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トリの花嫁  作者: あきざね
第一章 其処ではない何処か
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当惑_5

 真宇は鳥人型ロボットに肩を抱かれながら、緩やかな勾配を上る。一体どこまで行くのか、目的地が分からない状況だけれども、不思議なことに不安は感じなかった。鳥人の彼女は迷う素振りさえ見せず道なき道を歩む。その澱みない足取りはとても頼もしいもので、導かれる真宇は寧ろ安心を覚えていた。

 ただ、黙々と歩くだけの現状は少し居心地が悪い。


「あの、少しよろしいですか?」


 勇気を振り絞り、真宇は彼女に話しかけた。ピタリと、彼女の足が止まる。

 彼女の、金色の大きな瞳が真宇を捉える。真宇は問い質すような視線に耐え切れず、彼女の口元に視線を逃がして躊躇いがちに口を開いた。


「私の名前は天草真宇と申します。えっと、真宇です」


 真宇自身を指し示し初歩的な意思の疎通手段として、彼女に名前を伝えようとした。


「真宇――分かりますか?」


 彼女は冠羽を上下にそよがせながら小首を傾げた。


「真宇。ま、う」

「?」


 反対側に小首を傾げ、彼女は不思議がるように瞬きをひとつした。残念ながら、真宇の意図は現時点で相手に伝わっていない様子だ。

 それでも、真宇は根気強く名前を連呼した。しかし呼び掛けの回数が二桁に達し、舌が縺れそうになり真宇は口を噤んだ。


(気恥ずかしい思いをしただけじゃないか。馬鹿みたいだ)


 真宇は軽く息を吐いた。顔が熱い。両手で頬に触れたが、歩き詰めて血の巡りが良くなった指先は温かくて、頬を冷やすことができない。


「どうしたんだい?」


 首の位置を真正面に戻した彼女が頭上で囀る。

 声に反応して真宇が彼女を仰ぐと、彼女の三本しか指がない手が近づき、頬に触れる手を優しく包んだ。


「さっきより体が温まってる。良かった、寒くはなさそうだ」


 今度は真宇が首を傾げる番だった。

 真宇の手を包んでいた手を離し、彼女がまた囀る。


「さて、早く戻らないと。行くよ、えっと……呼ぶにも名前が必要だな。何にしよう」


 彼女の冠羽が寝つく。何やら困ったような表情に見えるのは気のせいだろうか。微動だにしなくなった彼女だけれども、金色の双眸は真宇を向いたままだ。ロボット相手におかしな話だろうが、眼差しが先ほどより熱心な気がする。


「そうだ。『マウ』!」


 突然、彼女が鋭く鳴いた。真宇は声の鋭さに思わず肩を跳ねさせた。そして遅ればせながら、『真宇』と名前を呼ばれたことに対する驚きがやって来た。

 目を丸くする真宇に構わず、彼女は冠羽を扇状に広げて、「マウ」と鳴いた。


「あ、えーと……はい。そうです」


 真宇はおずおずと首肯した。


「マウ」


 また呼ばれて、真宇は「はい」と答えた。三度目に呼ばれたとき、「何でしょうか」と訊ねた。彼女が喋るように長く囀る。


「すごい。もう自分のことだって分かったのか。賢いなあ」


 当然、相手が何を言っているのか分からなかった。話の流れからして、おそらく彼女は名乗ろうとしているのだろうが、言葉が速く複雑で聞き取れない。

 狼狽する真宇の頭を彼女が軽く撫でる。その手つきは優しいというよりは、慎重なものだった。


「よし、行こうか。マウ」


 話は終わりだとばかりに彼女の顔が正面に向く。真宇は困惑を覚えた。


(あれ、名前は。もしかしてさっきので終わり? 聞き取れてないのにどうしよう。また聞くべき?)


 真宇が思案を終える前に彼女が歩き出す。真宇も肩を抱く手に促され、渋々足を動かした。







 緩やかな勾配が上りから下りに変わる。丘をひとつ越え、森に漂う金色の(もや)が光を失い、目に映る景色は照り返しの幽き明かりの衣を脱ぎ捨てるように、本来の陰鬱な姿へと様変わりした。

 真宇は瞬く間に薄暗くなった周囲に不安を覚えた。


(夕暮れ時なのかもしれない)


 正確な時間帯を把握するため、真宇は空を見上げた。淡い金色の雲模様が樹冠の隙間から覗いている。不思議な空だ。色合いこそ夕暮れ時の空のようだが、明るさは昼間のようだ。

 真宇は空を見上げたまま足を踏み出した。その足が苔で滑り、真宇の体が前のめりに傾いだ――転ぶ。真宇は短い悲鳴を上げた。しかし、衝撃が訪れることは終ぞなかった。肩を掴む、力強い手が真宇を引き戻したのだ。

 真宇はほっと安堵の息を吐いた。


「すみません。ありがとうございます」


 はたして真宇が彼女に助けられるのは、これで何度目になるだろうか。彼女は真宇が一度転んだときから肩に腕を回し、歩調をゆっくり合わせるなど気を配っている。そこまでしてもらいながら、この鈍臭さでは流石に呆れられただろうか。

 誰かに失望されることは、母親の期待に添って生きてきた真宇にとって何より恐れることだ。彼女に失望されていないだろうか。疑問が首をもたげる。真宇は彼女の表情を盗み見た。

 彼女の金色の双眸は既に真宇を向いており、奇しくも彼女らの視線は交わる。真宇は弾かれたように視線を下げた。その行動は真宇の長年の癖、まともに相手の目を見られず取った反射的な行動だった。


(咄嗟に視線を逸らしちゃったけど、失礼だったよね。気分を害しちゃったかな)


 真宇はおずおずと相手の顔色を窺ったが、鳥人の顔から表情は窺えない。

 彼女が桜色の嘴を薄らと開く。


「足元が覚束なくなってきたな。マウ、疲れたかい?」


 長い脚を屈ませて、彼女が真宇の顔を覗き込む。気遣わしげに揺れる瞳は彼女の羽根の花緑青色もあって、秋空の下で燦然と輝く水稲のようだった。


「雛をあまり歩かせるものじゃないな」


 冠羽が寝つく。彼女は真宇の肩から手を外し、もう一方の手も併せて真宇の脇下を掴む。


「あ、あの何をして――」


 動揺する真宇を余所に、彼女は真宇を持ち上げた。全身がふわりと一瞬の浮遊感に襲われたのち、真宇は幼子がされるように彼女の片腕に座らされていた。真宇の体重を支える腕は細くて頼りなく、また臀部の収まりが悪い。真宇の手は転落を恐れて羞恥心を裏切り、彼女の広い肩を強く握った。


「おろしてください。足を挫いたわけではないので大丈夫、一人で歩けます」


 真宇の抗議に対して、彼女は心配するなとばかりに真宇の頭を軽く撫ぜた。

 言葉が伝わらなくとも、雰囲気や態度から嫌がっていることが伝わらないものなのだろうかと、真宇は困惑を禁じ得なかった。

 彼女が歩みを再開させると、凭れるものがない真宇の上半身はぐらぐらと不安定に揺れた。彼女の身体に凭れ掛かってしまえば楽なのだろうけれども、どうにも気が引けてしまう。

 ただでさえ繁みの裏手が丸見えになるほど目線が高くなって恐怖を感じているというのに、起伏の激しい道が興す躍動感はさらに真宇の恐怖を煽った。段差を降りるときなど勾配も手伝って、真宇の体は進行方向に傾ぎ、危うく落ちるかと思った。慣れない体勢に因る緊張のせいで全身の筋肉が強張る。


「おろしてください」


 真宇は彼女の横顔へ再び請うた。彼女の金瞳は真直ぐ前を見据え、真宇を見向きもしない。真宇の言葉を無視しているのか、はたまた聞こえなかったのか。


「おろしてください」


 強めに主張して漸く彼女は制止し、注目を寄越した。だが今度は真宇がジッと注がれる視線に居心地の悪さを感じて、視線を外してしまった。


「一人で歩けます」


 そう呟く真宇の側頭部に彼女の手が添えられる。そっと優しく内側に押され、大人しく従えば、身体が彼女の肩に凭れ掛かり、揺れもさほどではなくなった。

 真宇は小さく息を吐き、諦めた。何を言っても効かない人間は確かに存在するものだ。

 ぼんやりと、彼女の横顔を眺める。

 誰かに抱っこされるのは忘れるはずもない、小学校入学式の帰り道、同じ幼稚園出身の友達がいない(クラス)が嫌だとぐずった真宇を泣き止ませるため、兄がしてくれて以来だった。兄も間近に中学校の入学式を控えていて、真宇と大して変わらぬ不安な心境だったろうに内心を億尾にも出さず、「大丈夫だ」と慰めてくれたことを覚えている。それまでおやつの奪い合いだの、「おつかいについて行く」「ついて来るな」だの、些細な喧嘩をしていたばかりなので、急に大人びた兄の横顔を忘れられず、あの日の情景は随分と昔の出来事であるに拘らず鮮明に思い出せた。

 懐かしい記憶だ。そして両親が離婚した現在(いま)、胸を切なくさせる思い出でもある。


(早く着かないかな。早く帰りたい)


 真宇は何か見えてこないかと、顔を真横に向けた。密生する木々の途切れが近づいていた。まるで登山道の途中で里を見下ろしたときのような、遮るもののない空の広大さが木立の向こう側に在る。木々の切れ目、落ち込むような崖の淵に彼女が佇み、眼前に大空と大地が広がる。

 金色の空と交わるものは山一つない、緑の地平線だった。大平原に煌々(きらきら)と横たわる、蛇の胴体のように長いものは河の水面だろう。幾種もの動物の群れが水場に近づく光景はまるでテレビで馴染み深いアフリカのサバンナのようで、日本で暮らす真宇にとって現実味を全く帯びない光景だった。

 唖然とする真宇だったが、もっとも彼女を呆けさせたのは見慣れない風景ではない。水場に群れる動物たちの姿こそが原因であった。象ではなし、水牛でも、馬でもない。象より巨大な、遠目にもそれと分かる蜥蜴の群れ。太古の時代に滅んだはずの恐竜が大地を闊歩する様が、真宇の思考能力を奪い去ったのだ。


(恐竜型のロボットを使った娯楽施設?)


 ――有り得ない。もしこれほど巨大な娯楽施設が造られていたならば、ニュースで騒がられているはずなのだ。そのような話は生憎、一つとして耳に入っていない。

 それとも記憶が曖昧な間に報道されたのか。しかし、これほどの数のロボットを管理維持するなど採算を度外視しているとしか思えない。非現実的な企みだ。


(夢を見ているの?)


 そう思ったが、今に至るまでの体験が、感覚が、これは現実であると訴えている。


「ほら、ご覧。あそこが俺の巣が在る場所だよ」


 何事か囁き、彼女が指差した先は真白な岩がごろごろと転がる山麓だった。真宇は反応を返せなかった。あそこを目指しているということは分かったが、それが何だというのだろうか。


(ここは一体、何処だと言うの?)


 鳥人型ロボットの、否、鳥人の女が絶壁に近い急斜面を難なく降る。

 町が在るようにも見えなかった山麓の岩場で、一体、何が待ち構えているのか、想像だにもできない。

 真宇は泣き出したい衝動を抑えた。しかし、未知への不安と恐ろしさで目頭が熱くなることは止められなかった。

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