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トリの花嫁  作者: あきざね
第一章 其処ではない何処か
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トリビトたち_2

 リザーグは真宇が隠れる洞から離れた場所へヤーシェを誘導した。


「ミナを捜すのはいいとして、何処を探す気なんだ?」


 辺りを見渡すことを止め、ヤーシェが問うた。


「そうだな」リザーグはミナの常の行動について考えた。ミナは百十二歳(六十八歳)と高齢でありながら、その行動範囲は森や大平原の奥地にまで及ぶ。「ミナが居るとしたら跳兎狩りに大平原か草原(くさはら)、あとは巣かな」

「なるほど。広いな。もし大平原に居るとしたら捜し出すのに骨が折れるぞ。ミナが草原と巣に居なかったら、帰ってくるのを待つ方が得策じゃないか?」


 ヤーシェの尤もな意見を聞いて、リザーグは素直に肯いた。最初から大平原を捜し回る気はない。元々、ヤーシェに協力を仰いだ目的は真宇を見つけられることを怖れてだった。目的を達した現在(いま)、ここで別れてもいいだろうとリザーグは判断した。


「ヤーシェの言う通りだ。もし巣と草原にいなかったら帰ってくるまで待つよ」

「それならお前一人で大丈夫だな」

「ああ。ヤーシェ、悪いな」

「別に気にしていない――ああ、いや待て。俺も行く」


 リザーグはヤーシェの言葉を怪訝に思った。しかし、それはそれで好都合だったので問い詰めるよりミナを捜すことを優先した。


「ヤーシェ、まず巣に行こう」

「分かった」


 二羽は森を抜け集落がある岩場へと帰ってきた。

 真白な巨岩が土に埋もれ、また転がり、直線の道がほとんどない迷路のような岩場。崖上から眺めたとき平地に見えた場所はその実、地下に巨大な鍾乳洞を有し入口の穴が数多く穿たれた、起伏が激しい土地柄をしている。

 この集落のトリビトたちはこの独特な地形を活かし、地上と鍾乳洞を繋げる通路から枝分かれた岩屋を巣とし、生活を営んでいた。どの岩屋を選ぶかは個人の好みによるけれども、多くのものは雨風の浸食によって天然の明り取りの小窓が形成された、地上近くの岩屋を巣に望む。

 だが、そうした岩屋は天然の代物ゆえに数が限られている。望みが叶うものはひと握り。雄鳥たちは明るい岩屋に住むものを『日向』と呼び、それ以外を『日陰』と呼ぶ。

 ちなみにヤーシェは日向に、リザーグは日陰に住んでいる。

 岩屋の巣は親から子へ――雄鳥から雛へ世襲されることは決してない。それはトリビト独自の慣習が関係している。トリビトの雄は自力で生きられる術を身につけたとき、生まれ育った集落を旅立ち別の集落へ身を寄せる。この期間を〈渡り〉と呼び、雄鳥は新しい集落に属し初めて一人前と認められるのだ。〈渡り〉は新しい集落で、ある年数過ごせばまた繰り返される。

 この集落に限らず、渡ってきた雄鳥は営巣場所を自分の力で確保する必要に迫られ、高確率で争奪が起こる。

 争奪戦は必ず個対個で行われる。極稀に一目で分かる実力差によって譲渡される場合もあるらしいが、リザーグはそのような場面に出くわしたことがない。何故ならば、一目見ただけで実力差が分かるほどの強敵(ライバル)がそうそういないからだ。

 トリビトたちは総じて同程度の暮らしぶりをしている。目立った体格の差がなければ、人間のように運動能力面での差がでることもない。誰もがのし上がれる機会に恵まれ、誰しもに蹴落とされる危機が訪れるのだ。

 但し何事にも例外はあるもので、ヤーシェがこの集落に渡ってきたときは譲渡がなされたらしい。


(当たり前か)


 リザーグは一歩先を行くヤーシェの後ろ姿を見つめた。

 ヤーシェはトリビトであるリザーグの目からしても規格外に思えるほどの巨躯を誇っている。リザーグがヤーシェを初めて見たとき、大走鳥との合いの子かと本気で思ったくらいだ。

 それに加えて、鮮やかな黄色をした羽だ。トリビトにとって成鳥した雄鳥の羽の色は生活の違いが如実に表れる部位である。普段から良質の食事を取っていれば黄色味や赤味が強くなり美しいとされる。つまり、トリビトの雄たちは生き残るための知恵の有無や、狩猟の腕の良し悪しといった個々の能力が、羽の色として常に晒されているのだ。

 おそらくヤーシェに岩屋を譲渡した相手は争奪戦で負う怪我のことを憂慮して、快適な岩屋に住み続けたい欲求を捨てたのだろう。岩屋の元の主が下した判断は賢明だったと、リザーグは思う。







 巨岩の合間を縫うようにして岩場を行くこと暫し、リザーグたちの面前に草原(くさはら)が広がる。緑の海に真白な巨岩が幾ばくか、小島のように浮かんでいた。

 湖を越えて大平原へ続く草原は、そこに日向の岩屋を数多く隠している。


「ここに来るのも久しぶりだな」


 リザーグは(やや)もすれば草原に紛れてしまいそうな花緑青一色の、寒々しい色彩(いろ)の通り、渡ってきたとき以来ずっと日向とは縁遠い雄鳥だ。特にここ最近、大平原より森へ狩りをしに出かけることが長く続いたので、草原を訪れることは久方ぶりのことだった。

 日陰者のリザーグが、日向の岩屋が多い土地へ訪れた目的は森で拾った(マウ)についてミナに知恵を借りることなのだが、如何せん、訪れる時期が悪い。

 リザーグが憂鬱だと感じる〈求愛の季節〉を前にして、雄鳥たちの誰も彼もが浮足立ち血気盛んになっている。例に漏れず、この場にもピリピリとした空気が漂っている。

 気が(うわ)ついて、そういう時期だということを失念していたリザーグは、雰囲気の悪さに当てられ冠羽を寝かせた。リザーグは一歩前を行くヤーシェの様子が気になり、横顔を垣間見た。ヤーシェは緊張感も持たず冠羽を風にそよがせ、平然としていた。


(よくも平然としていられるもんだ)


 リザーグはヤーシェの図太さを羨ましく思った。否、金黒黄三色の雄鳥は日向に巣を持つ実力者なので、臆する必要がないのだろう。

 リザーグは草原の景色を眺めながら、日向の巣は心地好いのだろうなと漠然と思った。別段、今の巣が気に入らないわけではない。日陰でこそあれ集落外れでなし、外敵の心配もない。夜の帳が閉じるとともに雪崩れこむ外気の冷たさは孤独と遣る瀬無さまで運んで来ていた。

 だが、それも昨夜で終わりになる。

 森で拾ったトリビトの雛に似た、柔らかい生物。気性は穏和で従順。育てばどうなるとも分からないが、上手く躾けることがリザーグの役割だ。

 真宇のことを思い出し、リザーグの気分が高揚する。軽くなった足取りの跫音(あしおと)を聞き分け、ヤーシェが前を向いたまま首を傾げる。


「森で何か良いことでもあったか?」

「ああ。俺にとっては良いことがあった」

「そうか」ヤーシェは頷いた。「それなら安心した」


 そう続いた言葉がリザーグの気分を害する。リザーグはまごう事なき成鳥であるというのに、ヤーシェの言い草は若鳥に対するもののように思えた。それはリザーグが何よりも嫌う行為だった。


「ヤーシェ、俺の心配は不要だ。もう何度目になるか分からないが、一応(・・)、言っておくぞ」


 リザーグは冠羽を扇状に広げながら、そう念を押した。

 ヤーシェは無言のまま頷き、リザーグは彼の態度に機嫌を直した。







 ミナの巣は特殊な場所にある。そこは岩屋であることに変わりはない。その岩屋も草原にある。

 特殊なのは位置だ。ミナの巣は雌鳥たちの集合住宅に特別近い。これは〈求愛の季節〉以外、雄鳥が近くに寄ることを嫌う雌鳥の性質からして本来あり得ないことだった。ミナはそれほど雌鳥たちから信用されている。

 リザーグとヤーシェはミナの巣に繋がる、草原にポッカリと空いた穴の前に立った。ミナの巣が雌鳥たちの集合住宅と特別近いとは言っても、幾ら目を凝らしたところでそれが見えることはない。雌鳥たちの巣は平坦な土地に深く広く掘られた、湯呑み型をしている。余ほど近づかない限り、地上から全貌が見えることはないのだ。

 リザーグとヤーシェは穴の中に飛び降りた。()の当たらない暗闇の道を進み、ミナの岩屋の前に立つ。

 天井の裂け目から漏れる光芒のおかげで岩屋の様子はよく窺えた。一見して誰も居ないように思えるが、ミナは入口から見えない場所で休んでいるのかもしれない。


「ミナ、居るかい?」


 リザーグは声を張り上げた。

 ややあって、奥まった薄暗がりから蠢く影が近づいて来た。光芒の中に至ったとき、冠羽の連なり目玉模様を縁取る翠玉色が宝石のように煌めいた。

 羽の色は(うぐいす)色が基調。羽先だけが(ひわ)色に染まった雄鳥だ。齢を喰っているせいで、体を覆う羽毛にところどころ白いものが混じっている。

 ミナはリザーグとヤーシェの姿を捉え、目を丸くした。ミナが訝しげな声音で問う。


「リザーグにヤーシェか……珍しいな。お揃いで私に何の用だ?」

「俺は用がない」


 ヤーシェは言葉少なに返した。


「リザーグの付添いか」

「ああ」


 またしても、ヤーシェは素っ気ない態度で応えた。

 リザーグは、日向の主と言われるミナを前にしても他と変わらない態度を好ましく思った。ミナも同じ心境のようだ。ミナは面白がるように目を細めてヤーシェを見ていた。


「さてリザーグ、私に何用だ?」

「うん。ちょっと聞きたいことがあってね。少し長くなるかもしれないけど、いいかな?」

「構わない。入れ」


 リザーグはミナの許しを得て岩屋へ足を踏み入れた。ヤーシェが後に続いて動く気配がしないので、リザーグは気になり背後を振り返った。

 ヤーシェはその場に佇んだまま、辞去の旨を告げる。


「俺は失礼する」

「世間話の一つも無しにか」


 ミナはそう揶揄(やゆ)した。


「気になることがあるんだ」とヤーシェは僅かに冠羽を寝かせた。


 ヤーシェが気にかけることと考えて、リザーグは真宇を隠した洞のことを真っ先に思い浮かべた。


(まさか、あの洞のことか?)


 そう思いながらリザーグは、あそこの疑念は既に晴れたはずだと心の中で(かぶり)を振った――リザーグを信用するとヤーシェは言ったのだ。だから大丈夫な筈だと、リザーグは湧き上がる不安を心の奥底に押し込めた。


「付き合ってくれてありがとう、ヤーシェ」


 リザーグの謝辞に対して、ヤーシェは気にするなとばかりに冠羽を僅かばかり動かした。

 ヤーシェが立ち去り、リザーグはミナのあとに続いて岩屋の奥へ進んでいく。ミナの岩屋に入るのは今回が初めてだった。

 リザーグの岩屋は四方を岩壁に囲まれた温かみのない、無機質な空間だ。それに比べてミナの岩屋は、天井の裂け目から漏れる光が指し示す先、外界から飛来した土埃が薄らと地面に降り積もりできた土壌に緑が根付いている。

 ミナが岩壁から突出した段差に腰掛ける。


「適当に寛げ」


 そうミナに勧められたが、リザーグは寛ぐ気になれなかった。

 立ち尽くしたままのリザーグを見つめ、ミナは冠羽を寂しげに寝つかせた。


「元気にしていたか?」

「元気じゃなかったら巣に篭ってるよ」


 このやり取りも慣れたものだと、リザーグは思う。ミナは会う度にリザーグの体調を気遣い、対するリザーグの答えは決まっている。そしてミナがこう続けるのだ。


「覚えているならいい。体調が優れないときは、安全な場所で回復を待つものだ」


 ミナの冠羽が元気を取り戻す。ミナの教えたことをリザーグが覚えていて嬉しいのだろう――ミナはリザーグの父鳥なのだから。

 そうは言えどもミナとリザーグの間に情は通っているが、血の繋がりがあるかは分からない。それと言うのもトリビトは人間のように夫婦で暮らさず、〈求愛の季節〉のときだけ乱婚を行うからだ。

 トリビトという種族は雄と雌が全く別の社会を築き上げている。雄鳥は先に述べた通り〈渡り〉を繰り返し、一箇所に長く留まることがない。実際、リザーグが生まれた集落では雄鳥たちがころころと顔ぶれを変えていた。

 雌鳥は生まれ育った集落を離れることがまずない。彼女らは母娘、姉妹など血縁関係からなる集団で助け合い暮らしているらしい。詳しい暮らしぶりはリザーグも知らない。母鳥たちと過ごした期間は、まともに歩けるようになるまでの一年と短かった。記憶も朧げだ。

 リザーグが歩けるようになり、母鳥は番った雄鳥の中で最も強く美しかったミナにリザーグを託した。それ以降、リザーグはミナの後ろをついてまわり、狩りの技を習い、知恵を授かり、集落を旅立つまで常に一緒にいた。

 集落を旅立った日を思い出すと、胸の内にあの日の気持ちが蘇る。未知に対する好奇心と高揚感に躍る胸、今生の別れとなる故郷への哀愁。そして、二度と会えるか分からない父鳥への想い。

 まさか十年(六年)越しに父鳥(ミナ)と再会を果たすとは夢にも思っていなかった。

 この集落でたまたま邂逅したとき、リザーグとミナはお互いに数秒固まった。リザーグは生まれ育った集落より遠く離れた土地にミナが渡ってきているとは考えなかったし、ミナにしてもそうだろう。

 期せずして再会したミナは純粋に喜びを露わにした。しかしリザーグは素直に喜べなかった。十年(六年)の年月を経て(とう)が立ったミナは羽毛に白いものが混じり、冠羽の様子も少し寂しくなっていたが、相変わらず綺麗だった。

――父鳥(ミナ)に憧れていた。だからこそ会いたくなかった。

 リザーグは花緑青一色の貧相な彼自身の姿をミナに知られたくなかった。故にリザーグは同じ集落に居ながらミナと会うことを故意に避けていた。

 それでと、ミナが言う。


「お前が進んで私に会いに来るなど、一体、何をしでかしたんだ?」


 ミナはからかうような調子で問うた。

 リザーグはムッとして冠羽を少し広げた。


「何もしでかしてないさ。ただ見てもらいたいものがあるんだ。一緒に来てくれないか?」

「私は構わないが――父鳥と共に居るところを見られても、お前は平気なのか?」


 ミナに真摯な眼差しで見据えられ、リザーグは狼狽した。


(俺がミナを避けていたことに気づいていたんだ)


 何か言わなければならない。しかし何を。ミナを嫌って避けていたわけではないと弁明でもするのか。

 リザーグは嘴を開閉させ、やがて絞り出すような声で答えた。


「構わない」


 ミナが目を細める。嫌々の内だと、勘違いしたのだろうか。またミナを傷つけてしまったのだろうか。


(違う。ミナを嫌ってなんていない)


 そう思うだけでは相手に伝わるはずもない。頭では分かっているのだ。しかしそれを言ってしまえば、聡いミナのことだ、リザーグが抱える見てくれに対する自信のなさと劣等感に気づいてしまうのではないか。

――負の感情になぞ気づかれたくない。リザーグは嘴を鎖した。

 リザーグの声が別の台詞を紡ぐ。


「ミナの知恵がどうしても必要なんだ」

「いいだろう。さあ、案内してくれ」


 そう快諾し、ミナは立ち上がった。

 言葉は難しい。想いを伝えることも然りだ。時宣(タイミング)を誤り、吐き出されなかった言葉と想いはリザーグの心に留まる。

 モヤモヤとする心を抱えて、リザーグはミナと肩を並べて歩く。いつか、この静かな道のりが途絶えない会話で賑やかになればいいと思った。

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