トリビトたち_4
真宇の悲鳴が木々の間に高く響き渡る。
樹冠に隠れる小さな鳥獣共が驚いて、鳥は飛び立ち、獣は興奮して枝を揺する。甲高い鳴き声はまるで音叉が共鳴するように広がり、時に重なり合う。
森の俄な騒々しさは当然、ミナを連れて森に入ったリザーグの耳にも届いた。
通常ならば然程気にしない小さな鳥獣共の声だけれども、異常に興奮した声がこうも重なっては耳障りで、リザーグは全身に鳥肌を立てた。リザーグの体を覆う羽毛が毛羽立ったように膨らみ、貧相な体躯が見せかけだけ一回り大きくなる。
「何かが起こったな」
リザーグと連れ立つミナが、鋭い視線を小さな鳥獣共が逃げてくる先に向けながら呟いた。ミナもまた、不快な音を聞いて羽毛を総毛羽立たせている。
「うん。それも今までにない何かがね」
――今までにない何か。リザーグはそれ以外に、この異状を語る言葉を持たなかった。
崖と岩場に挟まれた若い森は厳密に言うと集落ではないけれども、トリビトの庇護のもとにある。雛や若鳥を狙う蛇や蜥蜴は巣食うことを許さず、小さな鳥獣共はその恩恵に預かり、他所より心穏やかな暮らしを営んでいる。
ごく稀に大平原に面する森の縄張りから大蛟が出張って来ることもあったが、リザーグが記憶する限り、小さな鳥獣共はここまで騒ぎ立ててはいなかったはずだ。
小さな鳥獣共が先ほどから幾度となく繰り返す言葉なき声は、仲間へ警戒を促す声なのだ。例え大蛟がこの森に紛れ込んだとして、すばしっこい身のこなしで難なく逃げ切り、すぐ大人しくなる。
それまで耳を澄ましていたミナが「狼蜥蜴の声は聞こえないが……」と呟き、難しい顔で考え込む。
狼蜥蜴――生涯において三度と聞きたくない、厭な響きだ。額から尾の先っぽまで続く鬣を生やした狼蜥蜴は成鳥に劣るが若鳥より大柄だ。十頭程の小規模な群れで常に行動し、頭数を使った連携的な狩りができるほど狡猾であり、瞬発性より持久力に優れ、獲物の追跡が執念深い。
リザーグは若鳥時代に狼蜥蜴の群れと遭遇したことがある。ミナに連れられ、連中を巻くため三日間も放浪したことを思い出すと、未だに苦い気持ちが込み上げる。
リザーグはミナに倣って、耳を澄ました。
葉が擦れる音や枝が揺れる音、枝が折れる音に折れた枝が落下した音、小さな鳥獣共の興奮したような鳴き声――狼蜥蜴の鳴き声は交ざっていないように思える。しかし確信は得ない。
(まるでぞっとしないな)
数多の音と気配が彼を取り囲む中、リザーグは寄る辺ない気持ちになった。
小さな鳥獣共が地上で立ち竦むリザーグの頭上を通り過ぎていく。それらの動きに合わせるようにして、ミナが岩場へと踵を返した。
(父さんは流石だ)
リザーグはミナの決断の早さに舌を巻いた。森の異状は気になる。しかし下手に詮索して藪から狼蜥蜴が出ないとも限らない。幸いなことにリザーグたちは岩場からそう離れていない場所にいる。この森に何が紛れ込んだのか分からない以上、さっさと岩場に帰り巣に籠もることが得策だと言えよう。
ミナと同じ決断をしながら、リザーグはその場を動けなかった。
「どうした?」
少し戻ったところでミナが振り返り、訝しげに問うた。声音には若干の焦りと苛立ちが混じる。
おそらくミナも狼蜥蜴が相手だった場合のことを気に掛けているのだろう。リザーグは狼蜥蜴の痕跡を森で見たことはなかった。連中の姿を見たという目撃情報も聞かない。しかし、万が一ということもある。三日間も放浪した苦労を思えばこそ、さっさと退散するに限る。平時のリザーグならばそうしていた。
だが、今、リザーグはこの先に大切な雛を匿っている。小さな鳥獣共が警戒している相手が何であれ、あの柔な躰の雛がどうして自分の身を守れるだろう。ただ垂涎もののご馳走となるに違いない。
親が守らなければ、雛はあっという間に死んでしまう。
「リザーグ。一体どうしたと言うんだ。私が教えたことを忘れたわけではあるまい」
ミナは周囲の繁みへ注意を向けながら、雛に言い含めるようにゆっくりと言葉を紡いだ。
リザーグは弾けたように駆け出した――森の奥、小さな鳥獣共が逃げてくる先へ。
「リザーグ!」
訳が分からないまま置いてけぼりを喰らったミナが叫ぶ。しかしその声は上辺を滑り、リザーグの意識に浸透しない。
駝鳥に似た趾で黒土を蹴り上げ、方向変換の舵として風切り羽根を器用に使い、脇目も振らず木立ちの合間を飛ぶように急ぐ。
――一刻も早く雛の元へ。
このとき、リザーグの意識はその一点に集中していた。




