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トリの花嫁  作者: あきざね
第一章 其処ではない何処か
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トリビトたち_1

 急峻な崖の麓、真白な巨岩が転がる岩場との間に広がる森は、先ほどまで居た森のように地表が苔生さず、黒々と豊かな土壌が顔出す。植生は同じようなのだが、木々の背は低く、幹は標準ほどの太さしかない。

 真宇はこの地の地理に明るくないけれども、この森が若いものだと推測することはできた。

 鳥人の女――彼女が真宇を地面に下ろす。漸く自らの足で地面に立てた真宇は、態度を一転して目前に佇む奇怪な生き物を警戒し身構えた。

 鳥人型のロボットだと思い込んでいた存在が、実は全く異なる存在であるかもしれない。それは底知れない恐怖を呼び起こす衝撃の事実だった。

 彼女は真宇の態度の変化に気づきもせず、周囲をキョロキョロと見渡し始めた。茂る灌木の根元を覗いたり、木の(うろ)を覗き込んだり、何かを探している様子だ。


(何をしているんだろう)


 彼女の行動を疑問に思うが、これは逃げ出す絶好の機会だった。鳥人の背中を眺めながら、真宇は()り足で少しずつ後退る。左足を引き、右足を引き、鳥人の女が振り返らないうちにこの場を立ち去るのだ。

 だが、焦り過ぎた真宇は後方に配慮することを忘れていた。後退る方向にはちょうど膝窩(しっか)の高さにある灌木の茂み。その存在に気づかないまま後退り、真宇は灌木の垣根上に尻餅をついた。体重に耐え兼ねた枝が折れ、真宇の臀部は垣根に深く嵌る。

 思わず漏れた声と、枝が折れる音。更に繁る葉が擦れ合い、普通に歩くよりも大きな物音が立った。


(お願い、振り向かないで!)


 真宇は強く願った。しかし願いは虚しく、大きな物音が立ち流石に彼女もギョッとしたようで、冠羽を扇状に広げながら振り向いた。金色の双眸が、お尻が茂みに深くはまり込んでしまって起き上がれないでいる真宇を捉える。元々大きな彼女の目が驚きを表すように極限まで見開かれた。


「ああもう、何をしているんだか」


 冠羽が(しぼ)む。連なり目玉模様が視界から消え、真宇は胸を撫で下ろした。花緑青色の太いアイラインを引いた目玉は迫力があり過ぎて少し怖かった。

 彼女が長いコンパスの脚を動かす。羽毛が生えた太股と、異常に長い脛。真正面から見て気づいたが、脛にもうひとつ関節がある。脚に二つある関節を使った歩き方はやはり鳥そのもので、迫り来る生物は人型の『鳥』に違いないのかもしれない。

 彼女は真宇を見下ろす形で立ち止まった。真宇が怯えた目で相手の動向を見守る中、片翼が広がり、真宇は肩を跳ねさせた。

 そのとき、彼女が悲しげな目をしたように思えたことは、きっと真宇の気のせいだ。

 彼女の手は真宇に触れることなく、掌を上にして動かない。差し伸べられた手と彼女の顔を交互に見比べ、真宇はどうすべきか戸惑った。


「大丈夫。おいで」


 彼女が甘い声で囀る。


(もしかして、手を取れと促されている?)


 真宇は面前に差し伸べられた手を見つめた。三本指の手は指も掌自体も細長くて、小指側に生えた羽根は腕に生える翼へ直結している。異形の手だ。掴み取ることを何度か躊躇ったのち、真宇は意を決して彼女の手を取った。

 すると、存外な膂力で手を引かれ、真宇は立ち上がるどころか、宙ぶらりんになった。肩が外れそうな勢いと、痛みに涙が(にじ)む。

 真宇に痛みを与えた当の本人は、嘴を開いたり、閉じたりして狼狽えているようだ。

はたして彼女が何故、狼狽えているのかは見当もつかない。鳥の考えなぞ読めない。

――理解できないことは恐ろしい。もし彼女が無表情に真宇を見つめていたならば、真宇は恐怖心に負けて泣き出すか、暴れていたかもしれない。

 だが幸いにして、彼女がする人臭い狼狽の表情は真宇の恐怖心を拭い、平常心を保たせた。真宇は片腕に全体重が掛かる痛みに耐え、彼女が次に取る行動で彼女という存在が害となるか否か見極めようと、冷静に考えた。

 暫く経ち、彼女はまず真宇を地面に下ろした。次に彼女は真宇の手を解放した。その後は冠羽を寝かせ意気消沈とした様子で佇んだまま、微動だにしない。

 真宇は鳥相手とは言え、礼儀として謝意を示そうと彼女の顔を仰ぎ――先ほどの間抜け面を思い出し、笑ってしまった。


「痛がったり笑ったり。雛は本当に表情が豊かで、見てて飽きないなあ」


 クスクスと失笑する真宇を、彼女は穏やかな眼差しで見守る。


(ロボットじゃなくても、彼女が優しいことは変わらないんだ)


 真宇は嬉しくなった。しかし次の瞬間、


「――まずい」


 彼女の険立った小声が、穏やかな雰囲気の流れを断ち切った。

 彼女がまるで餌を探す小鳥のように、首を忙しなくあちこち巡らせる。漸く、彼女の顔が真正面に戻ったかと思えば、彼女は真宇の両脇を抱え上げ、近くの大きな洞が空いた木の根元へと急いだ。

 真宇は殆んど力尽くで、じめじめと暗い洞の中へ押し込められた。


「頼むから鳴かないでくれよ」


 彼女が低く囀る。去り際、彼女は幼子にするように真宇の頭を撫でた。

 いきなり抱き上げられたことや、力尽くで洞の中に押し込められたことには驚いたが、何となく意味があることのように思えた。


(何かあったのかな)


 真宇は気になり、こっそり顔を覗かせようとした。その矢先、彼女のものではない、低い声を真宇の耳が捉えた。


「リザーグ。こっちの方で何か、大きな音がしなかったか?」

「俺が繁みを漁っていた音だろう」

「いや。よく分からない生物の鳴き声もした気がするんだが、お前はずっと此処に居たのか?」

「居たとも。空耳じゃないかな……そんな怪訝そうな顔をするなって。ところで話は変わるけど、ミナを知らないか?」

「ミナ? さあ、知らないな」

「ちょっと用事があるんだ。暇なら探すのを手伝ってくれないか?」

「分かった」

「助かるよ」


 鳥人たちの話し声が遠ざかって行く。鳥人たちが何処へ向かうのか、知っておいても損はないだろうと、真宇はこっそり顔を覗かせた。

 花緑青の鳥人と肩を並べて歩くのは、恐ろしいほど巨躯の鳥人だった。そもそも『肩を並べて』と表現することが不適切に思われるほど彼女と比べて肩の位置が高く、比例して肩幅も上背もある。三メートルは絶対にありそうな身体は、蜂や虎など獰猛な類の生物と似通った黒黄の羽毛で覆われている。頭上の冠羽はまるで力を誇示するかのように豪奢な、金縁の目玉模様を連ねている。


(これは、何て言うか……)

「悪趣味っぽい」


 真宇は心の声を思わず声に出して呟いた。

 巨躯の鳥人が横を向く。慌てて顔を引っ込める最中、真宇はその首があり得ぬほど回転する光景を目撃してしまった。寸でのところで口元を抑えたが、危うく悲鳴が漏れるところだった。口の中で転がしたはずの言葉を耳聡く捉える聴力にも驚かされたが、百八十度近い首の回りようにも驚かされる。


「リザーグ。止まれ、リザーグ!」

「ヤーシェ、どうかしたのかって、そんなに首を回したらツインみたく自力で首を戻せなくなるぞ」

「ん。あの木の洞に何か居た気がする」

「まさか。さっき俺が目ぼしい獲物が居ないか、確かめたばかりだ」

「そのあとに何かが入り込んだのかもしれない」

「あり得ないね。本当についさっきなんだ」

「だが今の季節、雛を狙う肉食の奴らが多い。(ねぐら)にされたら一大事だ。用心に越したことはないだろう」

「ヤーシェ。俺はずっと此処に居たと言っただろう。俺を信用してくれよ」


 暫しの静寂。鳥人たちの話がどのような類のものなのか、分からない。

 状況から憶測すると、花緑青の鳥人は黒黄の鳥人に見つからないよう真宇を隠したかったようだ。あの巨躯の鳥人に見つかったら、まずいのかもしれない。

 安易に顔を覗かせるべきではなかったと、真宇は後悔した。

 静寂は続いている。真宇は蟲も潜んでいそうな洞の中、可能な限り身を縮めて、外に漏れ出そうな心臓の音を封じ込めようと努めた。


「分かった。気を悪くさせたなら、すまない」

「気にしなくていいさ。お前の気持ちも分からなくはないからね」

「頼むから、そう自嘲してくれるな」


 鳥人の話し声が段々と遠ざかり、遂に聞こえなくなった。外にはもう誰もいないだろう。しかし、真宇は木の洞から出る気概を既に削がれていた。

 自分の身に何が起こっているのか分からないが、少なくとも花緑青の鳥人が真宇を匿ってくれたことは分かっている。現時点では迂闊に動くことの方が身に危険を及ぼすだろう。

 彼女がいつ戻ってくるのか、他の鳥人が先に真宇を見つけないか。不安は拭えないが、真宇は彼女を信じて、洞の中に留まり大人しく待つことを決めた。

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