがあるわけでもなく、ぐっと首を起こして、脹脛を捕まえて離さない主を仰ぎ見た。

 その鳥人は下腹部こそ灰を被ったような梅色をしていたが、胸元の辺りだけ上品な紅梅色に色づいていた。瞳は金色。これは花緑青の鳥人と変わらない。

 梅鼠色をした鳥人は視線を真宇から彼の隣へと移した。羽冠が鳥人の頭の動きに揺れて、連なり目玉模様を縁取る鈍銀に紅梅色の干渉縞のようなものが過ぎった。


「ヤーシェ。こんな奇怪な生き物、知ってるか?」


 梅鼠色の鳥人が嘴を開く。


「いや、知らない」


 やや低めの鳥声が応えるように短く鳴いた。


「そうだよなあ。こんな雛に似てる生き物、誰かしら見かけてたら話しが回って来ているはずだよなあ」


 そう梅鼠色の鳥人はグチグチと長く鳴いた。

 真宇は疲れた首を一度戻し、頭を起こさず横を盗み見た。そこには黒黄の羽毛を着せられた丸太と錯覚するような鳥人の太腿があった。

 真宇は凶悪な黒黄の配色にも、梅鼠色の鳥人と比べて腰の位置が高過ぎる長躯にも見覚えがあった。


(鳥人の女の人と一緒に居た男の人だ)


 真宇を匿ってくれた花緑青の鳥人が仲良さげに肩を並べて歩いていた鳥人が相手だからこそ、真宇の思考は混乱を極めた。

 何故、鳥人の女と共に去ったはずの相手が此処に居るのか。同伴者が鳥人の女ではないが、彼女は一体、どうしてしまったのか。

 真宇が肩に負った傷は焼けつくような痛みが去り、ただただ熱っぽく、思考を妨げるものではなくなっていた。

 しかし、逆さ吊りにされている現在、頭へ血が昇り切る前にこの状況から脱する糸口を掴まなければならないだろう。

 思案する猶予はけれども、長くは与えられなかった。

 黒黄の鳥人が鳴く。


「ツイン、もう少し持ち上げてくれ。爪や歯の状態を詳しく確かめたい」

「分かった」


 二羽の鳥人が囁きを交わした直後、真宇の身体は更に高く持ち上げられ、下腹部にあった目線は胸部にまで達した。


「うわっ!」


 驚きのあまり漏れた声に続く言葉はない。

 遠ざかった地面との距離は危うく人ひとり入れるほど空いた。この高さから無理に脱すれば、着地の際に最悪、首の骨を折ってしまいそうだ。到底、脱する勇気は持てなかった。

 黒い瞳が落ち着きなく彷徨う。鳥人を下手に刺激したくない以上、それしかできることはなかった。

 黒黄の鳥人が動く。彼は真宇の傍らに来て屈むと、所在なさげに脱力し、だらりと垂れている真宇の腕を掴んだ。

 真宇は反射的に鳥人の手を振り払うところだったが、寸でのところで衝動を堪えた。

 そのとき、真宇の目はある一点に釘づけにされていた。彼女の視線の先には黒黄の鳥人が持つ、先の尖った枝があった。


(従順で穏和な振りをした方がいい。下手に暴れたら、また傷つけられるかもしれない)


 黒黄の鳥人が真宇の手の甲を面前でかざし、繁々と指先を観察する。

 屈んだ鳥人の顔は真宇の頭と近い場所に位置し、その表情を視界に収めることは容易かった。だが人と似通っているとは言え所詮は鳥が相手。その顔から感情を読み解くことは難しく、真宇の指先を映す大きな瞳にさえ何の感情も見つけられなかった。

 真宇の爪は校規に(のっと)った、校外においても洒落っ気のない彼女らしく、指先から出ないほど短く切り揃えられている。

 その爪を見て「まるで飾りだな」と、黒黄の鳥人は桜色の嘴を薄く開いた。

 鳥人の行動は彼らの言葉が理解できない真宇から見れば、指を眺めた後に口を開いたようにしか思えなかった。


(食べられちゃうのかな)


 最初は漠然とそう思う程度だった。頭に血が昇り過ぎて、思考が麻痺しているのかもしれない。だが懸念が脳に浸透するにつれて徐々に彼女の心に強い思いが芽生える。


(嫌だ!)


 それは生に対する執着心だった。

 真宇は自らの腕を取り戻そうとした。腕を引き抜こうと試み、もう片方の手で鳥人の手首を掴み引っ張る。しかし彼女の力は鳥人のそれに遠く及ばなかった。

 どうしようもないのだと悟り、真宇は幼子のように嗚咽を漏らした。

 しかし次の瞬間、黒黄の鳥人はギョッとしたように羽冠を広げ、慌てた様子で真宇の腕を解放して立ち上がり、その場から後退った。

 その金色の瞳は滂沱と涙を流す真宇の顔を映している。


「確か先ほども目から液体が噴き出ていたな。毒か?」


 「げっ、本当か!」と鋭く叫ぶような鳥声がして、真宇の躰は梅鼠色の鳥人から出来得る限り離された。


「俺の身体に付いてないよな」


 梅鼠色の鳥人が身体の前面を確認する傍らで、黒黄の鳥人がさらりと答える。


「付いているわけがない。見ろ」

「へ?」


 抜けたような声を漏らして、梅鼠色の鳥人が前後に揺れる真宇へ視線を移した。


「なんだ、垂れ流してるだけじゃないか。お前が噴き出てるなんて言うから、てっきり蟲喰竜子(ムシクイトカゲ)みたいに毒液を吹き掛けてきたのかと思ったじゃないか」

「そうか」

「それにしても、すごい量だな。このままだと乾涸びるんじゃないかって、そんなことある訳ないよな」

「そうだな。ツイン、今度は歯の状態を確認したい」

「分かった」


 その短い鳥声が長い、長い囀り合いを終わらせた。

 真宇の身体が再び持ち上げられる。黒黄の鳥人が持つ枝が顔に近づいて来て――


「何をしているんだ!」


 空気を震わせる大音声が黒黄の鳥人の動きを制した。

 鳥人たちが声に反応して素早く顔を向ける。それに対して真宇は緩慢な動きで声の主へ目を向けた。

 絶望と諦観の念が入り混じり、茫洋とした黒瞳に花緑青色が見出されたとき、黒瞳に精気が戻った。


(来てくれた)


 花緑青の鳥人が真宇を助けに来てくれたとは限らないにも拘らず、彼女の存在は救いの光明のように思えた。今は気味の悪い連なり目玉模様が描かれた羽冠でさえ頼もしく感じられる。

 花緑青の鳥人と真宇の視線がかち合う。


「助けて」


 気づけば真宇は、そう縋るような声を絞り出していた。

 花緑青の鳥人が目を見開く。同時に一瞬だけ羽冠が倒れ、すぐに扇状に先ほどの比ではないほど広がった。

 花緑青の鳥人が此方側へ歩み出す。


「その雛を放せ」


 堂々と歩きながら花緑青の鳥人が一声鳴くと、黒黄の鳥人が彼女と向き合うように居住まいを正した。

 黒黄の鳥人が鷹揚に応える。


「リザーグ、お前が連れて来たのか。まったく、しょうがない奴だ」


 それに対する返事は終ぞなかった。

 花緑青の鳥人の姿が沈んだ。そう思った次の瞬間、彼女は黒黄の鳥人に躍り掛かっていた。対する黒黄の鳥人はいつの間にか、その場で飛び上がり、花緑青をした鳥人の跳び蹴りを脚を以て相殺していた。

 一連に及ぶ鳥人たちの行動を目で追い切れなかった真宇は、その人並外れた速さに目を丸くした。困惑と驚きが去ると、ジワジワと心の奥底から嬉しさが込み上げる。


(ああ! 助けてくれるんだ!)


 家で両親の離婚の話を聞かされ、言い知れない不安を抱えて眠りに就いた筈だったのに、目が覚めたら右も左も分からない場所に居た。頼れる人――そもそも人が存在するのかさえ分からない世界に独りきり。人に近しい風貌の鳥人は言葉の疎通が取れない。

 そのような環境の中で花緑青の鳥人が取った行動は、恐怖心や心細さと言う暗雲を切り裂き、一筋の光として真宇の心に届いた。

 花緑青の鳥人と黒黄の鳥人の闘争は止まらない。


「おいおい! 何をやってるんだよ!」


 梅鼠色の鳥人が鳥声を荒げ、二羽の方へ体を向ける。だが、そうすると真宇から勝敗の行方が完全に見えなくなった。

 真宇は首をグッと回したけれどもまだ足りず、どうにか体を捻じって行く末を観られないかと身じろぎした。

 そのとき、今までどう暴れても外れなかった手が呆気なく放れた。

 支えを失った真宇の身体は重力に従い落下し、悲鳴を上げる間もなく地面に衝突した。

 薄れいく意識の隅で梅鼠色の鳥人が真宇の側を通り、花緑青の鳥人に向かっていく光景が最後に記憶された。

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